【268日目】チキンポックス


May 17 2012, 8:05 AM by gowagowagorio

10月25日(火)

昨晩ナツモの右肘付近にできた発疹は虫刺されなどではなかった。

今朝ナツモが起きると、発疹はさらに肥大し、その中心が水膨れになっていたのだ。そして、顔にも2、3カ所の発疹が現れていた。この症状は、そう、間違いなく水疱瘡である。

そう言えば先日、タイガークラスの担任であるミス・キムから、現在イートンハウスでは水疱瘡が流行している旨の連絡が2回ほど入っていた。

ちなみに水疱瘡の事を英語では「チキン・ポックス」と言う。なんともコミカルな響きとは裏腹に感染力は強大で、ナツモは以前にしっかりと予防接種をしていたにも拘らず発症したという訳だ。

微熱は相変わらず続き、僕が朝食を食べ終わるまでに発疹の数は見る間に増えて行った。

それでもナツモはあまり痒がらないし、発疹の数も全身を覆う程にならずに済んでいるのは、予防接種をしていたおかげなのだろう。

「もっちゃん、チキン・ポックスだよ。カレンもなったでしょ?今日は学校休まないといけないね」

比較的元気なナツモは、がっかりするどころか、「病気」という非日常と、特別な存在としての自分が嬉しくてしょうがないようだ。

ミノリがナツモに向かって這い寄ろうものならそれを掌で制しながら「むにー、きちゃだめ!うつるよ!」などと嬉々として叫んでいる。

スギノファミリークリニックではもうすっかり常連客扱いである。それはそうだろう。ナツモのインフルエンザ、僕の副鼻腔炎、今回の水疱瘡と、短期間の間に立て続けに世話になっているのだから。

ドクタースギノは、ナツモを一目見るや、間違いなく水疱瘡だと宣言した。速やかに一週間の登校禁止を言い渡される。

僕はミノリへの感染を心配したが、どうやら気に揉むだけ無駄なようである。つまり、間違いなく感染するだろうと言う事だ。

「うつらないようにするにはなるべく遠ざけるしかないけど、あんまり気にしても疲れちゃうから。潜伏期間は2週間だから、2週間後もし症状が出たらすぐに来て。さ、リトル・プリンセス、ロリポップいる?」

ドクタースギノの言葉に、ナツモの目が待ってました、と光る。それこそがナツモが嫌がらずに、むしろ喜んでここへやって来た真の理由である。ナツモは前回もチュッパチャップスをここで貰ったことを鮮明に覚えていたのだ。

帰宅し、まず、ナツモの全身にまばらに現れた発疹に貰った塗り薬を乗せて行く。真っ白なローションクリームで、乾くとパリパリになる薬だ。僕も小学生の時、水疱瘡をやったときに使った薬と一緒である。

顔中が白い斑点に覆われたナツモは飲み薬も服用すると、服に付くのがイヤだという理由でパンツ一丁のまま、プリキュアのDVDを鑑賞し始めた。

ナツモは学校を休んだ退屈さよりも、むしろ昼間からプリキュアが観られる幸せを噛み締めているかもしれない。

「おとうちゃんも、いっしょにみて。ずーっとね」

僕は半ば強制的にナツモの隣に座らせられた。

エリサにはミノリを抱いてなるべく遠くへ行ってもらう。ミノリは予防接種をしていないから、発症したらけっこう大変な事になるかも知れないと思ったのだ。

水疱瘡は患者が触ったものからも感染するというから、ナツモに寄り添っている僕がミノリを抱いたりしても感染の危険性がある。

ミノリの世話はしばらくエリサに任せっぱなしになるかも知れないが仕方がない、と自分に言い聞かせたが、いや、むしろそれはこれまで通りかと思い直した。

僕はミノリを対象として育休を取得しているだけに、ミノリの世話をエリサに任せっきりと言う状況に良心の呵責があるのだが、今回はナツモの水疱瘡が免罪符になっているだけである。

オフィスのアキコから電話が入り、スギノファミリークリニックに行く時に預かった、キャッシュカードを渡しにオーチャードへ向かう。現金が今すぐ要り用と言う事だ。

ちょうど昼飯時だったため、会ったついでにパラゴンのPSカフェへ行く事にした。ランチの最中も当然話題は水疱瘡の事である。

「私も水疱瘡やってないんだよねー。予防接種はしてるけど」

とアキコは嘆息する。

「あれって大人になってからかかると重いって言うじゃん?だから、マアチ(アキコの弟)がかかったときも『一緒の部屋に寝なさい』って言われて寝たし、それでもかからなくて、近所の子がかかったときはわざわざ遊びに行って、発疹を潰した汁をつけてもらったりしてたなあ」

なんとも破天荒だが、アキコの母親がやりそうな事ではある。

しかし、水疱瘡は大人になってからかかると症状が重くなるというのは事実なようだ。

アキコの母親ほどではなくても、かかるなら早い方がいいと、兄弟姉妹のどちらかがかかったら、同じ部屋に押し込むという人は他にもいると聞く。となると、学校では一週間登校禁止になる理由が分らなくなる。誰かの感染が発覚したら、これ幸いと、あえてクラス丸ごと感染させるというやり方があっても良さそうなものである。

さて、15時頃帰宅すると、ナツモは相変わらずプリキュアを鑑賞していた。少々長く観過ぎだが、今日は仕方がないだろう。

それはそれとして、どうもナツモの様子が朝とは違っている。目が潤み、息づかいが小刻みに荒い。脇を触ると、じんじんと熱い。検温すると、体温は39.5℃まで跳ね上がっていた。これはさすがに解熱剤が必要だろう。

ナツモが成長したな、と思うのは、「マズイ」と顔をしかめながらも、全く抵抗することなく薬を飲むようになった事である。

ほどなくして解熱剤が効いて来たのか、プリキュアを鑑賞しながらナツモは、降りて来る瞼に抗えず、深い深い眠りに落ちた。

−−

夕方17時ごろ、ナツモは突然むくりと起き上がり、ぺたぺたとリビングからベッドルームへ自ら移動すると、ベッドで再び寝転がった。

様子を見るためにナツモの隣に横たわると、ナツモはそれに気がついたのか、僕のお腹によじ登って来て、再び目を閉じた。トロトロと眠り続けるナツモは、結局夕食も摂らずに眠り続けた。

仕事を終えたアキコは帰って来るなり玄関先で宣言した。

「決めた。ムニーを隔離するのは、やめよう」

つまり、ミノリは早めに水疱瘡にかからせたほうがいいという、自分の母親と同様の判断を下した訳である。

エリサにそれを伝えると、信じられない、という顔つきで「Oh...」と言ったきりだった。

やはり、そんな事をする人は珍しいのだろうか。

−−

「おはよ!」

この日記を書いている午前0時過ぎ、ナツモの元気な声が響き渡った。とりあえず、熱は下がったようである。

「きょうね、びょういんいって、なんもしなかったんだよ。トークだけ。それでおくすりもらって、しろいのつけて、よごれちゃうからね、はだかんぼになって、せんぷうきでかわかすの」

ナツモは白い斑点顔で、アキコに今日の出来事を報告しながら、もりもりとおにぎりを食べている、そんな真夜中である。

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