20190317桜編_190326_0023

自分にできることを正当化しない、ということ。

すごく気になっていることが1つあるんだ。

自分が頑張ったことは人もできるだろう、という前提で話を進めたり、アドバイスしたりする人が多い。

思ったよりもたくさんの人が自分を正当化している。

努力すれば嫌なこともできる、嫌だったものも好きになる、って私は言われた。

でも私はそうじゃないと思うんだ。

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できることは、人それぞれちがう。

みんなできることが同じだったら、誰もが社長になれるし、誰もが芸術家にもなれている。

そんなに簡単なこと、みんな分かっているのに。

どうして「俺が私ができるんだからあなたもできるよね」ってなるんだろう。

人間で同じように手や足や、頭とか、目とか、口とかついていても、お互い宇宙人だと思っていた方がいい。

自分にできることが、相手は得意とは限らない。

逆に相手が簡単にできちゃうことが、自分は全然できないこともある。

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だから私は、こんなことを聞くと、「よく分かってないなぁ」と思ってしまう。

「行動できない人は成長しない」

「お金を稼げない人は自立していない」

「計画力の無い人はやりたいことを実現できない」

行動できない代わりに、物事を深く考えることに長けている人だっている。

お金を稼ぐのは得意じゃないけど、家族や身近な人を支えることが得意な人もいる。

計画力は無いけれど、発想が豊かで創造力のある人もいる。

自分ができることは人もできるはずだと思っているうちは、相手を1つの方向からしか見ることができていない気がする。

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人それぞれできることは違う。

私にはできないことが自分でもびっくりしちゃうくらい、たくさんあって、だからこそ目の前にいる人が何が得意なのかを探すのが好きだ。

私はこうやって毎日文章を書くことはできるけど、それがどうしてもできない人だっている。

できないことがある苦しさを、痛いくらい味わってきたし、経験してきた。

だから私は「自分はこれが得意だ」と認めることはできるけれど、「君も毎日続ければできるよ」なんて簡単に言えない。

続けることでさえ、苦痛な人だっているんだから。

自分を正当化するんじゃなくて、互いの良さをちゃんと伝えあえる世界を創っていきたいと私は思ってる。

(正当化しないということを、正当化しようとする矛盾があるのかもしれないけれど。)

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