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美術館の奥のマッサージ店 (『目がみえない白鳥さんとアートを見にいった』の続き)

目が見えない白鳥さんが、水戸芸術館内でマッサージ店を開いていると友人のマイティから聞いた。(白鳥さんとの出会いについては以下のnoteを見て見てください)


ん? 美術館でマッサージ屋だって? そういうパフォーマンス作品なの?それとも、美術館としてのサービスのひとつだろうか(ほら、温泉とかみたいに)。

あまりよく意味はわからないが、ちょうど先日から首の左側が痛くてしかたがないので、激しく心惹かれた。東京から水戸までは、特急で約90分。マッサージ屋さんにしては遠路はるばる感が募るが、世の中にはカニを食べに北海道にいったり、旦那さんの散骨にヒマラヤに登ったりする人もいるし、ということで特急ひたちに乗った。

水戸芸術館ではいま「アートセンターをひらく」というプログラムがやっていて、展示かといえば展示というわけでもなく、滞在製作中のアーティストの活動が見られたり、自由に工作できるカフェがあったりするらしい。

水戸芸術館は、実は私が初めて現代アートに触れた場所という意味で、厚顔無恥な表現をするならば、ブッダが悟りを開いた菩提樹の木の下のような地である。20年前、いまと変わらず一心不乱に現代美術の展示を見まくっていたマイティが(まだ大学生にも関わらず!)、私と妹を車に乗せてどーんと水戸芸術館に連れていってくれたのだ。

そのときは、なんか相互参加型のアート作品が並んでいたような記憶がある。ボタンをおすと何か映像が変わるとか、ぐるぐるレコードが回ってるとかとか、そういう感じの作品たちで、今となっては一個の作品もはっきりと覚えていない。しかし、展示のあとに入った喫茶店で、妹がその店の灰皿にやたら熱狂し、親父からその灰皿を買い取ることに成功、その喜ぶ姿を見ていた私は、この人(妹)はやっぱりへんなヤツだな、親父の灰皿なんか買ってどうすんだ、と思ったことは覚えている。そして、また美術館に行きたいなとも思った。

そんな20年前のことを懐かしく思い出しながら、水戸芸に着くと、贅沢な工作スペースつきカフェでマイティが待っていてくれた。子供達が一心不乱になにかを作っている。しばらく見回したが、マッサージ屋は特に見当たらない。しばらく雑談をしたのち、「あ、どうする?白鳥さんのマッサージ、いく?」ということに。
もちろん、行く行く。

そうして案内されたのは、展示室の廊下のはるか向こうで、美術館のなかでも奥の奥のほうの部屋だった。今はなんの展示も行われていないので、ひと気のない廊下や空っぽの展示室を通っていくこと自体が妙な気分を盛り上げる。

そして、どうみても美術展のバックヤードっぽい広い部屋の一角に、そのマッサージ屋はひっそりと開店していた。衝立の向こうに施術用ベッドがあり、その横に白い服を来た白鳥さんが佇んでいる。お客さんは他にいないようだ。

うーん、確かに。
美術館のマッサージ屋である。
(「パンダ銭湯」とか、「注文の多い料理店」を思い出させた。)

当の白鳥さんは両手を前に付き出し、机の上においた大きな画用紙のようなものに指を当ててゆっくりと動かしていた。一見すると大きな白い画用紙だが、よく見ると白い点がポツポツと流れるように打ってあり、模様のようになっていた。

「これは、大分県の地図です」と白鳥さんはいう。それは点字の地図帳だった。マイティが「へー、別府ってどこ?」と聞くと、「別府はさっきあったな、この辺かな、あ、ここだ」と言って点々を指差した。どうやら、白鳥さんはお客さんを待つ間、地図を読んで時間を潰していたようだ。

「20分1000円です、どうぞ」と促され、私はベッドに腰掛けた。


私はすぐに例の首の横の痛みを訴えた。
先週は、バングラデシュ人のカレー屋のおじさんに「首が痛いのね。そういうときはマトンカレーだよ。ひつじ、強いよ!」と言われて、とても素直にマトンカレーを食べたものの、痛みは全く消えなかった、ということを説明しようかと思ったが、きっとどうでもいいだろうと思いとどまった。

白鳥さんは、私が痛みを訴えた左側の首や肩を中心に揉みほぐしていく。マッサージを受けながら、気になっていた「このマッサージ屋さんは白鳥さんの作品なんですか?」という質問をぶつける。
「いや、作品とかじゃないですね。特に意味はないのです。ただ、ずっとやっていたマッサージ屋を再開発で閉じることになったので、記念に閉店セールをここでやっています」

どうもよく意味がわからないが、「特に意味はない」ということなので、そういうことなのだろう。

私はさっき見た白い地図を埋めるようにペラペラと喋っていた。

「私の知り合いの鍼灸師の人で、体の一部を触ると、その人の中身というか、人間性というか、とにかく色々なことがわかるという人がいるのですが、白鳥さんもそうですか」となどと聞くと、「いやあ、全然わからないですね!」と答えた。清々しい答えである。

白鳥さんは、小学校の3年生の頃から盲学校に通っていた。それまでは、いわゆる小学校に通っていたわけだが、「実はあんまり目が見えてなかったみたいで転校しました」という。
「最初の学校のことは覚えてますか?」
「うん、古い木造の校舎で暗かったですね」

そんな白鳥さんが大人なって初めて見た美術展は「ダヴィンチ展」だったそうだ。そのとき、自分は目が見えないけど、展示が見たいのです、と美術館に電話をすると、電話口の人は少し面食らいながら、「そういうサービスはしていません」と答えた。「そこをなんとか」と頼んで、その間口をぐいぐいと切り開いた。
「障害者を長年やっていると、そういう対応も折り込み済みだから」と白鳥さんは言う。

彼は美術だけではなく本も好きで、パソコンの読み上げ機能を利用して、私の過去の本もあらかた読んでくれていた。
「空をゆく巨人も思わず二回読んじゃった。面白かった」
「一冊読むのにどれくらいかかりますか?」
「どうだろう?1日以上はかかったかなあ」
「それは、すごく早いですねえ」

さらに驚いたのは、私の過去の本は全て点訳されているという事実だった。目が見えない誰かが翻訳をリクエストしれくれたのだろうか?
「そうですねー、川内さんの本を好きな人がいるのかも」
そういう誰かがこの日本のどこかにいる、と思うだけで、焚き火のような確かな何かが胸の奥のほうに広がった。

20分が経過した。
マッサージが終わると、実際にパソコンを操作して、どんな風に本を読んでいるのかを実演してくれた。白鳥さんがキーボードを操作すると、本のタイトルがパッと画面に現れ、パソコンが早口でそのテキストを読み上げる。エレベーターとかATMから聞こえてくるような、丁寧さと冷たさがブレンドされたあの音声だ。しかも、パソコンの設定のせいだろう、めちゃくちゃ早口である。私だったらとうてい聞き取れないような恐ろげなスピードにおののいてしまう。しかし、スピードは自由に調整でき、途中でストップすることももちろん可能なのだ、と教えてもらうと、少しホッとした。

その音声を聴きながら、白鳥さんは頭の中で物語に変換していくのだという。耳で聞いたものをさらに別の音に変換? それって絵の上に絵を書くようにごっちゃにならないかしら? もはや脳内で何がどう行われているかは謎めいているが、私が見た文字を自然に音声に変換するのと全く同様のことが脳内で行われているようだ。なるほどー。

他にお客さんはいなかったけれど、あまりお仕事の邪魔をするのもどうかと思い、「ありがとうございました」、そう言って私は美術館の奥のマッサージ屋さんをあとにした。

頭の中には、さっき聞いた超早口のパソコンの音声がざらざらと耳の奥にへばりついていた。気がつけば首の痛みは少しよくなっていた。
遠路はるばる来てよかった、と思った。

***

そんなマッサージ屋さんは、基本的に金土日のみの開店なのだが、GW中は毎日開店しているらしい。首が痛い人も、腰が痛い人も、どこも痛くないひともぜひとも水戸へ。
すごく運が良ければ点字のパズルに挑戦できるかも。


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