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振り返り思う事、白い巨塔16話終えて…

今から20年経つ。2004年フジ開局記念ドラマだった唐沢財前の白い巨塔。田宮二郎の白い巨塔は更に四半世紀前の1978年、原作小説は山崎豊子

医療現場の構造に大胆にメス入れる問題作であり、時代変わってもその都度テーマなる医療とは何か?の問い

財前と里見は同じ浪速大学医学部からの盟友。しかし20年経ちお互い分野は違えど第一線で活躍する2人になった。財前は外科、里見は内科。切磋琢磨しやって来たながら互いに自負あり自分を信じ生きて来た。そんな彼らがある医療ミスをきっかけに、医療の根源とは何か?医者と患者の関係はどうあるべきか、医療過失裁判を通して改めて我々に投げかけた意欲的な切り口は、患者の立場である我々にも興味深いストーリー

研究畑、解剖学の大河内教授が彼らの前で時おり放つ「医者は患者を敬わねばならない」この真摯な言葉が突き刺さる

ところでTV白い巨塔16話は終り原告一審で棄却、次は控訴審どうするか?の回。擁立した優秀な弁護団、病院側の口止め隠蔽工作から一審無罪となったがTV観てる人たちは内包した裏側の実態に、本当に病院てこんなだろうか?と疑問呈する人もいるはず…

私の例で言えば、ある。私の亡き母の末期の様子…

患者ファースト、リテラシー、コンプライアンスと巷に言われる昨今、患者は立場が弱く、医者探し、出来る限りいい治療受けるために奔走、便宜図り、過去に私もそうした様に、心付けとして袖の下に5万〜10万はよくある話。建前とホンネある。大部屋で看護師付いてる時に大っぴらにカネ渡す患者はいない。はしたガネかわからない。が、受け取る大学病院の医者は入院した際には次の朝回診で真っ先にカーテン開けてくる

私たちの場合は何人かにほんの数十万、結局母がガン治療助からず亡くなった。でも私も出来る限り尽くした

改めて医療の現場、医者と患者の関係は一体?それはつくづく考えさせられた。患者はより良い医者を探し訪ねるのと別に、初診の診察室で医者は患者の足元見る

きれい事に済まない世の中の悲しい馴れ合いある

患者も人、医者も人。ただ医者は人を助ける特別な責任ある仕事だから、命預ける立場な我々患者は見極め大切に思う 今度は私が同じ場面に遭遇した…

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白い巨塔は私の母も楽しみに観てた。何度もメス受けてる患者の立場から複雑な想いだったの想像つく。その3年後に召された。母は強い人だったから、ドラマとして楽しみながら自分に宛てがってイメージしてただろう。諦めや打算、ホンネと建前。でもその中に救いを見いだすなら家族の支えや思いやりという心だろう

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