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【ネタバレ】超普遍的シャニアニお気持ち感想文

注意

本記事はアニメ「アイドルマスターシャイニーカラーズ」についての感想文です。ネタバレがあります。


注意

・地味にネタバレです。
・ポジ寄りのポジなお気持ちが多分にひしめいています。
・筆者はシャニマス有識者でもあるし、アニメ評論なんて余力で余裕。
・理知と教養に満ちています。
・誤字は飛び出します。

はじめに

 シャニマス5thライブday2、池袋のカラオケボックスにいた。
 演者が袖に捌け、アンコールが始まる。長い拍手。音が響いて、

PROJECT IM@S 3.0 VISION CREATE POWER WITH YOU!

 そして、見たことのないPVが流れる──

恋じゃんこんなの

 まさに完璧なアニメ化発表だった。
 けれど二点だけ物凄く気になることがあった。

 「ん?周りのオタクうるさくて声聞こえんくない???」

 「ん?何で僕は現地にいないの???」

 現地民だったら、よかったんだけどなぁ。

 と、いうわけで。

 アニメ「アイドルマスターシャイニーカラーズ」劇場先行上映全編を無事に見終えたので、満を持してお気持ちを表明していきたいと思います。
 TLの不安な様子とお気持ち表明ラッシュに逆張りァーするわけにはいかない、今後手のひらクルクルするかもしれないとずっと感想を書くのは控えていましたが

 もう我慢しなくてもいいよな!!!


自己紹介

 まず感想文を書くにあたり、筆者の自己紹介をしたいと思う。

名刺

 筆者のシャニマスP歴は2年少し。
 コロナウイルス感染症で研究活動ができずに暇を持てあまし、流行りのvtuver見物をしているところでシャニマスを発見。
 色々やっているのが面白くて現在まで続けていた古参P。
 担当アイドルは櫻木真乃。
 イルミネが好きだけど基本283プロ箱推し。分け隔てありつつ全アイドルが好き。
 ライブイベントは『THE IDOLM@STER SHINY COLORS Xmas Party -Silent night- day2』が初、それから研究や仕事、チケットの都合があう限り現地に行っている。
 アニメは昔からたまに見ているが、アニメに限らず色々楽しんできた。

 そんな人間が書く感想文です。これは。

 それから、去年の2月あたりからMOIW2023でミリオンの沼に引きずり込まれそうになったりミリアニに超感動したりしたのと、オフ会でsideMのMVをダイマされてめっちゃ感銘を受けたのとで、今回はミリア二やsideMのMVとの比較も適宜する。しっかり頭から切り離せている上に見識の深い僕様にとって、フェアであることは難しくないので。

シャニアニ、おぉー!

 超良い、とまでは言わないけど。
 めっちゃ何とかなってるなーっ!
 て。

 思ってしまった。
 楽しかった。
 大好きなシャニマスの、テレビアニメという大チャンスの、一大プロジェクトが……こんなファイティングスタイルのガン攻めでスタートしたのが面白くて仕方がない。もうこの際、恥も外聞もかなぐり捨てて言うけど、
 正直だいぶおもろい作品だった。

 勿論、悪いと言ってしまってよいところも少しあったし、3DCGでつくるの難しいんだろうなーとか、キラキラした(?)表現媒体の特性に応じた課題も感じ取れた。
 ただ、挑戦という意味ではずっと面白かった。

 しかし、タイムラインを見ると感想は批判の嵐。あれ?この人たち本当にぼくと同じものを見たのか?
 本当にあれがつまらないと思ったのか?
 それほどこき下ろすような出来なのか?
 見返すほどに同じ考えには至れなかった。
 正直見たときの満腹感はエグかった、「実在性」の二郎系ラーメン?感情の正負(?)とはかけ離れた面白さもあった。

 明晰な気持ちを放ちながら初回で観に行った第3章。結局手のひらは翻らなかった。

 ここからは本作の要素を大雑把に分けて、それぞれについて素直な感想を書いていこうと思う。


各論

3Dモデル──人物オブジェクトの描写について

超すげぇ!!!!!!!!!!

 そもそもの話として3DCGは女性の身体描写には向いていない。
 
まず、男性の肉体と女性の肉体とでは、それぞれに想起する印象が異なる。もはや陳腐な説明だが、男性における肉体の理念は骨格筋による直線の構築であり、女性における肉体の理念は脂肪の描く豊かな曲線だ。
 僕たちは、「ゴツゴツしている」と表現される身体を男であると認識するし、男の身体であると説明されたとき無意識にゴツゴツした肉体を基準において認識している。
 女性の肉体についても同じことが言える。
 ちなみに中性的な肉体は、直線の構築性や曲線らしい膨らみに欠けた肉体を指すと言えるだろう。

sideMさんより神速一魂

 さて、現状において3DCGの人物はゴツゴツする傾向にある。
 
理由は単純明快で、人間の理知を模したコンピュータというものは理知に基づく処理の再現性に強みを持つのだが、直線という単純な情報の構築物である男性の肉体に比較して、自然な身体の曲線は個別の情報処理処理を必要とする巨大な情報だからだ。例えば胸の膨らみなどは典型だ。
 肉体から少し離れた髪の描写に限っても、女性の描画に要求される個別の情報量は非常に多い。そして描画する数が多いほど複雑な処理が必要になる。
 3DCGは女性を描くのが苦手なのだ。

 さて、では世の作品はどのように3DCGで女性を描いているだろうか。

 現状の3DCGは、4つほどの方針、①隠す②まとめる③デフォルメする④個別に処理する……に基づいて雑多な──analogな情報を処理しやすいdigitalな情報に変換するよう、つまり情報量を減らすよう試みている。

 まず肉体の理念を想起することを避けるために、隠すことが頻繁に行われる。
 例えば衣装などは何かを示すと同時に身体を隠してもいる。見えなくすることによって特にシルエットが不明になり、身体そのものの情報量を下げることができる。
 影なども光源との相互作用があり、隠すことに大きく寄与している。  

 次に、課題として有名な髪の描写に関してはまとめることが多いようだ。実際の身だしなみとして髪を括ることは十分に一般的でもある。髪の一本一本ではなく、一括りにした房を一単位として描写することで、後述する個別処理の対象を減らすことがある。

 さらに、デフォルメする……より一般的な表現では抽象化することがある。絵の表現がそうであるように、写真ではないので何を描写するのかはその都度製作者が決めている。描写しないもの、描写するものを適切に取捨選択することで単純に情報量が減らせる。3DCGの女性は出るとこ出てない、もといスラっとした体型に寄せた方が情報量を減らすことができる。
 
 以上の方法で解決できないものや、納得のいかないものは個別に処理することもあるだろう。あくまでも表現におけるコンピューターの強みは同一処理の再現性にあるため、同一処理の組み合わせで解決できない場合には、それぞれの場合ごとに処理される。
 そういうわけで、3DCGモデルにおいては、下半身からの直接要求ではなく、3DCGの特性に応じた課題解決型の思考こそがおっぱいを揺らしていると言ってよいだろう。 

表現のcrystalがよ……

 さて、ここまでを前提に本作の3Dモデルを見ると、やりたいことへ妥協の極めて少ない、おそらく力押しの産物だった。3DCGといいながら人の力でできているといって過言ではないだろう。
 特に髪の表現などは、安易に括ることは避け、実現可能な限界まで多くの毛束を描写している。「『ふわっ』とするのが可愛い」という人も良く見かけたが、これが「可愛い」と思えるだけ自然になっているのはマジで超凄い

多数の毛束がそれぞれ動いているが破綻していない

 櫻木真乃に限らず、髪が長くて癖もある人物であったり、髪の流れが干渉しやすい肩回りにあったりしても構わずに描写している。
 加えて言えば、2ndLIVEのキービジュアルでは、作中に登場した衣装でもある『ビヨンドザブルースカイ』を身に付けたメンバーが全員髪を一つに結っている。
 制作の工数や「見目良さ」、本作のシナリオの本筋である個体性から全体への接近だけを優先するのであれば、「2ndLIVEのキービジュアル準拠」を名目に頭部の差分を作ってしまってもよいようなものだ。

THE IDOLM@STER SHINY COLORS 2ndLIVE STEP INTO THE SUNSET SKYのキービジュアル

 それなのに、本作ではあくまでもそのまま制作している。
 ここには、どちらかと言えば本作でのコンセプトや、あるいは各キャラクターの原型を示しておきたいというような考えが覗かれる。
 そういった点では、新しくシャニマスに触れる人の今後の楽しみに寄与する可能性がある努力だとも言えるだろう。

こがたんとかは映るだけでもカロリーが高そう


3Dモデル──スペースについて

アウトドア派!!!!!

 3DCGでの製作は、オブジェクトとスペースが意識されるところだ。
 表現について言っても、スペースとして区切る場所の選定や、その背景として描くものの取捨選択、アニメであれば特にそれ自体が連なる印象派の作法との整合性などといった創作に通底する課題が、シーンごとに現れるようだ。
 異なる背景を必要とするシーンでは、それぞれ異なるスペースを作製することになる。例えば絵や小説では創作に要する他の要素との並列処理や大胆な省略ができるものを、ある程度設定することが必要だ。
 光源はその代表例として全体に大きく影響するだろうし、それ以外のエフェクトの選定も含めて設定可能な要素が非常に多い。

 sideMのMVでは、描画スペースをある特定のステージに固定することで、そこで設定するべきエフェクトなどのパラメータやオブジェクト自体に注力することができている。sideMのMVは人物モデルも含めて3DCGに向いた対象、条件で作成されていると言えるだろう。

sideMさんよりもふもふえん

 さて、それでは最近製作されたミリオンライブ!のアニメではどうだろうか。
 ミリア二では情報の多すぎる街中にはあまり出ていないようだ。外出するにしても、多くは舞台同様に背景情報が伝わりすぎない夜や、外界と隔絶され多くの自然物系オブジェクトを描写する必要がない海などを中心にいくつかピックアップしている。
 また光源についても上あるいは屋外などに固定して影の描写を簡略化している。

ミリオンライブ!のアニメ第7話

 また、2Dとの組み合わせで製作されたとのことであるが、それぞれの描画における見た目上の特徴を減じていく過程で、僕様にもそれぞれの描画がよく分からないようになっている。

比較的2D,3Dの差異が分かりやすいミリオンライブ!のアニメ第1話

 一方で、本作は外、特に雑多になりがちな街中に出ようと試みていたりするのが面白い。だいぶアウトドア派だ、オタクくんたちと違って。
 特に光源についての試みは多く、「舞台演出」を根拠に自由に設定できるライブシーン以外にも、屋内外問わず日常のそれぞれのシーンで強く光源を設定したりしている。

画面左上からの光を遮ったスカートの影に注目

 このシーンの設定や画面構成の工夫にもかなり労力がかけられているところが多く、かなりクリエイティブな印象だ。

画面中心前方に光源を据える構図上の面白さがある


アニメーション

こだわりつっよ………………………

 実在性への冀求は言うまでもない。ここでは省略する。

 ダンスも面白かった。
 今回のシナリオ主題でもあることだったが、舞踏においての目標の一つには全体への収斂がある。
 ところで、3DCGは処理の再現性に強みがある。モーション情報さえあれば、同系統のモデルで同一の動作が適応できる。
 つまり、3DCGによるライブ製作と舞踏を通した文脈の構築は、「同一の動作が実現される」という点において既に完成が保証されているという、ズルい面白さがある。
 ミリオンライブ第9話クライマックスでの『READY!!』では、バックダンサーとして参加した「ミリオンスターズ」のメンバーと、「765プロオールスターズ」の収斂の文脈があり、その象徴としてライブシーンがあった。(このシーンの撮影や処理もかなり面白いが本記事では省略する。)

ミリオンライブ第9話の『READY!!』

 オープニングでは本作もこの利点を活用している。しかしながら、本編ではこの保証された最高水準の完成には見向きもしなかった。
 本作のシナリオでも、ミリアニと同様に収斂の文脈は強く存在し、ライブシーン終盤も確かにこれを意識して作っているのだが、それでもモーションは各個に描写している。
 あくまでも「収斂である」という表現への強烈なこだわりを感じる。
 実にロマン溢れる挑戦だ。

観測範囲では割と不評気味
絵的にも動作的にも綺麗だが、人物変化に伴う画面の変化を際立たせるとなお良さそう



シナリオ構成、演出

取捨選択や優先順位の設定は良くないが、少なくとも「薄い」ということはない

 個性を描くことにかなりの時間を費やし、その後シンプルなシナリオラインと素朴な構成を作ってから書きたい要素を詰め込んでいった印象だ。
 ペースでいえばかなりスローで、ミリオンライブ!のアニメで言えば、第4話までの内容で全編を作っている。

 また「実在性」への冀求と、劇的な効果や脚本上の要求が衝突したときに、「実在性」を優先することも多かった。脚本自体にも「実在性」を表現する要請があったような印象を受ける。
 そういうところを見るに「物語としての良さ」の優先順位は制作段階からある程度は低めに設定していそうだ。
 ただし、第二章ではW.I.N.G.への挑戦を描写するために行われた構成上の工夫から劇性も高まっている。

 感想としては、「実在性」を描写することに注力して作品としての均衡を損なっているかと思う。
 enza版では表現媒体による制約で直接提示できる情報自体が限られているため、「実在性」が豊かであるとほとんどの場合で嬉しい。
 一方で、今回映像媒体として鑑賞すると「実在性」は一部過剰だったように思う。
 意識の上に展開されていく「実在性」と、解釈の必要な文脈を帯びた描写の数々は、この僕様をもってしてなおやや食傷気味なボリューム感だった。
 例えば、次から次に運ばれてくる珍味を食べ続け、一方で水はほとんど飲めないまま、味も匂いも混ざって味覚嗅覚が漫然としてしまうような感じだ。僕は一つ一つの品の味も知っていれば、噛み分けることもできるために、美味しいらしいことは分かる。しかし、原体験として感じるものは厳然と雑多なままで、無意識だけの力で最後まで興味を持ち続けているわけではない。
 「実在性」を帯びた描写をある程度減らしてでも、物語然とした劇的な描写の構築に時間を使った方がかえって味わいが良くなりそうだ。
 現状は情報のバックグラウンドの高さが抑えられていなくて、一つ一つの「実在性」が際立っていないように感じた。

 ……というのは第3章直後の感想だからだろうか。
 振り返ってみれば、シナリオに関する「実在性」については、各章でのグラデーションがある。
 第1章では原作のオマージュでモチベーションを上げることすら辞さずに論理的に構成してあるし、第2章ではそこからマージナルになって、第3章では「実在性」の優先度が傾倒していると言っていいほど高かった。
 ここが実験的、つまり完成度や観客の感想によるフィードバックを前提としたような、今後のための試作としての設計を思わせる。
 憶測で話すのは良くないのだが、もしそうなら、集中力やそれぞれの描写への感性の持続という観点から、映画では第2章相当が適切だろう。ただし、TVアニメの放送尺なら放送回の間でのSNSなどあらゆる影響が考えられるためその限りではない。実際の評判を参照できるという意味では反省の価値が十分にありそうだ。

 脚本と構成以外の点で言えば、カメラがほとんど引かれないのが気になった。
 白昼の街中等で顔を大写しにするカットが多いことには技術的にも視線的にも必然性がある。
 一方で、折角の映像媒体なのに、画角を通した情景描写がかなり少ない。
 特に、エロティックな自己に関する孤独の情景に不足がある。

めぐるかわいい

 第1話の教室で一人席に着いたままの櫻木真乃や第10話の合宿夜のプールサイド、第12話の奈落でアンティーカを待つ皆……などは、もっと理想主義的な画の試みで解決する箇所だった。
 それぞれ、後のシーンで重い役割を担うプロデューサー役の経験の絶対量の不足や、賑やかさを作るための雑多さがオブジェクトの数量的制約で出しにくい3DCGの弱点と音楽演出上の制約、舞台そのものの純粋さが作る静寂からさらに大きな静寂を出さないといけない文脈上の要求……など、様々な難しい課題があるなかで、「実在性」を優先するのは必ずしも適切ではない。

雑多さが物を言う賑やかさの創出は3DCGの苦手な分野だ。表現の上限が低くなるのは仕方がないかもしれない。
ここ自体は気持ち嬉しいシーンなのだが、後の静寂の出力を確保するために、メッセージ性や「実在性」を閑却して「カレー作り→プールサイド」を近付ける努力が必要だったかと思う

 また、コンセプトに合致しない欲張りな望みとしては、オープニングの髪飾りが解けるようなエフェクトは明らかな美点の一つなので見たくもある。


音楽

遠慮する必要はないかな

 劇伴はstringsとpiano中心のフィルムスコアリングだった。低弦が強めに出ていて良かった。特にPercussionなどの音数は少ない。
 日常とライブを音楽で峻別する効果、特に第11話からのライブOPなどの効果の最大化を目指したものと思われる。これは実に上手くいっていたと思う。
 一方で、先に述べたシナリオ、演出、構成上の切実な要求があるなかで、比較的自由度の高いフィルムスコアリングでの音楽的アプローチが取れないのはもどかしく感じた。
 管弦楽が高尚であるという誤解や遠慮にかこつけたものがどこかあるように思うので、適宜派手に作ってほしい。

 また、音楽以外のところで言えば、環境音を強調する箇所が良かったので、もう少し増えても良いかと思う。特に第2章のW.I.N.G.前夜の諸々やパーティー後の川などはかなり良かった。



真乃ちゃん

良すぎるかも!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 アイドルマスター真乃ちゃん良すぎるよカラーーーーーーズ!!!!!

第3章ずっと可愛すぎるからオススメ


以下は各話ごとの感想。簡単に。




各話感想

第1話

 全体を通してかなり濃密。
 前半でリアリティラインや表現手法などがガンガン紹介される。色々やっている分この量が多い。この時点でなかなか感動した。同時に登場人物紹介もあるので、初見での完璧な理解を求めて作っているわけではないのだろう。

初見の僕様。BDを見ながら網羅していくレベル。

 シナリオでは、代表として真乃がアイドルになるまでの過程を描く。
 特に第1話は演者への依存度が高い脚本、演出で、新人の夏目響平の芝居に関して言えば、本作で最も重い話だったかもしれない、なかなか大変そうだった。


第2話

 アンティーカ回。
 第2話から第5話まではユニット担当回になるが、このうち第一章の第2話から第4話までは「実在性」を減らしている印象が強い。
 その代わりに、enza版で登場するモチーフやアイテムによって「実在性」の機能的代償を試みているようだ。
 また、ライブシーンでは後の第7話のドキュメンタリーに向けて、カメラワークやダンスに強烈な特徴のあるものが多くて良かった。

 シナリオとしては、上記の通り原作のオマージュを織り込みつつ、ユニットとしてのアンティーカの紹介に集中して構成されている。第1章の感想に詳しく書いた。

 曲の尺を確保し、なおかつ一話で紹介を完結させるため、効率的な進め方が必要だった感じだ。



第3話

 アルスト回。
 文脈が読めなければ難しい内容で、会話での表現と映像媒体の新規表現も含めて、enza版のリスペクトがかなり強い。

 特に、オブジェクトをモチーフにする挑戦の見られる回だったが、どうしても画面の視覚的情報量の多さからモチーフ自体はenza版ほど鮮明に映らなかった。強調するのには難しそうで、さらなる表現が必要そうだ。
 また、会話の応答や視線、画角でエロティックな様態を提示するのはクソ面白かったが、普段から雰囲気だけで話している人もいるし、会話の内容を追うほど集中して画面を見ている人は必ずしも多くはない。そういう意味では「人を選ぶ内容」ではあった。

 個人的にはライブシーン回りまで表現領域として徹底しているのが好きで、照明の落ちるタイミングまで細かい。作り込みがヤバめ。


第4話

 放クラ回。
 この回の冒頭もそうだったが、第1章では大胆に上下するリアリティライン調整の面白さが細部にある。
 この回はリアリティラインを低めに設定して、王道感のある展開を作っている。
 ヒーローショーでの表現と内容は実際にヒーローショーに足を運んだクオリティがあった。コール&レスポンスの形式などが特徴的だったかな、足で書いたねと言われる感じの良さがある。


第5話

 ここから第2章。
 イルミネ回。
 5thライブごろからイルミネは何をやっても泣いちゃう感じになってしまい、『ヒカリのdestination』のdemo版を聴いためぐるが何気なく言った「今日のことずっと忘れないと思うな!」のような言葉に涙腺が緩む。これは鑑賞の障害になるので控えて欲しい。
 所々に注目するべき表現と面白みはあるものの、第一章の各話に比して論理や構成感への理解の有無に左右されないような、分かりやすいものが増えている印象だ。
 物語としても個々のユニット紹介の合間に描かれていたイルミネの話から引き続く形でW.I.N.G.へのシナリオが動き始めた。それに伴って各話での完結が求められた第1章から一気にストーリーらしく感じられるようになっている。

 

第6話

 W.I.N.G.出場までの日々を描写する。
 この話では、論理的な表現や細かい作り込みをオミットし、そこに「実在性」を織り込んである。
 シナリオとしてはテレビ番組での特集が組まれるということで、番組に使うためアイドルによるビデオ撮影が行われる。この撮影に臨む彼女たちの、ビデオに収まった艶やかな断端──尺余りや、曖昧な表情や、ブレた画面や、合わない視線や……が魅力的だ。
 撮影された画面の外でも、特にアルストロメリアのパートが良かった。
 そして最後に描かれるW.I.N.G.本戦の舞台に立った櫻木真乃のビジュが激烈に良い。
 
第1話でもそうであったが、唇の端が頬の緊張に押されているような様子は、3DCGはもちろん手描きのアニメでさえあまり見ない。それをあのような完成度で示せていることに感動した。
 舞台の光に艶めいた櫻木真乃の表情、姿勢、視線……あの姿こそは、本話で描かれた物事の象徴であった。
 作り笑顔を浮かべた緊張の出で立ちこそはモチーフとして物語として完全に機能しており素晴らしいものだった。


第7話

 W.I.N.G.敗北が描かれる。
 第6話の撮影がドキュメンタリー形式で流される。第1章でのパフォーマンスをリプライズしている。
 ここでは画角を不適切に設定されたアルストロメリアや、洗練された動作を映すことで逆説的な魅力の削減を示したアンティーカなどを通して失敗が描かれる。それぞれ画面構成や文脈に依拠しており、人によってはドキュメンタリー映像の彼女たちを見て何も分からないが魅力的だと感じない、という体験ができる可能性もある。
 一方では、企図についての明示的な示唆がある放クラや、以前のシーンなどから純粋な実力不足が暗示されるイルミネなど、比較的理解の簡単なものもあった。
 三者三様に敗北が描かれるのだが、この場面では感情に訴えかけることで尺的な困難を超えられていた印象だ。


第8話

 放クラとアルストロメリアのユニット越境回。
 お互いの影響を受け合う2グループが描かれるが、結果論としては第9話のイルミネとアンティーカの越境要素を含め優先度が高くない。後者はアンティーカがメンバーがそれぞれ多忙になり散り散りの仕事に向かう様子を受けて、櫻木真乃が「伝えたい」という衝動を抱くまで繋げていくのだが、やや文脈の噛み合いが悪い。
 どちらかと言えばW.I.N.G.敗北の印象が残る期間のなかで接続していくべきかと思う。
 実際に生きている人間のリアリティと物語の都合が衝突するときに前者を蔑ろにしたくないという制作上のスタンスは了解している。しかしながら、そこには定量的な基準と判断があるべきだという見解だ。小説の会話文に書くべきなのは実際に放たれた言葉ではないように、脚本にも伝えるための研鑽が必要なのではないか。色気を評価したのは、言葉の目指したものだからと考える。
 このあたりに関してはエンドポイントの設定が不適切だった。

 キックスタートパーティーに関しては明らかに良かった。プロデューサーや七草はづきの出席や、オブジェクトとしてマカロンタワーなどを作ったのが良かったように思う。
 非常に重い描写になったが、会場のリビングに全員集合し、調度品も多数用意できている。
 「これくらいはな」と言う社長の言葉が制作陣に重なって聞こえてくる。マカロンタワーという選択は特に良く、彩りやサイズや数量などから見た目の機能が十分であり、さらには色だけが異なる同一構造の物体を複数貼り付けたものであるという点で制作コストも少なそうだ。コスパの良い発明的選択だと思う。
 これらの結果、後の夜道で声を掛けるシーンの導入は本作で屈指の格調あるシーンに繋げられたよう思う。


第9話

 283プロダクション1stライブでセンターを任された櫻木真乃が『ツバサグラビティ』の歌詞解釈とアンティーカとのやり取りを経て、自らの「伝えたい」という気持ちからセンターを担うことに決める。
 また、『Spread the Wings!!』に取り組むことにする様子が描かれる。
 先に述べた通り、ここは文脈の噛み合いがやや良くない。もちろん、累加するエロティックな様態とその解決への衝動という意味では正しく、人間の心理にも沿う。実際の人間が同様の形式で勇気を示すことはあり得るし、ある程度の写実性が保たれているだろう。
 しかしながら作品として何かを伝えるためにはただ写実性があることが適切であるとは思わない。
 『Spread the Wings!!』への挑戦を表明する櫻木真乃とそれに続いた皆の動き全体の印象がやや薄い。
 ただし真乃ちゃんの顔や歌うための所作はとても良い。


第10話

 いわゆる合宿回。
 櫻木真乃の立ち居振る舞いを象徴的に描きつつ、ようやくダンスを通した収斂の文脈に本腰を入れ始める。
 「実在性」の描写が敷き詰められているのだが、一つ一つが際立たないため見えにくい。
 演出としては、カレー作りからプールサイドへの移動を通して第8話と同形式の描写を試みるが、間に不可欠でない描写も介在し、ここが効果を落とした印象だ。
 また、ダンスの練習と上達を描くのも良いのだが、少なくとも映画の上映時間のなかでは象徴的な表現を提示することに優先度を与えた方が良かった。

 他には、本作の作品主題の解決様式を明示する本話に至るまで個性の描写にほとんどの時間を費やしている。その結果として短い時間で主題を強調する必要が生まれ、本話での表現に影響したという印象だ。
 思うに、そもそも主題に注目して作品を見ている視聴者は多くはないし、僕様くらい賢いと文脈はどうとでも拾える。
 何かを伝えようと思う気持ちや腐らずやる態度は持つべきで、結果論でもあるのだが、本話での主題の強調は不要だったと考える。


第11話

 ライブ回。
 各ユニットのBRILLI@NT WINGシリーズ楽曲を適宜カットしたライブシーンを中心に構成している。
 各曲や曲間では舞台裏の彼女たちの姿が描写されている。
 1stLIVEを踏襲したセットリストとなっており、これまでに示してきたライブパフォーマンスからの洗練が如実に見える。特にW.I.N.G.での失敗からどのように変化したかよく分かる点が面白い。
 いわゆるB面楽曲のパフォーマンスシーンが製作されており、ここでは、これまでの技術を可能な限り詰め込んだ様子だ。良いところを上げれば切りがない。伝わらないものも多そうだが、歩き始めの子供くらい一生懸命なところが面白かった。


第12話

 最終話。
 引き続きライブ回で、いわゆる全体曲とMCシーンが描かれる。
 全編を通して描かれた個性から全体への漸近をライブシーンで描き、MCでは日常を通して描かれてきた彼女たちの在り方を描く。フラクタルな構成だった。MC真乃ちゃんの横顔が良すぎるかも。

 また、冒頭と各曲間ではいくつか重要なシーンがある。
 例えば、白のキャミソールと黒のスカートを身に着けた櫻木真乃、そして彼女の後ろで鏡台に向かい合いメイクを受けるアンティーカがそうだ。
 前者は作中で随一と言っていいほど肉体を露出しており、後者はどうにでも見せられる顔貌が一切表示されない。
 これは、女性の身体、あるいは女性というものを試金石とした3DCGの技術的課題への挑戦であり、全編を通して描かれた個性と収斂に含まれない女性の普遍性とその理念の提示だった。
 このごく短い一連のカットは作品全体の格調を引き上げている。
 他にも色々あるが、それぞれから全体の制作における表現の裏打ちが見えて、ライブシーンの陰として良かった。


総括

 気長すぎて笑った。

 完結済みの単体作品としては如何なものかと思うが、プロジェクトとしては良い。
 制作陣や演者には良い練習になったと思うし、特にシナリオ構成と演出に関するフィードバックは取捨選択こそ必要だが、上手くいきそうだ。
 また作品内容としても今後の展開や表現、衣装製作を含む諸々のための準備は、(マーケティング的に不要だったかもしれないが)十分にできたのではないかと思う。
 実在性と物語性の均衡はアニメ放映時のものも参考にするところだとは思うので、現状の感想は映画としての感想に留まるだろう。

 今後は今作の出来を様々に評価して制作することになると思うので、出来るだけ高みを目指して欲しい。


超個人的シャニマスお気持ち感想文

 せっかく個人的な意見を言うので「その他」に含まれる詳細に個人的な意見を追加すると、本作のフィルムスコアリングでの管弦楽曲の扱いが気に入らない。
 演出意図は理解するし効果も上がっていたけど、それはそれとして日常の音楽にもっと幅を持たせるべきだ。
 アイドルの楽曲と管弦楽曲のどちらが上でどちらが下かという話ではなくて、BGMの幅を抑えるのはそのまま表現の幅を狭める。日常にもドラマが作られる。僕たちは生きようによっていくらでもドラマティックに生きる。彼女たちの彩り深い日常には、もっと予感に満ちた音楽だってあり得たはずだ。日々の経過がある事件への待機であったとしても、それを長いだけの待機にしてしまうのはもったいなかった。

 以上で作品への感想はおしまいです。


 ……今回は、元の記事をリスペクトをしつつ、雰囲気のまま書いてきて、元の記事にあった嫌な気持ちの統一感を失った結果、特に整理されるでもない文章になったという感じです。
 だけど、「良かったところと悪かったところに分けて箇条書きします!」みたいなのも、良さとしたものと悪さとしたものがお互いに依存している、なんていうよくあることに気が付いていないで書いてあることがほとんどです。
 そうすると、やっぱりとりとめもないこんな感想が、感想としては逆に華々しいのかなとも思いました。













fig.1 僕のシャニマスのアニメ感想内訳。ここまでの内容は全体の1%に満たない。


 ちなみにこれはシャニマスのアニメについて、僕が抱いた感想の内訳です。

 ここまで雑多に書いてきた。
 色々な技術的課題や、シナリオとか脚本を巻き込んだ実験の数々や、音楽の取り扱いへの不満や、他に何があったか、書いてないことが多そうな気がしてきた。
 まあでもやっぱり


 やっぱり真乃ちゃんって可愛いわ

 以上です。
 とにかく言いたいのは、2期があるなら監督と脚本と演者となんだ?色々は変えずにやってくれ。折角経験と反省を積みに行ったんだから当たり前やけどな。あと真乃ちゃんが可愛かったのは言わせてくれ。

 衣装とか髪型とかもろもろは本作で頑張ったから次は増えるだろうし、またもう少し先の未来になるかもしれないけど、僕は着替えるのも待っている。
 シナリオについては特に心配なし、構成の要求が厳しいなかで第二章は良く作っていたし、ていうか第二章くらいが良いのはまあせやなって感じなんやけど、シナリオも集中して作れていたかな。

 個人的には各ユニットごとに映像化してほしすぎやけど、それはSHHisからでもええしな。なんしか次も期待しています。


 以上です。

 BDは買います。鑑賞会しようぜ!