「1日は24時間しかない」と「「絶対」に必要か?」という考え方

先日、民放のテレビ番組で、洗濯機の洗濯槽の石鹼かすなどの汚れについて取り上げられていたのを見た。

それを見た私は、「自分もそろそろ、洗濯機の洗濯槽の掃除をしなくてはな・・・。」と思った。

だが、ふと考えれば、「洗濯機の洗濯槽の汚れ」についてテレビで放送されれば、「洗濯機の洗濯槽を掃除しなければな・・・」という思いに駆られ、「口腔洗浄機」がテレビで取り上げられれば、「口腔洗浄機が自分の家にも必要か・・・?」という気にさせられる。

最近、「「何か」をテレビや雑誌・広告などで見たから、「それ」がしたくなる「それ」が欲しくなる」という事が多いように感じる。

そもそも人間とは、何かに影響を受けながら人生を生き、日常の生活を送っているため、「"何か"を見たから、"○○"がしたくなる・"○○"が欲しくなる」というのは、いたって普通の考え方だと、私は思う。

だが、私が、今回、この記事で書きたいのは、そういった、
「"何か"を見たから、"○○"がしたくなる・"○○"が欲しくなる」という考え方の話ではなく、
「「"何か"を見たから、"○○"がしたい・"○○"が欲しい」と考えた結果、それに人生の時間を振り回されている」と感じている、ということなのだ。

なんだか、私には、「"何か"を見たから、"○○"がしたい・"○○"が欲しい」というのは、「人生の時間を振り回されることだ」と感じる。

事実、人は、「"何か"を見たから、"○○"がしたい・"○○"が欲しい」と感じて、それを実行に移した時に、それに1日の時間を使っている。

先ほどの例で言うなら、口腔洗浄機1台買うだけでも、
ネットでメーカーや値段を調べて、商品を比較したり、家電量販店に行って実物を見たり、口腔洗浄機1台分のお金を銀行から下ろして、用意する・・・
といった作業が必要になる。
果たして、それほどの時間とお金をかけてまで、「今すぐに絶対」に必要なものなのだろうか?
本来人間に「絶対」に必要なものは少ないはずだ。

「1日は24時間しかない」のだ。

「1日は24時間"も"ある」のではなく「1日は24時間"しか"ない」のだ。

何度でも繰り返すが「1日は24時間しかない」のだ。

週5日間、1日9時間以上、仕事に拘束されている人にとっては、この「24」という数字は、間違いなく、もっと少ないものになる。

この記事を読んでいるあなたも、この記事を書いている私も、1日は、「24時間しかない」のだ。

「「1日は24時間"も"ある」のではなく「1日は24時間"しか"ない」のだ」
という、「1日は24時間しかない」という意識と、「「絶対」に必要か?」という考え方を持つと、1日24時間における「優先順位」をより容易に判断しやすくなるだろう。

今回はここまで。

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