キングオブコメディ

 トム・ハンクスのコメディアン志望者映画が、どうしても思い浮かんでしまい、それに比べてこの映画の暗い空気が耐えがたく、最後まで見れないんじゃないかと思ったが、ラストで主人公が冠番組を持つことができて、そこまでの長期スパンの犯行だったかのと感心させられ、最低クソ野郎と思えた主人公のコメディアン志望に賛辞を贈りたい気持ちになった。

 ロバートデニーロの主人公は、駆け出しの、というかまだスタートラインにも立っていないコメディアン。人気テレビ番組を持っているジェリー・ルイスのところに押しかけていく。スタジオの出待ちにとどまらず、事務所にも通いつめて、警戒される存在になる。そして挙句の果てにジェリー・ルイスを誘拐し、その隙に収録番組に登場し、芸を披露する。

 つらい現実の間に、主人公の空想が挟まれる。落ちぶれたジェリー・ルイスに仕事を分け与える想像とか。そんな感じの作りだから、ラストの冠番組を持つところも、想像シーンだとする意見があると、さっきウィキで見た。僕は、現実だと思って見た。言われてみれば、妄想だと思えなくもないが、実際にスターにのしあがったと思う方が、楽しくこの映画を見られる。

 キングオブコメディと言うと、今の日本ではお笑いコンビの名前だが、この映画の主人公は、コメディの王様を目指しつつも、ジェリー・ルイスを誘拐して、一夜限りのキングでも良しとしている。それが出所後の冠番組につながるのだが、その様子が刑務所での妄想だと解釈すると、たとえ妄想でも、一夜の栄光でも、人として生きた甲斐があると思えてくる。

妄想などに意味はないと思ってしまうが、空想と現実にさしたる違いはない。曲がった空想の末に誘拐という犯罪に至った主人公は、現実の苦難に脳が持ちこたえられなかったと見ることができる。そして最後は冠番組を持つのだが、それは幸せだったのか不幸せだったのか? 

 主人公は、高校時代から好意を抱いていた黒人の女に、自分の晴れ姿を見せたいとの思いの一心でテレビに出ようとする。ジェリー・ルイスから相手にされなかった彼は、一夜限りでもいいとの覚悟で、誘拐という非常手段に出る。警察に捕まることは分かっている。それでも自分を、高校生の時からの憧れの女にアピールするために、誘拐を実行する。

 最終的に主人公は、冠番組を持てたか持たなかったか知らないが、ジェリールイス・ショーをのっとってネタを披露し、それを憧れの黒人女に見てもらえた時点で、目的は達成されていた。

 芸人の目的は、大勢の客を笑わせることか、一人の思いを寄せる人に注目されることか。若い頃なら、迷わず大勢を笑わせることだと考えたが、今は答えに迷う。多くの人に影響を及ぼす方が、人として大きいように思えるが、自分にとって重要な人たった一人の、心が動くような働きをすることができたなら、その方が幸せなような気がする。この映画のラストの、デニーロのいろんな微妙な思いを含んだ笑みは、大勢の笑いを勝ち取った満足とともに、その中の一人にすぎない黒人女の笑顔を見据えているように思える。

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