波間に泳ぎだすように。

テープおこしを始めた。
70分のインタビューをちょっとずつ。
テープおこしは好きでも嫌いでもない。

パソコンのなかに新しいフォルターを作り、ファイル名をつけてテープおこしをはじめる。そのとき、なにかスイッチのようなものが押された感覚があって、ああ、いまこの瞬間に始まったんだなって感じる。

それでも、まだ「正式に企画が始まりました」とまでは言えない。企画が始まる前の、さらに前の段階が始まったというくらいで、要するに卵にすらなっていない。鳥がお腹のなかに小さな卵を宿したけど、卵は本当に生まれるのかまだどうかわかりません、だって、この先はどんどん嵐が来るらしいんですもの、ひゃあっ! てな感じ。

これまで、たくさんの著者インタビューを受けてきて、必ず最後のほうに「次はどんな本を書く予定ですか」と聞かれるわけだけど、その質問に答えられた試しがない。だって、私の場合は、「これです!」と公言するまでにけっこうな勇気が必要になる。本を書くというのは、膨大な時間とか、責任とか恥とか苦悩とかお金とか色々なものを伴う行為だから。ああ、有言実行の人が羨ましい。私は「有言」することが苦手だ。

だけど、この卵を宿す段階まできたぞ、というのは実に大きなことなのだだ。

私は落ち着きのないタイプだから、いろいろな衝動やワクワクのかけらが転がっている。静かな湖面がぷくっと泡立って、すーっと何かが横切っていくようなものを目撃すると、衝動的にそれを追ってみたくなる。しかし、その湖の中にいる生き物が果たして自分の求めるものなのか、いや、求めるというのは強すぎるなあ、正しくは、自分と合い交わるものなのか、ということを見極めなければいけない。(「空をゆく巨人」の時は、そこに至るまでに一年半くらい)

それでいて、慎重で天邪鬼な部分もあるようで、この間に、なんどもその湖の中にいるらしい謎の生物のことをすっぱり忘れたいとすら思う。それでも忘れずにいて、逆にもっと心を占めるようになり、やっぱり湖に漕ぎ出したいなあと思えば、本物の「湖面、ぷくり」=「自分の中の企画会議が終了」というわけである。

今回は「湖面、ぷくり」から3ヶ月ほどがたち、その波がちょっとずつ大きくなってきた感じがあり、めでたくフォルター作成、までに至った。

ファンファーレも契約書もテープカットも上司の承認もない、一人きりの静かなスタート。

波間に泳ぎだすように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?