(キリスト教?)「断種」という言葉がはらむ思想。性同一性障害者特例法改正の運動について。

2021年の記事ですが、ヒューマン・ライツ・ウォッチが、「法律要件の一つとして強制的な断種手術があり、トランスジェンダーの人びとに対する広範な偏見を助長している。」と書いているの見つけました。

日本:性同一性障害者特例法改正に向けた気運が高まる
強制断種や「精神疾患」診断などの要件を撤廃すべき


うーん、「強制されたわけじゃないんだけどなあ」、って思います。
なんか、もっとマシな表現ないのでしょうか。。

というか、どっちが偏見を助長してるのか。。

1.「断種」という言葉のはらむ思想(キリスト教?)

「断種」って言い方自体が、思想をはらんでる気がします。

なんかキリスト教的な感じ?

個人的には、ハンセン病者の断種などにキリスト教者が関わってきた歴史がありますので、その反省というか反発な気がしています。

少なくとも、仏教者からはあまり出てこない言葉ではないかと。(真宗とかは分かりませんが。)

2.「慈悲」仏教的な言い方で

仏教的な言い方だと、「慈悲の心で、手術の要件を撤廃してあげよう」。
ただそれだけでいいと思います。

特例法もそんな雰囲気で始まったのでは?

なんで「断種」とかいう言葉使うのかな…。

日本じゃますます受け入れられなくなる気がします。

3.医療関係者にも失礼

医療を提供してくれてる医療関係者にも失礼ですよね。

「あなたがたのやってることは断種でしかないんですよ」みたいな。

西洋流(キリスト教)人権思想の歪みを見る思いです。

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