【267日目】キュアハッピーアワー


May 15 2012, 7:00 AM by gowagowagorio

10月24日(月)

ここ2、3日の間ずっと、各代プリキュアのテーマソングが頭の中でリピートしている。ナツモが毎日飽きずに鑑賞している「プリキュアオールスターズDX2」のエンディングで、テーマソングがメドレーになっているせいだろう。

ふと気づくと、そのテーマソングを口ずさんでいる自分がいる。このまま行くと、オレがプリキュアにハマるのか?いや、まさかね・・・と思いつつも、iPadを使ってプリキュアの動画を検索したりもしている。

特に、初代プリキュアのテーマソングはなかなか秀逸である。初代プリキュアの変身シーンも、最新のプリキュアとは違い、過剰にきらびやかという事もなく、シンプルながらインパクトがあって好感が持てる。ここから人気に火がついたのも頷ける。

プリキュア立ち上げ当時、企画書に書かれていたコンセプトは「女の子だって暴れたい」だったそうだが、納得である。

動画を漁っているうちに、ナツモが帰宅する時間になった。いつものようにバスから降りたナツモを迎え入れ、共に玄関をくぐる。

「もっちゃん、まず手を洗おう。手、洗ったらいいものあげるよ」

「わかったー」

ナツモは素直に頷くと、カウンターキッチンのシンクまで自ら踏み台を運び、水道の蛇口をひねる。ナツモが石けんもしっかり使って手洗いを済ませるのを見届けると同時に、僕は冷蔵庫からチョコレートを出してナツモに差し出した。

そして差し出しながら声をかける。

「チョコレート食べたら、バイオリンの練習をしようね」

「うん、わかったー」

ナツモは再び素直に頷くと、差し出されたチョコバーの包みを器用とは言い難い手つきで剥がし、それを頬張る。ナツモがチョコバーを食べ終わるのと同時に、僕はナツモにバイオリンを差し出しつつ声をかける。

「練習が終わったら、おとうちゃんがさっきパソコンで見つけたプリキュアの新しいムービー、見せてあげるよ」

「うん、わかったー」

ナツモは三たび、素直に頷くとバイオリンを構える。随所にナツモのお気に入りを挟んで行く事で、全てが流れるように、スムーズに進行していく。

ただ単にモノで釣っているだけではないか、という見方もあるだろうが、この程度なら、無理のない、常識の範囲と言えるだろう。むしろ、二人の呼吸が合っているからこそ、ここまでスムーズに事が運ぶのだ。

逆に言えば、今日はたまたまうまくいっただけの事なのだが、この時僕は、ナツモのコントロール術を遂に自分の物にしたのだという間違った達成感に浸っていた。

これでひとまず、心置きなく日本へ帰れる。子育てに区切りなどないというのに、何故かそんな気分になってしまうのである。

さて、今日はベルリッツで僕の講師だったアンドレからハッピーアワーに誘われている。待合せの店はタングリンモールの通りを挟んで反対側にある「タングリン56」、ナツモが大好きなタングリンツリーの隣の店だ。

家から近い事を幸いに、僕はここ数日と同様に、ナツモと二人乗りの自転車で店へ向かった。

今日の参加者はアンドレと恋人のテリサ、僕とナツモ、そしてアキコの予定だが、月曜日の夕方である、一番乗りしたのはやはり仕事のない僕とナツモだった。早くしないとハッピーアワーが終わってしまうので、先に始めさせてもらう。

こちらのハッピーアワーは大抵が「2 for 1」、1杯頼めば2杯目はタダというものだ。この店では、ハッピーアワーで頼める銘柄は限定されていた。ハイネケンと、もう一つよく知らないビールが対象商品である。

僕はインド系イギリス人と思しき派手なウェイトレスに「ハイネケンを、それからこの子にアップルジュースを」と告げると、まだ閑散としたテラスの、一番居心地がよさそうな大きなソファを確保した。

5分ほどして、ウェイトレスが足取りも軽やかに僕に近づいてきた。頃合いに喉の渇きを覚えた僕は、冷えたハイネケンを出迎えるべく姿勢を正した。しかし、彼女は手にジョッキを持っていないかった。

僕がそれに気づくと同時に、彼女が悪びれもせずのたまった。

「えーと、あなたが頼んだの、何でしたっけ?」

こちらとしてはもう飲む気まんまんでウェイトレスを迎えたから、完全に肩すかしを食った形だ。

「なにって・・・ハイネケンだよ。ハイネケン」

僕は憤慨しながら今一度ビールの銘柄を伝えた。何故こんな簡単なオーダーを覚えていないのか。きっと、何か考え事でもして上の空だったに違いない。

ところがこの彼女、その時たまたま上の空だったという事ではなく、飲食店のホールを担当するには難ありと言わざるを得ないほど、その後も僕らの注文を忘れ続けた。他の皆が合流してからも、彼女がオーダーを聞き直しに席へ戻ってきた回数は一度や二度ではない。

僕がオーナーなら確実にクビにするレベルだが、さすが南国というべきか、シンガポールの経営者は懐が深い。それとも、まだ働き始めたばかりだから目をつぶっているだけなのだろうか。だがそれも、酔って盛り上がってしまえば些細な問題なのだけれど。

ところで、ナツモがアンドレと顔を合わせるのはこれで二度目である。半年前、ボタニックガーデンで始めて会ったときは、アンドレから優しく話しかけられても一切口をきかなかった。それどころか表情を変える事すらなかったと記憶している。

それほど極度な人見知りっぷりを見せていたナツモが、今、僕の目の前でアンドレと、ごくごく簡単ではあるがしっかりとした英語で会話を展開している。

「ナツモ、君は何歳?」

「フォー」

「ヘイ、そのピンクのヘルメット、クールだな。何が描いてあるんだい?」

「プリンセスだよ」

僕やアキコが間に入らなくても、まったく問題ない。最近のナツモなら驚くこともないのかも知れないが、やっぱりナツモの頼もしい場面を目の当たりにするたびに少し誇らしげな気持ちになるのである。

そんなナツモが突然、がくん、という感じで大人しくなってしまった。僕らが座るソファの一角で完全に横になっている。まだ19時半だというのに、ナツモは眠ってしまったようだ。

しかし、疲れて気持ちよく眠ってしまったという雰囲気ではない。イヤな予感がして、アンドレと話しながらもナツモの額に何気なく触れると、やはり掌にホカホカと熱が伝わってきた。風邪でも引いたか。

寝入っているナツモの右肘を見ると、蚊に刺されたのか、ぷっくりと赤い発疹ができている。このままここで寝ていると、更に蚊の餌食にされてしまうかも知れない。

20時を過ぎた頃、少々早いがアンドレ達に別れを告げると、僕は眠ってしまったナツモを自転車のチャイルドシートに収め、アキコと並んで家路についた。

帰宅するなりナツモの体温を測ると、37.8℃。そこまで高くはないが、低くもない。さて、明日は学校を休ませるべきだろうか。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?