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お悩み相談箱日記 『もしコンテンツに飽きちゃったら?』


200円、サンクスです〜(ロコ)

 本日も相談箱に何か迷ってる子羊が。なるほど、熱心にハマっていたコンテンツに対する今の想いとのギャップに悩まれているようだ。しかし少々申し訳ない話ですが、これはよく考えてみれば面白い。何故飽きる事を恐れているのでしょうか。ちょっと露悪的な言い方をしますが、もう自分にとってどうでも良い事じゃないですか。飽きちゃったんだし。そりゃ人間関係で「飽きちゃった」からと相手を取っ替え引っ替えするような人はヤバいかもですが、この場合は人間でなく、コンテンツなんですから。まあこの手の話になると「同人イナゴはどうなんだよ」とかの反例もあるし、そもそもその同人イナゴの定義も曖昧で個人の主観に依る所が大きいために一概に言える事ではありませんが、少なくとも投稿者さんはそういった人には見えないので話を続けさせて頂きます。

 どうもコンテンツに対して飽きる事を何か『悪』だと捉えている節があるようですね。それは何故でしょう?これまで、それ以外のコンテンツにハマった事はないですか?「これ以上の物には出会えないだろう」と思ったという事は、ご自身の中に比較対象となるコンテンツがいくつかあったのではないでしょうか。そのこれ以上ないと思えるコンテンツに出会う以前なら別のコンテンツにハマってもそんな事を考えたりはしなかったんじゃないでしょうか。つまり考え方が変わってしまっただけなんですね。

 それまでの『普通』を『悪』と考えるようになってしまった。別の楽しげなコンテンツを見つけても、それが頭の中に過ぎってしまう。ならば考え方を変えましょう。それは『普通』の事です。こんな辺鄙な場所でお悩みを投稿してくださっている時点で投稿者さんはTwitterをやってらっしゃいますよね。それならば見た事があるのではないでしょうか。自分の好きなコンテンツから所謂『他界』する人を。勿論コンテンツのやり方について行けなかったりだとか、望まぬ形で去った方も居るでしょう。しかし、ある日からコンテンツに関する投稿頻度が落ちていき、別作品の話をするようになり、今ではその話しかしなくなった、若しくはアカウント自体を停止して別アカに移動したりした人を見た事はありませんか。自分はこの7年間でかなり見てますよ。つまり『普通』の事なんです。

 元々、コンテンツという物は長く愛せるようには出来ていません。時代が変わるにつれて新陳代謝しなくちゃいけない。その新陳代謝に追い付けずに消えていくコンテンツすらままあります。それはコンテンツ消費者である自分たちも同じ事で、変わりゆくコンテンツを昔と同様に愛するには自身もそれに合わせて変化していかなくちゃならない。それは時に窮屈にすら感じるでしょう。好きなのに。コンテンツ側が好きでいさせてくれないように感じたりもする。そんな中でコンテンツを好きで居続けられるのは『普通』じゃないんです。もはや衛宮士郎並の『異常』なんです。『作品愛』だけでは説明の付かない異常なまでの『執着』がある。これが無くては自分が自分ではなくなるような、そんな恐れすらも抱いてしまう程に。

 投稿者さんには『作品愛』こそあれど異常なまでの『執着』はしなくて済んだだけです。健全だ。
人は常に変わりゆくものです。投稿者さんもそれと同じですよ。ただ、もう無くても大丈夫になっただけです。64版やDS版のどう森が今はどんな事になってしまってるかを考えて罪悪感を抱きつつも、あの時の楽しい気持ちは嘘じゃないように。確かに心の中に残っているものはあるでしょう。今でも自分だって未だに思い出したかのようにイナイレの話とかテイルズの話とかをするし。コンテンツというのはそういう「あの時はあんな事してたな、楽しかったな」という思い出としても共に歩んでくれます。何より、もう新しい楽しげなコンテンツを見つけられてるらしいじゃないですか!同じ物をずっと愛するのと同じくらい、その時々で出会った物を刹那的に楽しんでいくというのも悪いものではないですよ。

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