TIGER&BUNNYのリアリティ~アニメにおける奇跡という表現~

※この記事には、以下の作品が登場します。ネタバレのある作品もあるため、ご了承の上読み進めて下さい。
・TIGER&BUNNY(特大)
・僕のヒーローアカデミア(大)
・攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX(極小)
・魔法少女リリカルなのは(極小)
・戦姫絶唱シンフォギア(極小)
・ソードアート・オンライン(極小)


1,はじめに


 二つ目の記事がただのオタクの語りになりました、有間です。普段は業界の片隅でシナリオライターをしております。ツイッターの片隅に生息しているオタクアカウントにも関わらず、前回の記事はそれなりに多くの方に読んでいただけました。改めてありがとうございます。
 さて、先日私は本当にただの暇つぶしで、とあるアニメを見ました。それがTIGER&BUNNY(以下タイバニ)です。実は過去に二話目までは見ており、その時も面白いアニメだなとは思っていたのですが、タイミングを逃して逃して逃し続けた結果、丁度ネットフリックスで二期後半が配信間近というある種ナイスタイミングでの視聴となりました。映画二作の後に見ます。

©BNP/T&B2 PARTNERS アニメTIGER&BUNNY2公式サイトより
10/7より後半がネットフリックスで配信開始。マジで早く見たい。

 私は元々ヒーロー物が好きです。好みを自覚したのがここ数年なため、手を伸ばせていない作品も多いですが、自覚後は『僕のヒーローアカデミア』を始めとするストレートなヒーロー物から『魔法少女リリカルなのは』のような魔法少女物など、そっち方面のジャンルを厚めに履修していました。
 にも関わらずタイバニの履修が遅れたのは、本当にただのタイミングなのですが、見てみるとこれが本当に面白い。ヒーロー物としての王道を行きつつも、主人公バディの絆、周辺の個性豊かなヒーロー達、全てが私の好みにドンピシャ。25話を見終わった後は放心状態のようになり、気づけば思いの丈をツイッターに書き込んでいました。

見終わった直後の率直な悲鳴。

 するとありがたい事に、新規の悲鳴を聞きに来たオタク達による丁重な沼への手招きを受けまして。この二期が始まるまでの約11年(!?)モノの、熟成された考察でぶん殴ってもらった結果、色々とタイバニという作品について思考を深めるきっかけとなり。
 そうなれば私も文筆業の端くれ。出力せねば無作法であろうという事で、こちらの記事を書くに至りました。
 この文章を、この素晴らしい作品を支えたオタク達へ捧げます。二期後半が始まるまでの数日の間でも、オモチャにしていただければ幸いです。
 今回のテーマはずばり、このタイバニという作品のリアリティについて、収斂進化の様相を呈する他の作品と比較しながら論じさせていただきます。


2,TIGER&BUNNYは、非常にリアリティレベルの高い作品である


 物語には、リアリティレベルというものがあります。簡単に言ってしまえば「この物語にはどの程度精神論、ご都合主義が許されるか?」というような話だと思ってください。
 タイバニという物語の中で、分かりやすい例を挙げます。
 12話。ジェイクとのセブンマッチにて、虎徹はボッコボコにやられます。一時は偶然から攻略の足掛かりを得るものの、直後に集中治療室に運ばれるほどの大怪我をしてしまいます。この時得たヒントは13話でのジェイク攻略に役立てられるものの、この戦いにおいて虎徹はジェイクに敗北した、と言って構わないと思います。

©BNP/T&B PARTNERS アニメTIGER&BUNNY
#12Take heed of the snake in the grass. (草の中にいる蛇に用心せよ)より

 ですが、この虎徹VSジェイクの戦いは、盛り上げようと思えばもっと盛り上げられたはずです。
 例えば、攻略のヒントを得た虎徹が大怪我を負いながらも善戦するとか。能力が一時的に強化されるとか。それでもなお敗北するが、その戦いぶりからバーナビーはジェイク攻略のヒントを得る、とか。
 アニメとしての絵を重視するのならこっちでもいいはずです。この話の後に虎徹は一時的に能力が増強されるという話も入る以上、展開上無理はないはずなのです。
 しかしそうはしなかった。それは、タイバニという作品のリアリティレベルが非常に高い水準にあるからだと思います。
 奇跡は起こらない。追い詰められた瞬間に突然虎徹の能力が覚醒したりしないし、ジェイクと虎徹の間にある実力差は圧倒的で、それは能力だけでは決して埋まらない。人は根性論だけで、集中治療室に送られるような状況で立ち上がる事ができたりはしない。
 そういった現実的なパワーバランスを守る。覆る瞬間には、必ず(その世界における)現実的な理由が存在する。これを、私はリアリティレベルが高いと表現しています。

 このリアリティレベル、基本的にヒーロー物では低く設定されがちです。
 ヒーローは助けるべき人を背にした時に、通常より強い力を発揮するし、窮地に陥ったところで能力が覚醒したりします。これは別に悪い事ではなく、やっぱり演出上盛り上がります。それに、その作中世界では許される事なのです。
 こちらについても分かりやすい例を挙げましょう。題材は『僕のヒーローアカデミア』です。

*以下で僕のヒーローアカデミア、アニメ三期及び原作9巻のネタバレをしますので、注意をお願いします。

 ヒロアカのアニメ三期42話、原作9巻76話『僕のヒーロー』。作中屈指の名シーンの一つ。
 主人公のデクは、自分の力が通用しない敵を前に、子供を守りながら戦う事になります。デクの力は増強系、対して相手も増強系。自分の腕がぶっ壊れるほどのフルパワーで殴っても、相手はその上位互換とでもいうべき力で受け止めてしまいます。
 この時点で、作中のリアリティとしてデク<敵、という構図がはっきりとしています。デクではどうあっても敵には敵わないはず。
 しかしこの後、デクは守っていた子供の手助け(とも言えないような応援)を受けて、己の限界を超えた力を発揮して敵を倒すのです。

© 堀越耕平/集英社・僕のヒーローアカデミア製作委員会
アニメ僕のヒーローアカデミア 42話 僕のヒーローより

 ご都合主義と言えば、ご都合主義です。しかしタイバニでも言う通り、ヒーローは市民を守るもの。ましてヒロアカは、作中に以下のようなセリフが繰り返し出てきます。

“ヒーローは!!命を賭してキレイ事実践するお仕事だ!”(緑谷出久)

© 堀越耕平/集英社・僕のヒーローアカデミア製作委員会
僕のヒーローアカデミア9巻 No.75『賭せ!ヒーロー』より

“ヒーローとは 常にピンチをぶち壊していくもの!
敵よ こんな言葉を知ってるか!!?
Plus Ultra!!”(オールマイト)

© 堀越耕平/集英社・僕のヒーローアカデミア製作委員会
僕のヒーローアカデミア3巻 No.19『オールマイト』より

 それは、いわば『奇跡』。人の想いが生み出す輝き。これが、私の大好物です。これを摂取したいがためにヒーロー物を見ているまであります。
 この展開は、しばしば『イヤボーン』などと言われて揶揄されますが、逆説的にこれは『揶揄されるほど繰り返されてきた様式美・王道であり、物語構造として優秀である』という事でもあります。
 だが、タイバニはそれを許さない。虎徹やバーナビーの能力が限界を超えて発動し続けたりしない。それはヒーロー物としての盛り上がりだけを考えた場合、本来はマイナスであるはずなんです。
 しかしタイバニは、そのリアリティレベルの高さを徹底する事によって、独特のタイバニ味とでもいうべき作風を獲得しています。それを私は、非常に興味深く、そして魅力的であり面白いと思いました。


3,タイバニ味とスカイハイの恋、もしくはバディの必殺技


 このタイバニ味が発揮されているシーンはいくつかあります。それこそジェイクとの戦いは、タイバニ味の現実の中でそれでも足掻くヒーロー達の戦いだったと言っていいでしょう。
 その中でも、思い返した時に最もこの味が濃かったのは、私は『#15The sky’s the limit… (限界は空高くに…)』だったように思います。

©BNP/T&B PARTNERS アニメTIGER&BUNNY
#15The sky’s the limit… (限界は空高くに…)より

“ジェイク事件以降、元気の無いスカイハイ。飼い犬の散歩中、公園のベンチに座る一人の女性に出会う。能力が目覚めたばかりの彼女に、親切に自分の経験談を語り始める。黙って聞いてくれる彼女にスカイハイは恋心を抱いてしまう。スカイハイを心配し、恋愛相談に乗るファイヤーエンブレム、ブルーローズ、ドラゴンキッド。そのアドバイスを受け実践するものの、彼女は素気ない。一方、謎の男が彼女を探していた・・・。”

©BNP/T&B PARTNERS アニメTIGER&BUNNY公式サイト
#15あらすじより

 この女性は実はアンドロイドで、話の後半では暴走しヒーローに襲い掛かります。その結果、スカイハイは自分が恋した相手であるこのアンドロイドを、自身の手で破壊する事となってしまいます。
 ここまでは、はっきり言ってしまえばわりと『ある』パターンの話です。しかしこの話の描写に、私は引き付けられました。
 まず、このアンドロイドはひどく簡単なパターンの対話しかできません。作中スカイハイとは一方的なすれ違いのような会話を続け、最後まで一言も愛の言葉を交わす事はありません。知性らしい知性もなく、スカイハイが一方的にその女性に対し偶像を押し付け恋している、と言ってもいいでしょう。
 スカイハイが彼女を倒す際も、スカイハイが到着した頃には少女らしい外装が全て焼け落ちていて、スカイハイは相手が彼女であると最後まで気付きません。皮肉な事に、自信を失っていたスカイハイは、自分の相談に乗ってくれた恋した女性を倒した事で、自信を取り戻すのです。
 こうして、俯瞰している我々からすると、これはとんでもない悲劇です。しかし驚くべき事に、作中の登場人物は誰一人として、この悲劇に気付かないのです。
 これはこの話にまつわる考察の中で見かけたのですが、この事件の真実には誰も気づく事ができない構造となっているそうです。

 スカイハイは、前述の理由でアンドロイドが彼女であると気付く事が出来ません。
 少女の外装が焼け落ちたところを見ている虎徹とバーナビーは、そもそもスカイハイが恋をしていた事を知りません。
 スカイハイの恋の相談に乗っていた女性陣は、相手である少女の姿を知りません。
 アンドロイドの開発者である博士は、スカイハイとアンドロイドの交流を知りません。

 この手のすれ違いの悲劇を描いた物語というのは、確かに多く存在します。しかし、この徹底的なまでの悲劇は、ヒーロー物にはあまり見られない形です。
 ヒーロー物の恋愛というのは、悲恋であるにしろエモーショナルで、劇的である場合が多いです。この話をヒロアカ流にするのなら、スカイハイは戦いの最中で、姿形は違えど交わした言葉から相手の正体に気付くでしょう。しかしスカイハイの言葉は通じず、決して止まらず……悲劇の内にスカイハイは彼女を倒す。そういう話の方が、ヒーロー物としてはより王道であると私は考えます。
 AIを題材にする話としても、彼女に知性が芽生え、その知性で以てスカイハイと通じ合う方が『らしい』はずです。例えば、同じくリアリティレベルが非常に高い攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEXであっても、きっと事件の最後に草薙少佐はアンドロイドの正体に気づくでしょう。
(ここについては、AIが題材であるからこその話で、モデルとなった出来事が存在するという考察があるらしいのですが、本筋から外れるのでそれは省略します)

 タイバニではそうはならない。むしろその真逆を行く。この、ヒーロー物の王道を徹底的に外しているかのようなご都合主義の排斥が、見ている人間に『リアルである』と感じさせる。リアリティがある、ではなく、リアルである、と感じさせる。
 それはいわば逆ご都合主義なのですが、その絶対に都合よくはいかないところに感じ取るリアルさが、タイバニの味であるのではないか。私はこの15話で強く感じました。
 これは、そもそもタイバニという作品が、そういう構造をメタ的に取り入れていると私は考えます。その証明となるのが、虎徹とバーナビー、二人の必殺技です。

 第5話、二人のスーツに必殺技システムが搭載され、お披露目となる回。奇しくもこの回は、先ほど取り上げたヒロアカのお話と似ています。
 敵は体にダイヤモンドを纏うNEXT。二人のハンドレッドパワーでどれだけ攻撃しても、相手にダメージが通りません。
 迫る能力限界。その時、二人のスーツに仕込まれた必殺技システムが起動。アニメの絵としても非常に派手な変形同時攻撃で、敵は倒れます。
 しかし面白い事に、この必殺技は本当に見た目だけの演出で、二人のパワーを上げるようなものではないというのです。あくまで二人が息を合わせて同時に攻撃を打ち込んだ事が撃破の要因であって、必殺技は関係ないのです。

©BNP/T&B PARTNERS アニメTIGER&BUNNY
#05Go for broke! (当たって砕けろ!)より

 このシーン、先ほどの逆ご都合主義とでもいうべきタイバニ味を念頭に置くと、実はメタ的な演出である事が見えてきます。少し難しい話ですが、頑張ってかみ砕きます。
 タイバニという作品は、そもそもが作中でヒーロー活動をTVショーとして放送しています。ヒーロー達はカメラ映りを意識するし、画面的な派手さを意識します。先ほどの必殺技システムも、そういった作中世界でのTV映えを意識したものです。
 さて、この話、実は私が冒頭からしている話に少し似てはいないでしょうか?
 ヒーロー物というのはリアリティレベルが低くなりがちである。絵的、展開上の映えを意識し、ヒロイックに、劇的に、時にはご都合主義的に話を展開する。そういう話を私はずっとしてきました。タイバニという物語は、その構造を外していると。

 ですが作中TVショーでは、その王道構造が間違いなく意識されているのです。

 だからこそ二人の必殺技はアニメ的にも映えるし、それで敵を倒します。であるのなら、この必殺技は本当に必殺技であっていいはずです。二人のパワーを増幅し、相手に致命的な一撃を与えるシステムでもよかったのです。
 だが、そうではない。あえてそうしていない。あくまであれはTVショーの演出であり、二人の力はハンドレッドパワーのみであるとしています。
 その意図はなんなのか?
 これは制作陣からの『作中TVショーはヒーローショーであるが、現実に生きる彼らの人生はそう劇的ではない』というメッセージなのではないかと考えます。
 彼らの現実にご都合主義は一切起きない。ご都合主義を演出する事はあっても、奇跡は決して起きない。
 それを徹底しますというメッセージが、あの必殺技からは読み取れると、私は思いました。
 間違いなく制作陣は、そういったメタ構造まで(意識的であるかは別として)徹底した上で、タイバニ味を作っているのだと思います。そうやって、あのリアリティレベルの高さが生まれているのでしょう。
 それは作品の味であり、魅力であり、面白さの一因であり。
 そして、たった一度の『奇跡』のために積み上げてきたものではないかと、私は思いました。


4,タイバニ作中唯一の『奇跡』


 『奇跡』。人の想いが生み出す輝き。ともすれば、ご都合主義とも呼ばれるもの。それはやはり、作劇上最も盛り上がるべきポイントで発揮されます。
 『僕のヒーローアカデミア』では、強大な敵を前に、それでも守るべきものを背負った時に。
 『魔法少女リリカルなのは』では、絶対に通じ合いたい相手に手を差し伸べる時に。
 『戦姫絶唱シンフォギア』では、それまですれ違ってきた多くの人々の意思を、一つに束ねた時に。
 『ソードアート・オンライン』では、愛する人と共に戦う時に。

 タイバニという作品は、これを徹底的に排しているとここまで論じてきました。しかし、私が思うにたった一度だけ。奇跡が起きたシーンがあるのです。

©BNP/T&B PARTNERS アニメTIGER&BUNNY
#23 Misfortunes never come singky.(不幸は単独では来ない)より

“これで終わりかよ、バニーちゃん”(鏑木・T・虎徹)

©BNP/T&B PARTNERS アニメTIGER&BUNNY
#23 Misfortunes never come singky.(不幸は単独では来ない)より

 ここ、虎徹のバニーちゃん呼びで記憶を取り戻すバーナビーです。

 これを何故奇跡と言うのか? それはこのシーンだけ、この作品の原則を精神論で破っているからです。
 このシーンに至るまでに、虎徹は記憶を改変されたかつての仲間に追われる展開を散々繰り返しました。どれだけ虎徹が呼びかけても改変された記憶は戻らず、唯一ブルーローズは多少の反応があったものの、結局記憶を取り戻すトリガーとなったのは虎徹の娘のNEXT能力でした。
 能力は、能力で破る。いくら感情に訴えかけても敵の能力は破れず、事実バーナビーもバニーちゃん呼び以外では一切反応しませんでした。
 しかも、タチの悪い事に、敵による記憶改変は『虎徹とワイルドタイガーを別人であると認識させる』ものでした。
 記憶に対する違和感などで徐々に改変は解けていく、と作中で明言されています。しかしヒーロー達は決してワイルドタイガーとの思い出を消されたわけではありませんでした。どれだけ虎徹が思い出を語ろうと、それは彼らの中でワイルドタイガーとの思い出に吸収されるだけなのです。作中でも、虎徹はストーカー扱いされ、ほぼまともに取り合ってはもらえませんでした。
 これは間違いなく、タイバニ味です。能力で改変された記憶は、決して感情だけで戻ったりしない。能力には能力で対抗しなければならない。この原則を、タイバニは繰り返していました。
 この強固なリアリティから、バーナビーのパターンだけは逸脱しているのです。
 それだけバニーちゃん呼びが嫌だった、と作中では語っていますし、実際そうなのかもしれませんが、メタ的にはそれで納得できるわけがないし、納得させられるとも思っていないはずです。絶対にあの記憶改変は、そういうものでは解けない類のものでした。これは、間違いなくご都合主義的です。タイバニ味ではない。
 では何故、ここでだけ原則を破ったのか?
 おそらく、逆なのだと私は解釈します。
 タイバニという物語のリアリティレベルの高さは、このたった一度の奇跡の特別性を強調するためにあったのではないでしょうか?

 バーナビーにとって、虎徹に与えられた『バニーちゃん』という呼び名はなにより特別であった。
 バーナビーと虎徹。バディの絆は、全てを超える。全てに勝つ。

 きっとTIGER&BUNNYという物語は、それを表現するために全てがあった。
 これが、私の結論です。


5,総評


 色々と書きましたが、物語とは多面的な物です。
 ここで書いた私の考察は、きっとそれなりには信憑性はあるかと思いますが、それが全てかと言うとそうではないでしょう。
 全体を通してではなく、それぞれの話で主題、モチーフとなったものは間違いなくあるでしょうし、ぶっちゃけた話最後に虎徹が死んでないのもまあ奇跡と言えば奇跡です。多少なりとも私が書いていたような側面はあるでしょうが、100%徹底されていたかというと別にそうではない気がします。結局、各々の考察、感じ取ったものは、その人にとっての真実であるという、それだけの事だと私は思います。
 ただ、この独特のタイバニ味は、本当にあらゆる物語において唯一無二と言っていい面白さだと思います。本当はもっと余裕をもって見るはずが、15話以降やめ時が見つからず一気見してしまったほどです。
 私はまた一つ、良質な作品に出会えた。その事がとても嬉しかったです。

 それでは、今回はこの辺りで筆を置いて、映画2作を見ようと思います。
 早く2期見たいなー!
 楽しみだなー!

リンク

・アニメTIGER&BUNNY公式サイト
http://www.tigerandbunny.net/tv/index.html
・アニメTIGER&BUNNY2公式サイト
http://www.tigerandbunny.net/TB2/
・アニメ僕のヒーローアカデミア公式サイト
https://heroaca.com/

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