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好きなものに触れている時間はとても、やさしかったから

週末にかけて、自分の時間を少し多めにとっていた。

noteを読む時間を減らし、SNSを眺める時間も減らし。仕事で外出する都合もあったから、比較的ぼんやりする時間が増えた。

私にとっての「ぼんやり」は、自分だけの好きなものに、その考えに触れること。それをなんとなく思い出して、安堵していた。


金曜日は、note仲間の仲さんと吉玉さんにお会いした。前々から約束していた訳ではなく、仲さんが東京出張に来られるタイミングで、夕方からお時間があるとのことを偶然Twitterで発見したことが縁だ。

吉玉さんもその日は偶然取材で外出していて、私も仕事で外出していて、空いた時間が重なった。とてもすてきなことだった。

ふわふわした気持ちで眺めた。

解散後、初対面の仲さんについて「思ってた以上にふくろうでしたね」と言ったことで、吉玉さんが軽く困惑されていた。あれっ。

仲さんのアイコンのふくろうの印象が強く、それが好きすぎるのだけど、森の長老のようなやさしいまなざしと特に生え際、全体的な造形の印象が、とてもふくろうだったのだ。(※ひじょうにちからいっぱい主観です)

吉玉さんが言っていた、「ふくろうの兄貴」。言い得て妙とはこのことだ。

illyさん(非公式関西meet upで仲さんとお会いしている)には伝わったと極大解釈して、ひとりで満足している。


お話したのは、1~2時間程度だ。

インパクトの強すぎる喫茶店で少しお茶を飲んで、おさかなの定食屋さんに入って夕飯をご一緒した。アイスコーヒーで腹を冷やした私をお二人が大変気遣ってくださり、ありがたかった。

私、仲さんに結局「はじめまして」って言ってないな。そのままお二人の雑談に混ざって、うんうん言っていた。吉玉さんとは何度もお会いしているけど、何度会えても嬉しい。論理的な解釈と経験にユーモアと優しさを混ぜて話す仲さんと、感覚的な考察に俯瞰した視点を添える吉玉さんの会話は、とてもおもしろかった。

いろいろふわふわした心持ちで、うまく日記が書けないのだけど。

SNSは誰かと繋がるためのツールではなかった私にとって、こうして突発的に誰かと会ってお茶するなんて、今までは考えられなかった。少なくとも、1年前までは。もちろん両手を振って全力肯定できる訳ではないけれど、ああ、この時間もあの時間も、私にとっては奇跡だったんだ。

そう思うと、すべてがとても、輝かしい。これが当たり前になるのか、してもいいものなのか。今は、わからないけれど。

楽しかったな。本当に、ありがとうございました。次の機会が、楽しみだなあ。note酒場まで、一ヶ月を切りました。



ここからは私の話に、なるけれど。

noteを書き始める前までは日常的にやっていて、それ以後はどうにも頻度が下がり、少し遠ざかっていたことがある。

漫画を描くことだ。

私の言う「創作」は、大体は漫画やそれに準じる活動のことを指す。ただ、その漫画は同じ絵描き仲間とだけ趣味として楽しむもので、Twitterに放流したことなどは、一度もない。

少し前に、Twitter上の一部界隈で爆発的に流行した「魔女集会」も、参加しようとしてやめた。誰かの「お題」に参加するなら、そのルールは遵守するという当たり前で最低限の敬意を持つのが、自分の鉄の掟。Twitterの鍵を開けなければならないことから、それは叶わなかった。

話はそれたけど、その「趣味の漫画」を、ものすごく久々に、描いていた。

それが本当にほんとうに、楽しかった。自分の中で枯渇していた感情が、みるみるうちに満たされていったことを感じた。へたでも、前よりうまく描けなくなっていても、むしろ描き方を軽く忘れていても。自分のために、仲間と楽しむためだけに描いたそれは、本当に、たのしかった。

「かきたいものをかく」ということは、私にとってずっと「それ」だった。それを、思い出していた。


文章は得意ではないし、言語化もあまり好きではない。できたらいいなとは思うけど、やりたいかどうかは、それが今必要なのかは、別だ。

頭の中の感覚を言葉にして、うまく伝わらなかった時の「ああ、そういうことじゃないんだけど、うまく言い表せないな」ということの多さ。正しく伝えたい気持ちはもちろんある、けれど。そこから誤解に繋がったとしても、私はその背を追いかけられるほど、上手に手を伸ばせなくて。私にとっては言葉にしないからこそ意味があるのではないかと思うものも、少なくなくて。

多分私は、今そこについて、考えている。


そこに気が付いたとき、私はとても、こわくなった。

「かきたいものをかけばいい」ということが私にとってどういうことか、一つの着地点を迎えたように思う。多分それは、今までの自分に対して否定も肯定も、同時にしてしまう。嘘みたいにシンプルなのに、それがとても、こわかった。

ずっと知っていたはずの答えに、直面する。それは、とてもおそろしいことだった。そのおかしさに、少し笑ってしまうくらいに。

でも、今の私は去年までの私とは違う。だから今、考えられている。そう思えるまでに私はたくさん回り道をして、たくさん考えて、あれもだめこれもだめと、やってきた。だから今、やさしかった時間を思い出しながら、もう一度向き合いたい。それを、残したいと思っているのだろう。

それが多分、今の私に必要なことだと、思えるようになったから。


私はちゃんと、変わっていたんだなと。少し、さびしく思っている。

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嘉晶(Yoshiaki)

ARIGATOR代表|フリーランスのIT事務、noteで文章も書く絵描き|2020年夏に東京→京都移住予定|創作が好き。好きなことを好きな気持ちで続けていきたい、どうしたらできるだろう。そんなことをずっと、考えています。

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