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全てはゴーイング・コンサーンのために

4月からTribal Professional Academy(略してTPA)という社内勉強会に参加して、社会人になってからとんと読まなくなっていた本をまとめて読むようになってきた。

この勉強会は1年掛かりで経営やマーケティング(つまり経営だ)について学んでいくのだが、必ず大元に行くと同じ概念に突き当たる。

「ゴーイング・コンサーン」

継続企業の前提(けいぞくきぎょうのぜんてい)とは、企業等が将来にわたって存続するという前提のこと。ゴーイングコンサーン(going concern)とも呼ばれる。
Wikipedia:継続企業の前提

実際のところ、人がいつか死ぬのと同様に企業もいつかは死ぬのであるが、それでも長く続いている企業は長生きしている人よりも長期間生き延びうる。

現存する世界最古の企業と言われる金剛組の創業は578年ということだから、1,400年以上存続していることになる。

企業は「法人」というフィクショナルな人格を与えられている、いわば人造人間みたいなものだから、人の実際の寿命よりも人の「死にたくない、行き続けたい」という願いをより反映させた結果、人よりも長生きする可能性を持つに至ったのかもしれない。

最初から話が逸れてしまったが、TPAの開始以来学んできた競争戦略も成長戦略も、突き詰めるといかに企業をゴーイング・コンサーン足らしめるかという手段の話だった。

そして今回のテーマである「コーポレート・ガバナンス」もまた、企業をゴーイング・コンサーンにさせるための手段の一つである。


性悪説に基づく信頼関係

コーポレート・ガバナンスは基本的に性悪説で出来ている。
私たち(企業で働くひと)の中で自社の「コーポレート・ガバナンス」とか「内部統制」とか言われて目をキラキラさせる人が中々いない所以だろう。

私たちが(そして誰より経営者が)企業のゴーイング・コンサーンを妨げることがないように監視する機能が、コーポレート・ガバナンスにはある。

これは主に株主と経営者のエージェンシー問題に代表される、企業を構成する人々の利害対立が株式会社という仕組みそのものに内包されているからだ。

エージェンシー問題の厄介なところは、依頼人が代理人に関する情報を完全に知り得ないということです。依頼人が望むような成果があがらなかったとしても、代理人は、自分は最善の努力を尽くしたのだから責任はないと言うかもしれません。実際は怠けていたとしてもです。ところが依頼人は、代理人が怠けていたかどうかは情報がないので知りようがありません。
:(これならわかるコーポレート・ガバナンスの教科書)

だがしかし、一方でとても当たり前の前提がある。

どんな株主だって、信頼できない経営者に自分の資金を託したりはしません。ガバナンスの基本にあるのは相互の信頼です。
:(これならわかるコーポレート・ガバナンスの教科書)

そう、相互の信頼があるから株主と経営者の関係は始まったのだ。(これは経営者と従業員の関係でも同じことが言える)
この信頼を維持し続けるために性悪説に基づくコーポレート・ガバナンスが存在する、と言うと少しお花畑感があるかもしれないが(「有事の際に愚かな経営者を退場させることができるか」が最も重要という記述もある)、企業の持続的成長、ゴーイング・コンサーンを目的とするなら、せめて自分が所属する会社においてはそうであってほしい。



総力戦化する企業間競争

今回の読書であらためて整理し直せたのは「会社を構成するのは誰か」ということ。

会社は法律用語で言うと「社員」(株主)と「役員」(経営者)と「使用人」(従業員)で構成されている。

会社法などで規定されているのは主に株主と経営者の関係についてで、従業員については労働法で規定される部分が大きい。
つまり、「会社」というのは出資者である株主とその代理人たる経営者のことであり、従業員は会社と労働契約によって結ばれているいわば部外者、というのが元々の法的な整理であったように思える。

しかし資本主義の発達にともなって、従業員は「時間あたりでお金をもらって言われた作業を言われたとおりにやる」存在からは程遠いものとなってきている。

今「マネジメント」「人材開発」「組織開発」その他従業員の主体性・クリエイティブティを引き出すことの重要性について語る書籍は本屋の一隅を埋め尽くしている。
一方、今回の課題図書に代表されるコーポレート・ガバナンスについての注目度も明らかに高まってきている。


それは現在の企業間競争が、株主から従業員(取引先など他のステークホルダーも含む)まで力を合わせた総力戦の様相を呈していることを意味しているのではないだろうか。

コーポレート・ガバナンスの原点は、株主と経営者の関係性の定義(有事の際に愚かな経営者を退場させることができるか)であったが、昨今のコーポレート・ガバナンスは、エージェンシー問題などを超えた企業の持続的成長の問題として捉えられるようになったのだそうだ。

これは前掲の企業間競争の総力戦化を裏付けるものであるように思う。



ゴーイング・コンサーンのためのコーポレート・ガバナンス

あらためて私の意見を整理する。

企業間競争の総力戦化によって、今や企業は持続的成長のために、その持てるリソースの全てを投入できる体制が必要になってきている。

そのため、企業は自社の構成員たる株主・従業員を含む、自社と関係する全てのステークホルダーと対話をしなければならない。
対話が必要なのは、味方についてもらうためである。

そして対話を行うためには情報の非対称性があることは望ましくない。
共通の情報を持たない者との対話で何かをより良くすることは難しいし、なにより情報を持たない者は情報を十分に持っている(けど隠している)者を信用することはないだろう。

繰り返しになるが、企業のステークホルダーたちが相互の信頼関係を維持し発展させるためにこそ、性悪説に基づいて、情報を公開させ、対話を促す仕組みが必要なのだ。

それを人は、コーポレート・ガバナンスと呼ぶのだろう。

全てはゴーイング・コンサーンのために。

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