フアナ・モリーナ インタビュー(初出『スタジオボイス』06年9月号)

  7月に3度目の来日公演を行ったフアナ・モリーナだが、思えば02年の初来日以降、彼女を取り巻く状況には数多くの変化が訪れている。英国の先鋭的音楽誌『WIRE』では彼女の記事が大々的に組まれ、『ニョーヨーク・タイムス』ではビョークやブライアン・ウィルソンと並んで年間ベスト10にアルバムが選出された。04年にはデヴィッド・バーンの欧米ツアーのフロント・アクトに抜擢され、カーネギー・ホールにも出演を果たしている。
  出世作『セグンド』(00年)の総売上枚数の3分の2が日本でのものだった、という有名な逸話があるが、元々彼女の才能を発見したのは日本のリスナーやミュージシャンだった。だが、それも今は昔。局地的な人気にとどまっていたカルト・ミュージシャンは、いつしか堂々たるグローバル・タレントとして欧米でもその評価を確かなものとしていた。
  アマゾンでフアナのアルバムを検索し、〝この商品を買った人はこんな商品も買っています〟という欄に目をやると、トム・ヨークの新作がアップされている。取材でフアナ自身から聞いたところによれば、デヴィッド・バーンもまた、同様の経緯でフアナを知ったそうだ。シガー・ロスのアルバムをインターネットで購入しようとしたバーンは、〝これも気に入るかも〟の惹句につられてフアナの作品を入手、一発でその才能に惚れこんだと言う。そういえば、新作『ソン』のリリース先である英国ドミノ・レーベルのオーナーは、ボニー“プリンス”ビリーの車の中でフアナの音楽を初めて耳にしたそうだし、先日来日したブラジル新世代のカシンもフアナの作品を愛聴していると告白していた。
 つまり、大雑把に言うならば、今のフアナはビョークやコーネリアスやハーバートやトム・ヨークといった孤高の表現者たちと同一線上にそのポジションを獲得しているのだと思う。そしてそんな彼女の行き方は、例えば同じ〝アルゼンチン音響派〟にカテゴライズされるカブサッキやアレハンドロ・フラノフ、サンティアゴ・バスケスらとは、真逆のもののように映る。
 今述べた3人はこの7月にROVOとのセッションを含む日本ツアーを行った面々だが、彼らは、山本精一や勝井祐二との緊密なネットワークを通じてその才能を開花させてきた。自国に較べて日本の音楽がいかに自由で素晴らしいかを説く彼らは、度重なる日本勢とのセッションを通じて自らの音楽的アイデンティティを確立してきたのだ。連携、連帯、共闘、分かち合い、歩み寄り……。どう表現するのが適切か分からないが、ともあれ日本のシーンとの深い関係性が今の彼らの精神的な拠り所になっているのは間違いない。
 ところが逆に、昨今のフアナ・モリーナは徹底してパーソナルな視点から音楽を紡ぎ続けている。存在そのものはグローバルになりつつあるにも関わらず、それに反比例するように、むしろ〝個〟を強く打ち出しているのだ。例えば、新作『ソン』にはかつての相棒カブサッキは不参加で、ふたりのゲストがごく一部で打楽器を担当したのみ。録音もミックスもプロデュースもフアナ名義で、2曲の共作曲も娘の幼稚園の音楽教師と作り上げたものだという。加えて昨今のライヴでは、サポートを入れず完全な独演でアルバムの世界を見事に再現している。来日公演でも、シンセで手弾きしたベースラインをループさせ、ギターと歌を乗せるなど、実に器用なところを見せていた。
「自分ひとりで演奏することによって、自由な空間が得られるようになったし、リズムやムードを自分のペースで発展させられるようになった。ショウ自体も、以前よりも完成度の高いものを提示できている」と、フアナ。確かに、その言葉通りの完璧なパフォーマンスだった。
 日本のミュージシャンとの緊密なネットワークから刺激を受け続けるカブサッキやフラノフ。安易に他者とのコラボレーションに頼ることなく、表現者としての自我をパーソナルな場所から静かに、しかし確固たる意志と共に発し続けるフアナ。両者の来日公演は、別の道を歩みだした各々の足取りを強く印象付けるものとして、後々まで記憶されることだろう。

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