本という「贈り物」。ゲラの上の熱いやりとり

この間、三輪舎・代表の中岡祐介さんと大船にできたばかりの新刊書店・ポルベニールブックストアで対談させていただいた。

三輪舎は『本を贈る」という本を出版している。それは、本に関わるひとたち、編集者、装丁家、詩人、印刷屋、校正者、書店員など10人が寄稿するもの。いい本だ。ともすると、こういう本は、いろんな人のお仕事を紹介するようなビジネスチックな本か、なんだかゴチャゴチャした本になってしまいそうなのに、この本はちゃんと10人の文章が響き合っている。文学として成立している。そして、本としての佇まいもいい。装丁家・矢萩多聞さんの、一見すると、まったく何がなんだかわらかない装画も何かを訴えてくる感じがある。

そう、本というのは著者だけでできるものではない。七転八倒して原稿ができたあとは、色々な人にバトンをわたし、最後の最後にようやく読者のもとに届く。それは、まるでリレーのようだ。

だから、中岡さんは「本は贈り物」だと言う。
イベントでは、そんな「本を贈る」で描かれた一連のプロセスをもとに、「空をゆく巨人」ができるまでを紐解いていった。

イベントでは、いろんな話をした。執筆プロセス。帯のこと。装丁のこと。読者のみなさんに本を届けること。
なかでも、他のイベントと一番異なる点のは、ゲラのフルセットを持っていったことだろう。普通は、ゲラというのは出版社に戻してしまうので、作者の手元に残らない。しかし、このイベントが決まったときに、ちょっと無理をいって出版社から返してもらった。せっかくなので一冊の本が、いろんな人の仕事で成り立っているとことを実感してもらいと思いついた。その「現場」がつまっているのが、ゲラである。

説明が遅れてしまったけれど、ゲラというのは、作者が入稿した原稿を、実際の印刷レイアウトに合わせて目次や本文を印刷したもの。実にずっしりとした紙の束である。なんで「ゲラ」と呼ぶのかは全くもってしらない。

「空をゆく巨人」の場合、最後の「念校」まで含めると5回のゲラがでたように思う。これは賞の関係で一般よりもずっと多く、普通の本ではゲラは初校、再校の2回である。残念ながら5回全部のゲラはもう残っていなかったけど、3回目あたりのゲラがフルセットで出版社に残っていた。

ゲラが出てくると、何をするのか?
まず校閲さんや編集者がエンピツにより色々な指摘や修正すべき点などを細々と書きいれる。それ見ながら作家も様々な修正点を書き入れていく(鉛筆は使わない)。いわゆる「赤字」というものだ(わたしの場合は青ペンで書くけど)。同時に、校閲さんや編集者の指摘を見ながら、実際にどう修正するかどうかという指示を書きいれていく。写真は「空をゆく巨人」の実際のゲラである。お分かりの通り、鉛筆と青字が入り乱れている。

校閲さんの指摘というのは、明らかな誤字脱字から始まり、微妙な言い回し、ファクト・エラー、原稿内の矛盾、作者の勘違いかもしれない点、わかりにくい表現など、もろもろが含まれる。しかし、その「わかりにくい表現」すらも、もしかしたら文章表現の一部かもしれないので、そんな指摘には「念のため」という言葉が書き入れられる。

わたしは、毎回この「念のため」に毎回うならされる。いやあ、よく見てるなあ。念のため、ありがたいです、念のため。念のため。念のため。

納得して、思わず、「そのとおりですね!」とゲラに書き入れて、返答してしまうこともある。

わたしはこのゲラの「赤入れ」作業が、とても好きだ。紙の上の、編集者や校閲さんとの密なやりとりがなんともいえない。熱い言葉のしぶきが飛び散る感じ。編集者はともかく、わたしたち作家が校閲さんに会うことはまずない。だから、こちら側では、勝手に紙の向こう側にいるその人を想像して楽しんでいる。

わたしの場合は毎回、最初の一文から最後の一文まで全部通しで読むので、赤入れ作業はとても時間がかかる。しかし、読むたびに文章がぴっと整って立ち上がって行く感じがある。転調して、リズムがかわり、原稿からまた違う音楽がなり始める。

最終的に、ゲラはみんなの書き込みが入り乱れて、果てしなくぐちゃぐちゃになっていく。特に自分の赤字は、ひどいったらありゃあしない。赤字の上にさらに赤字を重ねて修正したり、紙が足りなくなって、別紙をくっつけたり。「空をゆく巨人」の場合は、「念校」と呼ばれる本来ならば赤字を入れるべきではないゲラを戻した後まで、編集者のKさんに電話をいれて直し続けた。
「ごめんなさい!急に思いついちゃってどうしても直したいんです!」
そう言うと、Kさんは「わかりました、まだ間に合うか印刷所に確認して見ます」と軽やかに言ってくれた。結局はギリギリで間に合い、その部分も直すことができた。最終章で、最初で最後の一度だけ「空をゆく巨人」という言葉が、本文に登場する場面である。

「直せました!」と聞いて「わーい!やりきった」と爽快な気分になったのと同時に、なんだか寂しい気持ちになったのを覚えている。ああ、もうゲラとお別れなのねー。大切に育ててきた雛が飛びだった後の巣のような。

それにしても、こんなひどい赤字をひとつずつ紐解いてちゃんと最終稿にしてくれる誰かがいる(おそらく印刷屋さん)。まだお礼を言ったことはなかったけれど、この場を借りてありがとうございます。いつもゲラをぐちゃぐちゃにしてしまって申し訳ありません。

というわけで、一冊の人には実に多くの人が関わっている。

だから本は贈り物なのだ。


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