【273日目】フロサーファー


June 8 2012, 6:29 AM by gowagowagorio

10月30日(日)

前回訪れてから8ヶ月の間に、マレーシアには立派な高速道路が完成していた。周りに何もない所を切り拓いて通した道路だから、ひたすら真っすぐの道路だ。

今日僕は、シンガポール生活最後のサーフィンに来ている。今回のメンバーは、シンガポール在住日本人サーファーコミュニティのまとめ役タカさん、シンガポールとマレーシアの道路事情が完璧に頭にインプットされている、スーパードライバーYさん、そしてなんと元プロロングボーダーだというTさん、そして僕の4人である。

高速ができて随分アクセスが楽になったとYさんは言う。高速が割と海岸近い場所を走っているからだ。その高速を降り、ポイント近くの下道を走り始めた時、前方の空に見事な虹がかかっていた。

「池さんのためにね、用意しといたよ」

タカさんが冗談めかして言う。フェアウェルサーフィンを彩る演出である。

一行はまず、セディリポイントをチェックした。前回訪れた場所だ。面はクリーンだが少々サイズが物足りない。

「こりゃウネリが北だな。あそこ行ったほうがいいかも」

と言うタカさんの判断で、車はさらに20分ほど海岸線を北上する。突然、例によって、普通の人なら気がつかないであろう、獣道のような横道へ頭を突っ込んだYさんのセダンは、できれば4WDが必要だろうというオフロードを慎重に下っていく。

突然、目の前がぱっと開けた。車は小高い丘の上にいる。眼下にクリーンな波がブレイクしているのが見えた。見た瞬間、4人全員が同時に歓声をあげる、そんな波だ。

「これ当たりだろ!」

ここは、ローカルのサーファーにもほとんど知られていないシークレットポイントだと言う。セディリより2周りほど大きい、ムネカタの波がブレイクしているピークには人っ子一人見当たらない。完全に貸切だ。

そんな所を抑えているタカさん達も凄いが、マレーシアはまだまだ未開のサーフパラダイスなのだと実感する。

4人は誰かが来る前に、と焦る事もなくマイペースで準備を整え、思い思いにエントリーする。肌に纏わり付く海水はもはや水ではない。ぬるめのお湯だ。フロでサーフィンをしている、そんな感覚なのだ。

そして、見た目を裏切らず、波もいい。典型的なビーチブレイクで、多少厚めだが、充分遊べる。もし湘南でこの波が割れていたら200人はポイントに集結するだろう。それを4人で乗り放題である。

乗り頃なのに誰も乗らなかったセットも数知れない。人間贅沢なもので、あまりにも誰も来ないと、逆に、この波の良さを知らない誰かと分かち合いたくなったりする。

いい波に乗れた時に、誰か見ていないかとドヤ顔で岸を振り返っても誰もいないのは、それはそれで寂しかったりもするものである。

「池さん帰りたくなくなっちゃったんじゃない?これでまだ本格シーズン前だよ」

タカさんが心の隙間に攻め込んで来る。それにしても、鼻歌まじりで波乗りする、その鼻歌が「ハートキャッチプリキュア」のテーマソングになっていると言う事実に自分自身が驚かされた。

午前中だけでたっぷり4時間ほど楽しんだ後、休憩がてら昼食を摂りに向かう。その、シークレットポイントから車道まで向かうオフロードを再び慎重に登っている時だった。

突然車の右側の林から、固い肉の塊が、ずどん、と飛び出した。

「うおーっ、あぶねえ!」

それは野生のイノシシだった。体長自体は1m程度だろうか。しかし、その飛び出す勢いはまるで砲弾である。

イノシシは車のバンパーのほんの1m先の道をひと蹴りで飛び越え、一瞬で左の林へ消えて行った。

「ヤバいでしょー!いまの。当たってたら車壊れちゃうよ!」

ドライバーのYさんが興奮を隠せない。

イノシシは車の音に驚いて飛び出して来た感じだった。後数m車が先に進んでいたら、イノシシは車の土手っ腹を直撃していたはずだ。そしたらこの車はただでは済まなかっただろう。猪突猛進とはなんぞや、というのを生で見た。これもまた、フェアウェルにふさわしい体験である。

−−

観光客など恐らくまったく来ない漁村の、決して奇麗とは言えない食堂でカレーを食べ、再びシークレットポイントをチェックしに行くと、いつの間にか強まった北風の影響を受け、大分コンディションが落ちている。

朝のクリーンな波を体験してしまっているので、この状態で入る気にはならず、移動してセディリへ向かった。

北側に突き出た半島のおかげで風をかわせるセディリは、サイズこそコシハラ程度と小さいものの、コンディションは悪くない。午後の1ラウンドはここに決まった。

しかし、改めて見ると、この場所は8ヶ月前に訪れた時から随分と様変わりしている。公共のトイレが建った。ただし鍵が閉まっている。何のために建てられたのかは謎だ。

そしてテントを張ってジュースや軽食を売っている店がある。前回は昼飯抜き、朝から8時間ぶっ通しの波乗りで疲弊したが、あのような店が出ていれば、それもありだろう。

結局、ここセディリでも4時間ほど、温泉のようなぬるま湯サーフを堪能し、例の出店でアサンギジュースと教えられた梅ジュースのようなものを買う。程よい酸味が疲れた身体に染み込んで行く。

今日は最高だった。最後にこんな体験ができて本当に、海とこのメンバーに感謝である。

−−

21時半ごろ、ようやくシンガポールへと舞い戻り、汚れた車を洗車に出している間に、アキコに電話を入れる。

やけに疲れたアキコの声が応答する。今日はエリサが休みだったため、アキコが一人で二人の小鬼の面倒を見る羽目になっている。若干申し訳ない気持ちが持ち上がる。アキコは、最後だからということで快く僕を送り出してくれたのだ。妻にも感謝である。

帰ると、ナツモとミノリは既に夢の中だ。

アキコに改めて話を聞くと、彼女が疲れた理由も納得の行く事ばかりだ。ナツモはいつも通り、よく我が儘を言い、よく泣いたようだ。

デンプシーまで三輪車を漕いで行きたい、とか、本当に三輪車で外出した挙げ句、そんな日に限ってなぜかタクシーで帰るのはイヤだ、とか、夕食を全部自分で作るの、と言って聞かないとか、そのくせ、ご飯をちゃんと食べないとか。

秀逸だったのは、理不尽にミノリを泣かせておいて、

「もう、もっちゃん、おこるのつかれちゃったから、むにーはやくいいこになってよね」

と、溜め息混じりにつぶやいたと言う。

他人の口から伝聞されると、実に可愛らしく微笑ましいエピソードばかりと思えるのだが、いざ自分が当事者として面倒を見ているとしたら、きっと相当苛立っている事だろう。

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