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✓女性がキレイにするのは男性のためではない

復習しましょう。
「人間・女性」を「性・女性」とみなしてしまう意識のズレから、セクシュアルハラスメントが発生します。

そしてそのズレが起こる要因は、女性のビジュアル……いわゆる容姿や服装や雰囲気など……を材料として、男性の自己中心的な視点で、「人間・女性」を勝手に「性・女性」へと仕分けてしまうからです。
ここまでは整理していただけましたでしょうか。

まだ時おり見かけます。
「(にやにやしながら)お、今日はどうしちゃったの? 久しぶりに本社の俺とのミーティングがあるから、張りきってめかし込んでみたのかな?」「女性の権利とか自立とかいうけどさ、結局男の目を気にしてメイクとかしてるわけだろ? 矛盾してないか?」
「年とってからフェミニンな服着たり、若づりして派手に着飾ったりさ、それってイタくないか?」

このような意見を聞くたびに、私は男性の理解不足にため息をついてしまいます。ついつい街頭のホットペッパーを丸めて走りより、後頭部を「ビシッ!」と叩きたくなる衝動にかられます。

どうやら男性の言いぶんとしては、「人間・女性」だといいながら、男性を意識してメイクしたり着飾ったりするのはまぎらわしい、ということのようです。「性的に見られるのが嫌」というのなら、すっぴんでボロボロの服を着ていればよい、という考えでしょうか。それこそ女性の自由な決定権を侵害する、とても不自由な発想だと思います。

かん違いしないでいただきたいのですが、女性が「男性のために着飾る」ということ自体がかなり偏った考えなのです。

職場に魅力ある男性がいたとして、その人を意識しておしゃれすることは稀にあるかもしれません。しかし少なくとも、セクハラ発言をしてくる「ハラッサー」のためではないことをご注意申し上げておきます。

女性には二種類います。
男性から性的に見られたい「性・女性」と、性的に見られたくない「人間・女性」です。たしかに「性・女性」にとって、男性目線での容姿や女子力は重要なファクターです。

しかし「人間・女性」にとっては、「自分の美」というものは男性視点に依拠していません。キレイな自分が好きでキレイにする。美しくなりたいときに自分の意思で美しくする。それだけなのです。

「久しぶりの銀座だから、華やかなカラーの服で軽やかに歩きたい」
「帝国ホテルのバーで飲むから、お気に入りのコートで優雅に振る舞いたい」
都度、その場のシーンやシチュエーションで、自分の気持ちが満たされるものを自分のために選び、美しい自分を演出したくて着飾る。

それを「男性の存在を意識して」と取り違えてしまうのであれば、たいへん不思議な発想といえます。私が男性でしたら、その自分本位な視点のほうがよほど自惚れに感じられ、恥ずかしくなってしまうのですが。
目はわらっていない笑顔で、こう言ってさしあげたくなります。「女性の行動を変化させるだけのポテンシャルは、あなたにはありませんよ」と。

多くの女性は、男性に性的に好かれることや評価されることを軸とする「男性中心世界」に、生きてはいないのです。


興味深い研究例をご紹介しましょう。
脳科学者の茂木健一郎氏は、以前大手化粧品会社とタイアップして研究チームを作り、化粧と脳の関係を、さまざまな角度から実験して調べたそうです。FMRI(機能的磁気共鳴画像法)という素人にはよくわからない方法を用いて、美しく化粧した女性たちの脳を調べてみたところ、ふたつの興味深い脳の活動があきらかになりました。

まずひとつには、女性はメイクアップした自分の顔を鏡で見ると、脳から「幸せ物質」ドーパミンが出るということです。女性は美しい自分を見ると、自分ひとりでハッピーになれるそうです。

ふたつめには、女性が化粧をした自分を見るときは、「自分の顔」としてではなく、「他人の顔」として客観的に見ているということ。

ひとは、自分の顔を見るときと他人の顔をみるとき、脳のべつの部分をつかい分けて見ているらしいのです。ところが女性がメイクアップした自分の顔を見るとき、なぜか、「他人の顔」を見る脳を使っているというから驚きです。これはどういうことでしょうか。

私が思うに、女性は自分ひとりで「自己と他者」の住む世界を構築できるのです。茂木氏はこれとは少し違う書きかたをしていましたが、私はオリジナルの分析もいいかと考えています。女性は「美しい自分」と「それを見る他人」の役割をひとりで完成させ、他人を介在させずに客観的な満足感をえて、自分の美を自分で楽しんでいるのだ、と。

「女性は男性のためにキレイにするのではない」
「キレイな自分が好きでキレイにしている」
この女性心理を察し、ひとつの事実として受け入れていただけましたら幸いです。

私はよく、周囲の男性たちに注意喚起しています。
もし私が髪型を変えたとしても、完璧なフルメイクをしたとしても、カラフルな服を着ていたとしても、ゴージャスなアクセサリーをしていたとしても、いちいち言及しなくて結構ですよ、と。少なくとも私は男性のためにキレイにしているわけではないですし、褒めて欲しいときがあれば自分からいいます、と。

女性がキレイにするのは、必ずしも男性のためというわけではありません。仮に恋人や家族から変化を気づかれ、「すてきになった」と称賛されるのは、ときにうれしいことかもしれません。

ところが、表面上のつきあいでしかない職場の上司や同僚からいちいちルッキズムに言及されるのは、ストレスでしかありません。不必要に距離を縮めることは個への私的侵害であり、セクシュアルハラスメントになりますからどうぞご注意ください。

よい機会ですから、私はセクシュアルハラスメント意識に警鐘を鳴らすと同時に、とても大切な意識にもスライドして焦点をあてておきます。

異性というのは、「自分の価値を委ねる」ための存在ではありません。仮に素晴らしい異性に出会ったとしても、「素晴らしい」方ならば、性的側面のみで評価するような狭量な見方はしないはずです。「人間」というグローバルな総合視点で判断をするでしょうから、各自が性的価値だけにこだわる必要はないと思います。

「自分らしさ」を大切に、ご自分の価値を自分で決めていただきたいと思います。

異性の一方通行の好みや、細身修正だらけのファッション雑誌に翻弄されるのも不正解です。過剰なダイエットで栄養不足になったり、誰かの期待にこたえられないストレスで摂食障害になったりするのも無意味なこと。学歴や肩書ブランドばかり気にして上を見て妬み、下を見て優越感をえようとするのもナンセンス。そのような「縛り」に苦しむ必要はありません。

何を申し上げたいかというと、個人の価値は普遍的なものであり、異性の価値観や俗物的な「値踏み」に縛られるものではないということです。これは女性に対してだけでなく、すべての方にいえることなのですが。
あなたがあなたとして存在する以上に、たしかで尊い価値などどこにもないのです。

恋愛の「値踏み」や「縛り」を、みずから積極的にラブアフェアーとして取り入れ、ゲーム感覚で楽しんでいらっしゃるお元気な方々はべつです。

しかしもしあなたが、「異性の目」「他者」という価値観の檻にとらわれ、そのことで本来の自分が閉じ込められ苦しくなってしまっているならば、それは無意味であると知ってください。檻というものは自分の「気づき」ひとつで消滅する、実体のない煙のような存在であるという真実をここに記しておきます。

★ここで一句 

・メイクをね するのもキレイに飾るのも 自分のためよ 会社のお前のためでなし


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