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「奇界遺産」感想④フィナーレ

7月最終日、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

さて、「佐藤健寿展 奇界/世界」の感想もこれで最後です。
ラストはパーッとメモを全部綴ってみることにしましょう。

そうそう、この写真展、展示室でのスマホの使用が禁止されていて。
鑑賞メモを取りたかった私は、一旦廊下に出てメモっていたのだけど、そしたら学芸員さんが「メモを取りたいのであれば、受付でメモ用紙がもらえる」と教えてくれました。バインダーと鉛筆も貸してくれて、お陰で記録することができたのです。ありがたや。

ミャンマーには背の高~い仏像があるらしく。
レイチュンセッチャー大仏。
モンユワという村の近くにあるらしい。
マンダレーとバガンの間くらい。どっちも行ったのに、知らなかったなあ。

お寺も差別化に励んでいるのか、日本には文明取り入れまくりのお寺があるらしい。
万松寺の納骨堂はICカード対応。
水晶殿の名の通り、バックライトが灯り、自分の参りたい故人の像(?)がハイライトされるかんじ。近未来的すぎて、私の説明ではイメージつかないだろうなあ。

納骨堂の前に入るのは棺桶だけれど、
ガーナのガ族の棺桶は超自由。
飛行機だったり、宇宙船や、カメラ、なんでもあり。

ポップに故人を偲ぶ文化があれば、なんだかなあ、と思う死後の世界もある。
ロシアのサンクトペテルブルクにある「クンストカメラ」にはホルマリン漬けの奇形児が保管されていたり、
メキシコにはミイラ博物館があったり。

ミイラといえば、エジプトのピラミッドを彷彿させるけれど、かの有名なギザの三大ピラミッドは、街から1kmほどのところにあるらしい。
ピラミッドの近くにアメリカのファーストフードチェーンがドーンとあって興醒め、という話を耳にしたことがあるけれど、そういうことだったのか。
アフリカ大陸は未上陸。いつか行ってみたい。

メキシコに戻って、「人形島」という世にも奇妙すぎる島があるらしい。
その名の通り、島中に人形が吊るされている。
野外に放置されているに等しいため、汚れていたり、風化していたり。
その様がホラー感を助長。

似たスポットがフィンランドにある。ベイヨーロンコネン公園。
ここには男性が一人でひたすら作った像が、たくさんあるらしい。
でも、なぜそんなに作ったのかは神のみぞ知る、なんだとか。

インドネシアのトラジャの人々は、死ぬために生きているらしい。
トラジャ、と聞けばコーヒー豆を思い浮かべる人も多いかもしれないけれど、かの地の人々は、「人は何のために生きるのか」という永遠の問いに対する、究極の答えを持っているのかもしれない。
そんな彼らのモットーは、壮大な葬儀を持って証明される。
終わり良ければ総て良し、といったところだろうか。

そういえば、この感想リレーの初回に、廃村について書いた。
ウクライナのプレピャチという街もそう。
チェルノブイリ原発事故で住民が避難を余儀なくされ、無人に。
写真からも伝わってくる、暗く重い空気。
こんな街がまた1つ、2つとウクライナにできてしまうのだろうか。

建物などの人工物が放置され、朽ちた様からは、途方もない空虚を感じる。

アイスランドのある町、雪に覆われた家々が並ぶ。
いかにも不便そうな田舎の町。
その横に展示されているのは、キプロスのビーチ沿いの町の写真。
少し高めのアパートが並んでいるが、どれも廃墟のよう。

2枚を見比べると、尚更、後者の空虚感が目立つ。
自然の雄大さの前に、人はいかに小さいのか。

1枚、手にフォーカスした写真があった。
その手の甲には、深い皺がたくさん刻まれていた。
そして、手首には幾重にもブレスレットがついていた。

その写真を見て考える、年を取るとは何なのか。

何なのだろう?
学び続けること?

分からないけれど、「知らないこと」で溢れた世界の色々な側面を見て、感じ、考え、そして好奇心全開で生きていきたい。

そんな抱負ともつかない宣言で、今日は〆る。
それでは、ごきげんよう。


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