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セラピストになった理由は「アロマが好きだから」では無かった。

▶私がアロマに出会った理由。

私がアロマに出会い、使い始めた理由を改めて考えてみたら、単純に「アロマが好きだから」では無かった。

2001年に子供を20歳で出産。この子がとてもとても、肌が弱くアレルギーも強く、使えないもの、食べられないもの、触れられないものが多かった。

まだ20歳。無知で世の中をよく知らない母ながらも「どうにか楽にしてあげたい!」そんな母心が私を突き動かす。

知識もお金も、今の様なネット環境も無かったが、幸いながら私は本の虫だった。

図書館で自然療法やら、おばあちゃんの知恵袋やら、民間療法やら浸すら読み漁り、なけなしのお金で子供の肌や体調が、良くなることを期待して色々と購入し試した。

馬油を塗ると良いとあれば、子供がテカテカになるまで塗りたくり、ごま油が良いとあれば子供が香ばしくなるまで塗ってみた。

肌着はベタベタ。髪の毛までテカテカの子供は笑顔を見せてくれたけど、私の期待とは裏腹に良くなる兆しはなかった。

もちろん、皮膚科に行けばステロイドを全身(デリケートゾーンまで)塗るように指導されたが、子供を良くしようと読み漁っていた本には「経皮毒」「ステロイドは良い菌を殺すからダメ」「長く使うと副作用がある」とあった。

何が本当で、何が嘘なのか?
まだ20歳の私には、わからなかった。

そんな時、たまたま手にした本で「アロマで肌が良くなった」という記事を発見する。アロマとは何だろう?植物を濃縮?コレは効くのかも?!

ちょっと心が踊ったが、まずはアロマを見たことも嗅いだことも無い私は、アロマとはなんぞや?と、また本に助けを求めた。

ふむふむ。

植物を蒸留して、濃縮させたものか。これは良さそう。でも何処で買えるのかな?

そんな疑問から、電話帳を取り出しアロマと記載してる所に電話をかけまくり、ひとつのアロマサロンを訪ねた。

▶アロマを勉強してみたら禁忌がたくさん!

電話帳で調べて行った所は、アロマサロンと、スクールをしていた。

まずは学ばなくては、何もわからない。
既に21歳になっていた私には、もう一人の子供がいたが、コツコツ貯めた20万円を手にし、夜中の授乳と夜泣きで重くなった瞼を擦りながらスクールに通いつつ、自宅でも勉強した。

スクールでは、アロマクラフト(手作りコスメ)も学んだ。精油の香りや成分、作用や効能を考えながら、何の精油を使うと良いか精一杯考えた。

アレルギー緩和、喘息等の去痰作用、皮膚炎等を考えてクリームを作ろうと思い、精油を選び出す時…

禁忌(○○な人は使えない等)を考えると、真正ラベンダーとティートゥリーしか子供に使える精油は無かった。

え?2つだけ?

何十種類も勉強したのに、2つだけしか使えそうな精油がなく、期待が大きかっただけに、落胆。

そして、40歳を超えオーガニックビューティセラピストになった、今で考えると精油濃度も子供に使う濃度にしては高く、2%以上の精油濃度だった。

案の定、痒みが収まるわけもなく、私の何故?という疑問と興味はスキンケアに移行していく。

▶塗る物の中身を知るなら、まず作ってみる?

諦められないので、スキンケアに疑問を持った。アトピー用の塗り薬や、ローションは何で出来ているのだろう?

自然療法等のチンキとは異なるものもあれば、同じ様に「ヘチマ水」みたいな素材そのものの物ある。

「10個の成分のものより、1個の成分に一つずつ足していけば、使えない物がわかるのでは?」

ゼロから足し算をしていくスキンケアをやってみよう!

2003年、私は「手作りコスメ」を調べ始まる。ようやくネットもADSLになり、HTMLを使ったブログ等も出てきた頃だった。

ネットの世界は本とは比べ物にならない程、勉強になった。まさに井の中の蛙大海を知らずだ。それと同時に海外の自然派スキンケアに目が行くようになり、個人輸入も初めて体験。

今では簡単に手に入る「クレイ」や「布ナプキン」を海外から個人輸入するようになった。

最初に作り始めたのは、精製水でハーブを水抽出したものだけだった。カモミールだったかと思うけれども、今や20年も前の事なので思い出せない(笑)

そこに、グリセリンを5%濃度で混ぜたものが、子供の保湿化粧水となった。勿論水抽出の、保存剤も無いものだったので、保存が効かず3日置きに作っていた。

次に足してみたものは、キサンタンガム(とろみをつける増粘剤)。最初はなかなか上手に溶かすことが出来なかったけれども、3日置きに作っていたので、徐々に要領を得ていった。

3ヵ月経った頃だろうか。タダレてジュクジュクしていた子供の肌がジュクジュクしなくなってきた。この調子で、ゼロから足し算のスキンケアをしていけば、使えるものが増えて来る。そう感じた。

▶精油で水膨れを経験し、シミになる

とりあえず、子供につけられるローションは作る事が出来たので、クリームに取り掛かる21歳の私だったが、せっかく覚えたアロマ。精油を入れてみたい。

しかし、最初から子供に使うのは怖い。濃度はどうなんだろう?どの位が適量なのだろう?と悩んだ結果、一番皮膚が薄い「自分の顔で試そう」と、自らの顔で実験を始めた。

精油濃度0.5%、1%、2%、3%、5%までの蜜蝋クリームを作り、全て額、頬、こめかみ、アゴ、おでこと分布させ塗り、1時間様子をみた。

こめかみと頬は3%で赤みを帯びて痒みが出てきた。そして、5%で水膨れができ、その後5年間シミとなって残った。

アロマを勉強している段階では、濃度が高い=強く効果が出る=良いコト、と思っていたが、濃度が高い=リスクも高いという事を身を持って知った。

▶肌を勉強したいので、エステティシャンになってみた

アロマ精油や、手作りコスメから「肌への興味」が沸々と湧き上がっていた私は、エステティシャンになろうと思った。そこでなら、もっと専門的な知識が得られるのではないのだろうか?と思ったからだ。

25歳を過ぎた頃、エステティシャン募集「初心者OK」という募集を発見し、私はエステティシャンになった。

もう、何年も植物を使ったスキンケアをしていた事もあり、化粧品の裏の成分を見て「何を使っている=どんな作用をする」といった事が、ある程度わかるようになっていたのだが、ここで私の考え方と、サロンの考え方の違いに納得できない様になった。

一緒に働くエステティシャンのだれもが、その化粧品の中身について知らないという事。そこに驚いてしまった。

クレイパックに使われている「モンモリロナイト」や「カオリン」が何でできていて、どんな作用をするのかも知らないという同僚。ここでは私の知りたい事が学べないと感じたのと、沢山のポリマー入りのコスメで手荒れもした。

▶人それぞれのコスメリテラシーの違い

都会にはあった「天然の物をベースにしたエステ」や「オーガニックサロン」で働けたらな…。でも、ここは地方で、そんなサロンや勉強出来る所は探したけれども無い…。そう思う様になっていた26歳の私は、自宅サロンを始めた。

築30年以上の砂壁に、子供が落書きした襖、子供が貼ったシールまみれの柱がある自宅。今考えると「スゴイ所で開いたね!」と自分に言いたい。

それでも、当時、地方では珍しかった「子連れ可能なサロン」だった事が功を奏し、地元テレビの取材が来たり、それなりに生活出来る様になっていった。

相変わらず、私のコスメリテラシーに合ったエステ商材が見当たらず、最初の1年間はボディーやフットのトリートメントを軸に仕事をしていた。

▶検索オタクと化した私、ついに見つける!

とにかく、町をあるいても「理想のサロン」が見当たらない。「理想のコスメ」を取り扱っているサロンも身近に無い。そして、手作りコスメをしているサロンも無い。

そんな、無い無いづくしの地方住まいの味方は「検索」しかなかった。連想ゲームの様に検索をしまくる日々の中、私は「オーガニック 業務用 コスメ」で一つの業務用オーガニックコスメを見つけ出す。

それは、海外のオーガニックコスメを多く取り扱い、サロンにも卸している会社で、その中のブランドの一つだった。東京の五反田にあったTOCビルの一角に足を運び、オーガニックエステを初めて受けた。

その衝撃を忘れられない。

「こうゆう事がしたかった」

私がやりたかった事が、そこにあった。

代理店契約を交わし、業務用のオーガニックコスメを手に入れた私は、毎日その商品を使ってみた。

が!!「ニキビ大量発生」

なぜだろう??何でだろう??そんな疑問がふつふつと湧き上がる。石油由来の原材料をつかってないのに、何でだろう?

しかし、乾燥肌やエイジングケアを必用とするお客様には「とっても良い!」と高評価でニキビも出来ない。自分の子供達の身体に使っても、良い状態をキープしている。

これは、それぞれの植物やオイルで与える作用が「肌に違うのではないのだろうか??」そう思い始めた。調べに調べ、どうやらオレイン酸量が多いオイルを使用した製品は、ニキビが出来やすい私には合わない様だ。

取り扱っているのにも関わらず、自分では使えないというジレンマから抜け出せないまま、都内のオーガニック美容家さんを訪ねる。そこでは、その人の肌にあったオーガニックコスメを組合せて紹介、購入できる所だった。

そこで紹介された化粧品は、サプミーレのモイストウォーター、タウトロッフェンのアクアタオ、PHYT'Sのルビデルムクリーム。水分量が少なく、かつ水分キープ力が弱かった私や子供に使えるという内容だった。

子供にはサプミーレの化粧水と、乳液を使っていた。まだ、膝がジクジクしていたのだけれども、きちんと化粧水と乳液を1年程使っていたら綺麗になった。

※子供の肌の改善に感謝!感激!だった私は、後にサプミーレ本社を訪ねる。末っ子をバギーにのせて葛飾区青戸まで。勉強をしてから、代理店契約が出来るとの事だったので代理店契約をし、サロンで扱えるブランドが2つに増えた。

▶更年期でセラピストが出来ない!を経験する

シングルマザーで子供3人を抱えていたので、限界を超えて仕事をしていた。夜中の3時までHPやブログを更新し、サロン業務も、めいいっぱいこなしていた。

33歳になった頃。眩暈と大量のしたたる汗で、仕事が出来ない様になる。

お客様に汗が垂れないだろうか?そう思うと、ボタボタと流れ落ちる汗。手ぬぐいを鉢巻にして施術をするという酷い姿。これはヤバい!と婦人科を訪れた頃には「更年期」との結果が出た。更年期の人を越している数値だった。

毎週ホルモン注射を打ち、漢方薬を飲み、思い立ったように「アロマのホルモン作用あるもの」を使う日々。しかし、汗を気にすればするほど、汗がとまらず、セラピストを長期お休みする事を決断する。

▶36歳でセラピストをリスタートする

36歳で閉経し、やむをえず他の仕事をしていたが、再婚をキッカケに専業主婦になった。

ある時、私が専業主婦をしていると知った”当時のお客様”から「何やってるの!!勿体ない!!」と一軒家を紹介され、瞬く間にサロンを開始。

ほんと、ご縁ですね。ありがたい。

まさか、まさか!またセラピストが出来るとは!!

夢にも思っていなかったので、涙が出た。

サロン名は、ありのままの、そのままのリアルな私を大切にする事。なのでARIRIA。20代から私のテーマは変わっていないし、この先も変わらないと思う。

セラピストをリスタートさせた私は、お客様の肌に触れたり、お話したり出来る事が「幸せ」だと感じる。肌の変化や、それで笑顔になるお客様と会える楽しみ。なんてセラピストって良い仕事なんだろう。

当時のお客様達も私に逢いに来てくれた。久しぶりの再会に涙が出ちゃう、この仕事に感謝しかない。だからこそ、もっとお客様を良くしたいし、笑顔にしたい。

▶オーガニックビューティセラピストになる。

20代半ばで足を踏み入れた美容の世界。自分のリテラシーと異なる業態や商材に疑問を持っていたけれども、30代後半で何だか気になる人が出来た。

気になる人といっても、女性。OMLのまことさんのブログから目が離せなくなった。

そして「都会にでないと、やはりもっと詳しく判らぬ!」「子供を抱えて都心に毎回通いきれない!」といったジレンマから、私が救われた。

ZOOMというオンラインと、録画動画を駆使して勉強が出来る。それも詳しい。そこには、私の知りたい「何で?」という疑問の答えがあった。

狂った様にひたすら3ヵ月間勉強した。私の頭の中が満足したと同時に、これをいかに「判りやすくお客様に説明するか」という事も考えた。

誰もが、角質層がどこで、真皮層がどこかとか、わからないから。

皮脂膜と同じ様に、水分+油分+乳化といっても、皮脂膜ってなあに?から始まる。なので、お肌が3階建ての家だとして”屋根”が皮脂膜だと思ってください。「屋根がもろいと、紫外線も家の中にはいるし、乾燥もするから、まずは丈夫な屋根を作る」と説明を考えた。

勉強していく中で、やはり顔への精油濃度も深く考える様になる。

OMLは、私のリテラシーと合っていて、高濃度の精油が肌へ及ぼす可能性や、協会特有の「強すぎる規定」が無い。普通の主婦でも、色々な挑戦が出来る環境は、子供を持つ母にはピッタリはまる。

▶自分のコスメを開発する挑戦へ

20代から手作りコスメをしていただけに、「手作り」と「製品」の違いは判っていたと思う。特段感じていたのは、保存性と安定性。

それは、オーガニックコスメの進化が物語ると思う。

最初、国産オーガニックコスメには「乳液状」が存在せず、バームしか見たことが無かったんです。乳液状があったとしても、製造が「フランス」や「ドイツ」だったんですね。(おそらく、エコサートやコスモス認証等の事もあってだと思う)

日本にオーガニックコスメブランドが登場してから数年、国内工場での乳液やミルク状のクレンジング、乳化状の美容液が出来上がるまでになって、次々と国産オーガニックコスメブランドが登場する。

最初の頃は分離しやすかったブランドや、刺激感や油膜感があったブランドも、どんどん改善し、誰もが使いやすいテクスチャーが一気に増えた。

スマホの進化と同じ位、衝撃的な進化を遂げている!!

そんなオーガニックコスメを「自分で処方し、ブランドを作る」という内容がOMLで発表されたので、迷わず参加。こんな良い勉強をするチャンスはなかなか無い!そう思い挑戦する事にし、製品を作る上での防腐や保存、安定性等の勉強をした。

植物の特性を考え、循環を考え、使う人を考え、作り出す楽しさ。

20歳、子供の肌悩みやアレルギーをキッカケに始まった世界は、40歳になった今、新しい挑戦をさせてくれている。




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