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『鬼滅ブームに乗れないコンプレックス』がつげ義春で緩和された話

1.『鬼滅ブームに乗れないコンプレックス』

意味不明なタイトルだが他に言いようがなかった。

『鬼滅ブームに乗れないコンプレックス』とは、
『鬼滅の刃』が社会的に大流行したのにそのブームに乗れなかった者が、
「なんとかして分かり合える点を見出したい」ともがく傾向や状態を言う。

今、私が定義した。

ブームに乗らず、なおかつ
「自分とは趣味が合わなかったな」
と切り捨てられる者はそれで良い。
引き続き自分の好きなコンテンツを愉しめば良い。

私は90年代りぼん育ちで、
ジャンプ系コミックスもいろいろ読んだし
成人後も電子書籍やアプリで習慣的にマンガを摂取している。
マンガ好きと言って良いと思う。

その私が鬼滅ブームには全然乗れなかったのである。

普段漫画の話をしない職場の相手も
鬼滅を絶賛しているのに、私がマンガの話に乗れないなんて……!

あまりに話題になっているのでアニメを見たがノリが合わず、
面白いと思う回が来る前に1クール24話分見終わってしまった。

「これはいわゆる、普段マンガを読まない層にヒットしているというやつか……!?」

と思い、古くからのオタク友達に
「あんまり鬼滅にハマれないんだけど、どうだった…?」
と探りを入れてみたところ

「好きなキャラできると楽しめるかもよ!」
という体の返事で、友人は鬼滅ブームを存分に楽しんでいたのである。

夫は……?

恐る恐る夫に鬼滅の感想を聞くと

夫にもそんなに刺さってはいなかったようだ。

良かった…!同じ感想の民がここにもいた…!

しかしこの
「流行っているものの良さがわからない心地悪さ」はなんだかずっと心に残っていて、
律儀に無限列車編や遊郭編も履修しつつ
「やっぱり理解(わか)らねぇ……」と悶える日々を過ごしていた。

2.つげ義春短編集に出会う

そんなある日、つげ義春短編集に出会った。

『ねじ式』や『メメクラゲ』など断片的な画像や言葉は知っていたが、通しで作品に触れたことはなかった。

親切にも貸していただく機会を得たのである。

つげ義春短編集の内容は
「おぉ、これがガロ的なものか……」という感じで、ダークさの濃い悪夢的な作品や、妙にリアルな下町のエッセイ的な作品が並んでいた。

中でも『ゲンセンカン主人』が印象に残ったので、すぐにオンライン上の感想を探してみた。
私は自分と同じ感想を探すタイプのオタクなのだ。

Googleに「ゲンセンカン主人」と入力したところ、意外な検索語句を目にすることになる。

【検索】ゲンセンカン主人 鬼滅の刃

ん???
きめつのやいば???

どうやら、
「鬼滅の刃はつげ義春の影響を受けているのでは」
「鱗滝さんはゲンセンカン主人では」
と一部で考察されているらしい。

いやいや、
天狗の面なんてわりと定番なモチーフでしょ〜

と思いつついくつかの記事を見ているうちに、たどり着いた記事がこちら。

鬼滅の刃の元となった読み切り「過狩り狩り」を読んで改めて知る吾峠先生の才能と編集部の慧眼 

おお……!?た、たしかにこれはガロっぽいぞ…!!

3.もしかしたら分かり合えるかも…!?『過狩り狩り』読みたさに『吾峠呼世晴短編集』を買う

つげ義春は面白かったし、
『ゲンセンカン主人』は特に良かった。

それなら、
つげ義春と同じガロっぽさを有している(かもしれない)『吾峠呼世晴短編集』なら
鬼滅ブームに乗れなかった私でも、楽しさの片鱗を味わえるのでは……!?

という発想に至り、ポチりました。『吾峠呼世晴短編集』。
これは紙で読んだ方が良いという気がしたので久々に紙版で購入。

表紙がまた素敵なんですよね。

さっきから「ハマれない」「わからない」と書いてしまっていますが、キャラデザは好きなんです。

なんというか、ギクッとするような絵を書かれますよね、吾峠呼世晴先生。
どことなくこちらが背徳感を覚えるような美男美女を描くのがうまい。

4.和解 〜またの名を狂気〜

さて、この『吾峠呼世晴短編集』。
自分的には大当たりでした。
短編集としてちゃんと面白い。

鬼滅のアニメはあまり世界観に入れなかったけど、
短編集は世界観に浸りつつ楽しめました。

その差は何か?

自分のような『鬼滅ブームに乗れないコンプレックス』の方に向けて、言語化してみます。

4.1 吾峠呼世晴先生の描くキャラクターに共通する「狂気」

これです、これ。これに尽きる。

すげー狂ってる。

短編なので全編別の主人公が出てくるけど、
全員狂ってる。敵も狂っている。

みんな狂ってるので、読む側も
「やべーやつを読むぞ」という感じで読めるわけですね。

私の語彙力が低くて「狂っている」としか形容できていないですが、
「どこかネジが外れている」というニュアンスで、なんでもかんでもデタラメなわけではないです。

短編集を読み切って、
「そうか〜〜!!!
炭治郎の狂気が鬼滅にハマり切れない要因の一つだったけど、そうか、全員狂っているのか〜〜〜!!!」

と妙に納得した次第です。

鬼滅を見ていて、引っ掛かりを感じてしまうのが炭治郎の狂気描写だったんですよね。

初回で家族を惨殺されたのにすぐ気を取り直していたり、
鬼になった妹が小さく体を縮めても特に驚きもせず「えらいぞ〜♪よしよし♪」と言っていたり、
ポジティブ狂気を見せつけられる度に
「え、炭治郎なんなん?こわ」
とツッコんでしまって、物語に入りきれずにいました。

でも短編集を読み終わってわかったのです。

そう、狂っている!
吾峠呼世晴先生の主人公はみんな狂ってるのですね。

ちなみに、やはり短編集でもキャラデザは秀逸で、
「この主人公の話、もっと見たい!」と思わせるようにできています。
私はジグザグちゃんが一番すき。京都弁もっと聞きたい。

4.2 読む側の心構えが「ジャンプ」か「ガロ」か

これは私以外もそうしている方が多いんじゃないかな?
「少年マンガ」「青年マンガ」「少女マンガ」「ギャグマンガ」など、
マンガの対象年齢や大まかな内容に併せて
私は読み方のモードを替えています。多くは無意識的に、です。

少女マンガを読むときは、
コマの隅々の表情や小物、ちょっとしたセリフまで拾い上げて繊細な物語を読み進めていく。

ギャグマンガを読むときは、
肩の力をぬいてホゲ〜っと読んでいく。

グロめの少年マンガを読むときは、
グロいシーンはささーっと読み飛ばす……(苦手なので)などなど。

アニメにしても同様です。
(このギャップを意図的に仕組んだのがかの有名な『まどマギ』ですね)

鬼滅のアニメを見るときは
「国民的人気のジャンプアニメを見るぞ〜」
という気構えをしていたので、

展開やキャラクターにいちいち「王道さ」を無意識に求めてしまっていて、そこから外れると楽しめていなかったように思います。

「お子様が見るにはグロすぎでは」
「無惨様の行動、短絡的すぎないか」
「死んじゃうモブ多すぎないか」
「長男、長男って今どき言わせていいのか(時代は大正だけど)」
「突然のドタバタコントについていけない」
「敵の闇落ちの理由が浅くないか」

並べてみると面倒くさいオタクですね……。

でも、
少年ジャンプではなくガロをアニメ化したものだと思えば、もうちょっと感想が変わりそうです。

鬼滅の刃の本質はガロ系マンガで、
CGと音楽でオブラートに包んで世に出てきたと思えば、狂気を愉しく味わえそうです。

5.その後

結局、『吾峠呼世晴短編集』を読んでから鬼滅のアニメもマンガも見直していません。

ただ、アニメで新作が出たら見ると思うので、そのときはガロの構えで楽しもうと思います。

ずーっと懐にしまっていた『鬼滅ブームに乗れないコンプレックス』が、つげ義春で部分的に氷解できて良かったねというお話でした。

同じコンプレックスをお抱えの方に届いたら幸いです。

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