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まっすぐな気持ち。

こんばんは。今、7月31日の夜10時40分です。

今日はnoteを書くのが遅くなってしまいました。

なぜかというと、ずっと気になっていた新海誠監督の『天気の子』を見に行って、色々と時間がずれたからです。

今度じっくり、映画を観て思ったことを書こうと思いますが、今日『天気の子』を見て感じたことの1つを急いで、今書き留めておきます。

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私は『天気の子』を見て、ただただまっすぐであることについて、色々と考えさせられました。

子供のように無垢で、一途で、自分が大事に思うものの方をまっすぐ見続ける気持ち。

『天気の子』に出てくる主人公の帆高は、そんな透明な心を持った少年でした。

自分の人生を狂わせてでも、自分の気持ちを、天気の子である陽菜を守り、取り戻したい。

澄んだ一点の曇りもないその気持ちは、周りの大人たちに色んな気づきを与えたのではないかなと思います。

大人になると社会的な立場とか、大人風なふるまいとか、そういったもので仮面をかぶることって多いんじゃないかなと思います。

心の奥底には子供の頃と変わらないまっすぐさがあっても、喉のあたりで言いたいことを止めてしまっている。

でも帆高のまっすぐさは、そういった大人の仮面を破るくらいの強さがありました。

そこに私は希望を感じたんです。

「私が見たかったものって、20代の今になっても大切にしたいものって、これだ」って。

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でも、帆高のまっすぐさは時に既存の社会からしたら「悪」とみなされてしまって仕方のないものもありました。

どうしても空に逝ってしまった陽菜に会いに行きたいんだ。

そのために、大人たちに銃を向けてでも、ビルの屋上の神社に祈りに行きたい。

何かを一途に、純粋に思う気持ちを邪魔されたくないんだ。

そういった強い気持ちが、彼に銃を握らせた。

犯罪にもなることです。

でも発砲した本当の理由を知れば、その行為は「悪」だなんて簡単に言い捨てることはできません。

何が正義で、何が悪かなんて、本当の中の本当のことを知れば、誰も決められないのだと、私は映画を観て思ったんです。

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それでも、まっすぐな気持ちは、本当の中の本当のことを私たちに分からせてくれます。

自分の人生をかけてでも、大事なもの。

それって、まっすぐな気持ちを持っていないと、自分の心に素直でないと分からないんです。

まっすぐな気持ちは、何が正しくて、何が間違っているのか、という議論を超えて、何かとても大事なことを私たちに分からせてくれるんじゃないか、と私は思うんです。

本当の中の本当のことを知るために、まっすぐな気持ちが大事なのかなって、そう思います。

私も人生をかけて、何が本当のことなのか、何が本当に大事なのか、知りたい。

だからまっすぐな気持ちを持って、この日々を生きていきます。

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