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偏頭痛とヨガとわたし

急に暑くなった五月の午後、外で作業をしていたら頭の中でがーん、がーんと鐘がなりだし、ぐおおおーと急激な偏頭痛が始まった。それからは、もうご飯も喉を通らず、身動きもとれない。できることは、ただ寝てることだけ。

左側の奥がじんじんと痛み、痛みが体全体を麻痺させていく。

ごーん、ごーん、ぐわーん、ぐわーん。

「ママ、冷えピタだよ」

 そんなとき、四歳の娘が「冷えピタ」を渡してくれる。

「ありがとう」と言いながら、ただ横になっていることしかできない自分が情けない。

***

数年前から、忙しさや疲労が蓄積してくると、突然の頭痛に見舞われ、もうその日は起きられない、ということを繰り返してきた。始まったのは出産した半年後くらいだったと思う。その日の症状はめまいだったのだが、その後は頭痛の方がひどくなっていった。私の場合、いったん頭痛がはじまると短くても24時間、長いと48時間続く。その間は、ほぼ何もできないし、気持ち悪くてご飯も食べられない。原稿を書くとか、人前で喋るということなど全くミッションインポッシブル。だから、イベントとか締め切りの前はいつもドキドキして、「頭痛がおこりませんように」と祈るしかなかった。いまのところ、祈りが通じているのか、それとも自分の精神力のおかけげなのかは謎だけど、仕事や取材をキャンセルする、という最悪の事態はおこっていない(旅の途中で、というのは時々あるけど)。

それにしても、頭痛というのは嵐と似ていて、いったん過ぎ去ってしまうと全くなんでもなく、ああ、平和な日々が戻ってきた、やれやれ、となる。まさに喉元過ぎればなんとやらで、「そうだ、もう二度とあんな頭痛はやってこないに違いない」と妙に楽観的にすらなってしまう。しかし、毎年の台風と同じで、嵐は繰り返されるのだ。ある日突然始まるグオーン、グオーンという鐘の音。ああ、きたー! その後は、家族に「ごめん、また頭痛だ」と伝えて、ひたすら横になって過ごす。

そんな私を見かねた夫のイオくんが、あるとき毅然とした態度で「頭痛外来にいきなさい。ほらここ! もう今日、行ってきて」と告げた。送られてきたクリニックのリンクを見ると家からそう遠くもないようなので、「はい・・・行ってきます」と言って、さっそくアポをとった。

もしかして、脳に何か問題があるのかもしれない、と緊張しながら向かったクリニックでの診断は「偏頭痛」。念のため、脳ドッグも受けたけれど、少なくとも脳に異常は見当たらず、「とっても綺麗な脳です。これならあと5年は検査しなくていい」というお褒めの言葉までいただいた。

先生によれば、偏頭痛は、脳の血管が膨張して起きるというメカニズムらしいので、対策としては冷やすのが正解。私は長いこと風呂に入って温めるという真逆のことをしていたので、何事も自己流はよくないなあと反省ひとしきりである。

***

さて、偏頭痛のメカニズムはわかったものの、別にそれで症状がよくなるわけではない。そして、この頭痛がもはや二度と去らずに、私の頭の中でずっしりと停滞してしまったらどうしようと想像すると、心から恐ろしい。

そうなったら、私はもう原稿も書けず、旅にも行けず、趣味のDIYもできず、連載は打ち切り、小屋も完成せず、家族や友人とも出かけられず、お金もなくなり、気分も落ち込み……ああああ、そんなのダメだ、絶対に、絶対に頭痛とさよならして、健康にならなければ!

結局は血流の巡りが悪いというのが問題なのだろうと思い、一念発起してヨガに通うことにしてみた。事務所の近くのこじんまりとしたヨガ教室にいってみると、少人数でじっくり丁寧に教えてくれて、ポーズの歪みなどもしっかり矯正してくれる。全くの初心者なので、ヨボヨボすぎて、体が動かないのはかなり恥ずかしいんだけれど、もう恥ずかしいとか言っている場合ではなっく、むしろヨガの先生たちに「頭痛を直したい」とアピールしまくり、「頭痛に良い」というポーズを教えてもらっている。

ヨガは自分に合っているようで、セッションが終わった後は毎回すっきり爽快な気分だ。水泳のようにああーだるいな、もう仕事のやる気もでないぜ、という感じもなく、ランニングのように、今日は寒いから明日でいっか!という言い訳もできない。うん、これなら続けられそうだ。やるぞー!

というわけで、いまヨガを始めて六週間が経ったところ。実は、この間に一度も頭痛がおこっていない。だから、もう少し続けてみようと思う。報告はまた次回に。


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