見出し画像

”本番”を生きよう

週末二日間、いわきに行って来た。
「いわき万本桜 春祭」、そして『新復興論』で大佛次郎論談賞を受賞した小松理虔さんを「祝う会」に出席するためだ。

「春祭」では、1日目は細美武士さんが、2日目は地元のフラグループや七尾旅人さんなどが出演。屋台もたくさん出て、二日間の春祭は大いに盛り上がった。私は、日曜日の夜に帰ろうと思っていたのだけれど、なんかその祭り気分をずっと満喫したくなり、突如山の家に一泊した。

そして、春祭から一夜明けた朝、美術館の周辺の山々を散歩。すると、あたりの光景はいつも以上にピースフルで、輝いて見えた。

すごい。
二日間、屋台が出て、フリーライブであれだけの人が集まっていたのに、ゴミひとつ落ちていない。鳥の鳴き声が響き、桜が蕾を膨らませ、木々が複雑な影をつくる。その「いつも通りの朝」にこそ、私はこの場所にすごさを感じてしまう。

たぶん、誰もが望めば当事者になれる場所だからこそ。ここを大切にしたい気持ちが、翌日の朝にはっきり現れる。その朝、「各地の公園が花見客のゴミで荒れている」というニュースをみたばかりだった。

————

春祭で初めてここに来たという若い女性は、「ずっとここがこんな素敵な場所であって欲しい」と志賀さんに伝えていた。

すると志賀さんは、
「いて欲しい、ではダメだ。そう願うなら自分もそこに参加しないと」
と伝えていた。

そう、願う人生や世界は自分で作り上げるしかない。誰かにやってもらいたい、そう思っているうちは、いつでも”お客さん”なのだ。

いや、最初はお客さんでもいいと思う。でも、ある時からは当事者になるといい。そこからが、人生の本番だ。

そうやって当事者になることを選んだのが、津田大介さんであり、細美武士さんだろう。津田さんは年に10回は草刈りに来るし、細美さんは去年に次いで2回目のフリーライブ。「来年もここで歌いたい」という去年の言葉を本当に実行した。


細美さんのライブがあった土曜日は本当に寒い日だったけれど、朝からたくさんのファンの方が詰めかけた。かじかむ手を温めながらギターを弾く細美さんは、熱燗をぐびぐびと飲みながら歌い始めた。

「全然桜咲いてないけど、残念なんて思わない。だってこれから咲くんだろうー!楽しみだなあ。いつか満開にぶち当たるまで続けていこうかな。15年くらいかかったりして」
そんな細美さんを、熱気で温めようとするかのようなみんなの満ち足りた時間が続く。その間に、たびたび「空をゆく巨人」も話もしてくれ、ファンの方に興味を持ってもらえた。

最後に志賀さんが、なぜこの場所ができたのかを話した。

---------------------

二日目に歌った七尾旅人さんの歌は、とても優さに満ちていて、声が知らない楽器みたいで、とても心地がよかった。旅人さんは子ども達と自由にコラボしながら、ステージから「ねえ、誰でも曲って作れるんだよ」と話しかけていた。旅人さんの音楽ライフは、自分の鼻歌をテープレコーダーに吹き込むところから始まったという。

旅人さんが歌い終わったあと、また志賀さんが話をする。志賀さんは、何度でも同じことを話す。ーー伝えたいのだ。

「お客さんには来てもらいたくないんです。ここは、観光客を集める場所ではないのです。でも、一緒に何かをしたいという人はいつでも歓迎します」

伝わっているといいなと思う。ここはただのフリーライブの会場ではないことがーー。

誰だって、曲が作れる。
誰だって、アートを作れる。
誰だって、文章を書ける。
いや、そういうものでなくてもいい。
草を刈るのも、焼き芋を焼くのもいい。

願う世界に参加して、なにかの当事者になれば、人生はぐんと楽しくなるし、世界はそういう本番を生きる人々で作られていく。自分の人生のお客さんではなく、主人公になれるのだ。

早朝の万本桜の山では、1年前に私が家族と一緒に植えた桜が初めての可憐な蕾をつけていた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?