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『牙 アフリカゾウの密猟組織を追って』

先日、小学館ノンフィクション賞の授賞式にいってきた。

授賞作品は、三浦英之さんの『牙 アフリカゾウの密猟組織を追って』。以前、『五色の虹』で開高健賞も受賞されている現役の朝日新聞の記者の方である。

私は、三浦さんと雑誌の対談させていただいたご縁で、今回、授賞式にお招きいただいた。審査員は高野秀行さん、三浦しおんさん、古市憲寿さん。


三浦さんは、「スーツがなかったので、ジャケットを買って着てきました」という一方で高野さんが、「海外取材から帰国したばかりでなんとなくビーサンとTシャツで来てしまった!」 などと話していて、ノンフィクション好きな人が集まる和気藹々とした会だった。高野さんとは、去年の『辺境メシ』対談以来。久々の「軍団集結」となったのも嬉しかった。

突然ですが、いまアフリカゾウはもはや絶滅寸前、このままいけば絶滅は避けられないという差し迫った状態だということを、みなさんご存知でしたか? 

恥ずかしいことに、私は、ほとんど知らなかった。

いや、もちろん、数が相当に減っているというのはあちこちで見聞きしていたけれど、「もはや絶滅寸前」という自覚まではなかった。危機の理由は、環境や気候の変化なんかではなく、密猟と密輸という完全に人的なものである。

受賞した『牙』は、南アフリカ駐在員だった三浦さんが、アフリカゾウの置かれている状況を知り、密猟組織のドンと言われる「R」という人物にジリジリと近づこうとしながら、そこで見えた現実、出会った人々、発覚した事実を、そのスリリングな取材プロセスと共に描いたものだ。

一見すると、アフリカかあ、日本にいる私たちにできることはないようなあ、と思ってしまいそうだけれど、実は大アリなのだ。本は、アフリカゾウの絶滅に、日本人の人々が無自覚に関わってしまっていることを伝えている。

ゾウたちは、生きたまま顔を大きくえぐられ、悶絶しながら絶命する。そうして象牙の多くは、最後は中国に運ばれるといわれるが、その時にある役割を果たしているのが、実は日本の市場なのである。というのも、日本は現在のところ、象牙の取引を公的に許している唯一の国なのだ。

なんのために? 

主には、印鑑市場のためである。

本を読みながら、正直なところ、私は、えっ? 印鑑!? と驚かされた。

だって、印鑑だよ。はっきり言って、もう請求書にも銀行口座開設にもなくもいいんじゃないの? と思えるほど時代錯誤なもののために、一つの生き物が姿を消そうとしてるなんて。そのあまりのギャップに驚かされた、というのが率直な感想だった。

しかし、それはあくまでも私の感想。なかには頑なに象牙の印鑑市場を守ろうとする人々もいるらしい。そこもまた、理解が追いつかず驚かされる部分である。

『牙』の最後のほうに書かれているが、2016年の国際会議において、多くの国が、「アフリカゾウの絶滅を避けるためには、すべての国内市場を閉鎖する必要がある」と主張し、中国すらも象牙市場を閉じたにも関わらず、日本だけが頑なに例外を求めて首を縦にふらなかった。

なぜだろうか? その主張の盾になっているのは、「日本で取引されている象牙はワシントン条約成立以前に入ってきたもの。そして、国内市場は適切にコントロールされているので、密猟などに加担するものではない」という「正論」に基づいた政府方針である。

しかし現実には、「正論」ではアフリカゾウを守れない。地球のどこかで市場が開いている以上は(ようするに日本)、そこが象牙の密輸の隠れ蓑になり、アフリカゾウは絶滅してしまう、というのが世界的な懸念だ。絶滅を止めるにはもはや、「規制・コントロール云々」ではなく、とにかくいったん地球のすべての国で全面的に国内取引を禁止するしかない。それほど、かなり事態は崖っぷちまで追い込まれているのである。

私は10年前に、南アフリカのクルーガー国立公園でゾウの群れをみたことがある。夜明けの直後、静かな森の朝に、ゾウたちは飛びはねれるように陽気な雰囲気で向こうからやってきた。足音はほとんどせず、森の中はとても静かだった。私たちは息を飲みながら、ゾウの群れの散歩を驚きとともに眺めていた。群れの中には小ゾウもいて、群れは小ゾウを守るようにして集団で歩いていた。ゾウは私たちに気が付いたけれど、特に警戒した様子もなく、ほんの十メートルくらいの距離まで近づいてきて、その後は静かに森の奥に姿を消した。

あのとき、私は、自分が使っているハンコが象牙かどうかなんて全く考えなかった。ただひたすらゾウの朝の散歩の様子に感激していた。
あれから10年がたち、「牙」を読んだ。
読み終わって最初にしたことは自分のハンコの素材を確かめることだった。印鑑ケースを開けてみて、ほっとした。とにかく木製だった。ついでに娘の分も確かめると、やはり木製だった。

しかし、大切なのは、いま自分が使っているハンコの素材が何かを知ることではない。むしろ、ただ、「これから象牙のものは一切買わない」という意思を表明をすることだろう。簡単なことだ。象牙は日用品ではないから、象牙がなくなって困るということはほとんどないだろう。

いやいやいや。
日本人には関係ないでしょ。悪いのは密猟、密輸入する奴らじゃないかなど、そう思う人にこそ、『牙』を読んでほしい。自覚があろうと、なかろうと、いま責任の一端を追っているのは、象牙の消費者である日本人も同じだ、というのが本の肝の部分だ。

私たちの無自覚が、密猟者たちに象を殺す動機を与え、殺戮のための資金を蓄えさせ、アフリカゾウを絶滅まで追い込んできた。そういった現実を受け入れず、頑なに「アンダーコントロール」を唱えていると、その間にもアフリカゾウは日々殺され続け、遠くないある日、世界から姿を消してしまう。

そういうギリギリのタイミングで、この本が日本で出版されたことはとてもも意義深い。広く読まれて欲しいと思う。最後になってしまったけれど、

三浦さん、本当におめでとうございました。


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