美しさの基準をつくる
美しいの基準が段々と変わってきている気がします。
これまでは「美しいとはこういうことだ」という、みんなに共通の基準があったけれど、
私自身「美しさ」に興味を持ってから、基準がたくさんあることに気づきました。
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私は最近YoutubeでVOGUEの動画チャンネルを見たり、Twitterのタイムラインに流れてくる「美しさ」に関する記事を読んだりしています。
その中で思うのは、今までの美の基準から外れていて、スポットライトが当たらなかった新たな美を提示する動きが見られるなぁ、ということ。
たとえばかなりぽっちゃり体型でコンプレックスを抱えていた人がモデルとなり、スリムな体型だけが美ではないということを教えてくれました。
あるいは男性でもメイクをして、自分の美を追求する様子も見られます。
こういった人たちが声を上げる様子を見ていて、胸がどきどきするのと同時に思いました。
「美しさの基準って自由に作れるんだ」と。
「そもそも美しさの基準は自分の中にしかないんだ」と。
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何を美しいと思うのか、それは本当に人それぞれ全然ちがうんじゃないかと私は思います。
誰がどう見ても美しいもの、って本当に存在するのかなと思います。
たとえば私は「イケメン!」と言われている人を見ても、「整ってはいるけれどイケメンかな?」と不思議に思うこともあります。
逆に私が「この人ものすごくかっこいい!」と思う人が、他の人にはそう思えないこともあって。
全員が全員、「美しい」と思うものはきっと無くて。
美の基準がバラバラであることって、ものすごく可能性を秘めているんじゃないかと思うんです。
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「可能性を秘めている」というのは、簡単に言ってしまえば「自分の好きなように美を追究できる」ということです。
自分が思う「美しい」をすこしずつ、創り上げていくんです。
みんながきれいだというから、自分もきれいだと思い込むんじゃなくて、自分がきれいだと思うからそれは美しい。
そういう観点で美を形にできるって、すごく面白い。
私は最近、ファッションに興味を持ち始めましたが、既存の美に捉われなくてもいいんじゃないかと、その方が世の中は楽しいんじゃないかと考えています。
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下手をしたら私は性別問わず全員を「きれいだなぁ」と思ってしまうんじゃないかなって思っています。
目の前にいる人1人1人を見て「この人目がきれい」、「眉がきれい」、「雰囲気がきれい」・・・。
どんな人にも美しさがあるなぁと、日々感じています。
私にとってすごくきれいだと思える人とは、自分自身を誰よりも愛していて、自分の美しさを知っていて、「なりたい自分」を大切にしている人です。
世の中の基準ではなく、つねに自分のものさしで世界を見て、自分のセンサーに引っかかるものを大事にする人です。
私もそんな人になって、美しさの基準を生み出していきたいんです。
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