拝啓_神様_あれは恋でした

拝啓、神様。あれは恋でした。

おそろいのマグカップの片割れだけを使ってコーヒーを飲むとき。
よく2人で過ごせる夜に聴いていたジャズをかけて布団に入る時。
街を歩いていてよく似た白い車をみかけた時。
あなたが僕の隣にいたことがふと蘇ってきては、慌ててそれをかき消して、寂しさに少しだけ泣いて、涙を拭いてまたいつもの生活に戻る。
そんなことの繰り返しをして、僕は今生きています。

大好きだなぁって思ったりして。
でも大っ嫌いだなぁなんて思って。
それでもやっぱり心の底から嫌う事なんてどうしてもできないから、せめて僕が隣にいない人生はもはや落ちぶれて最悪の不幸であるか、もしくは身に余るような最高の幸せで満ち溢れているか、そのどちらかを願いたいのだだけれども、そのどちらも選べなくて。

こんな気持ちをきっと恋だと呼ぶんだと、今は思います。

あなたと出会ったあの日から、楽しく過ごしたあの日々も、真剣に向き合って泣いたあの日々も、君のことで頭がいっぱいで悩んだあの日々も、全部全部もうすっぽりと記憶から消すことができたらいいのに。
そんなのは願ったところで無理なのはいうまでもなく分かっているのだけれども、そんなくだらないことが現実に現れないかなと心の底から願いながら、でもやっぱり全部忘れたくないなんて思っている僕のありふれた我儘を、どうか今日だけは許してください、神様。

あの日、なぜか僕の口をついて出た言葉は、誰もいない小さな部屋の中に響き渡りました。
「神の思し召しのままに」なんて、普通の生活をしていて考えることも思いつくはずもない言葉が勝手にどこに向けてでもなく発せられたのだから、その言葉で一番驚いたのは紛れもなく僕だったのだから、きっとあれは運命だったのでしょう。
そしてそんな不思議なことが起こった数日後に、突然君との別れが訪れるなんて、もうこれは偶然ではなく必然なのですよね、そうですよね、神様。

本当は僕と君は出逢う運命になかった、なんてこと、とっくの昔に気づいていたんですよ、ちゃんと。
僕と君はこれまでも、これからも、違う世界を生きる人間だったから。
この言葉にいいも悪いも、上も下もなく、無機質にただ違っただけ。
そんなことは知ってて、それでも僕は君の隣にいることを選んだの。
だって、あの頃の君は僕だけでなく、誰のこともその目に捉えることなく、誰の事も信じていない寂しそうな顔をしていたから。
笑っていてもどこか虚しそうで、仕事をしていてもどこか物足りなさそうで。
お金も地位も手にした今でも、あなたはまだこの世界を、自分のことすらも、恨んでいるような憎んでいるような、嫌っているような、そんな顔をしていたから。

隣で寝ている時、寝ぼけながら寝返りを打ちながら、いつも僕の胸に顔をうずめてきていたね。
朝方になると必ず僕の手をぎゅっと、もうどこにも行かないでほしいと願うように、強く強く握ってきていたね、まるで僕が君より先に起きていて、ベットから出ようとするのを知っているように。
そんな君に、僕は当たり前にそこにあったはずの愛を、本当は小さい頃から家族から、周囲の人からもらうはずだった愛を、全部あげたいって、そんなことを君の手を握り返しながら思っていたんだよ、いつもそんな風に君の隣で夜明けを迎えていたんだ。
あなただけはそのことを知っていたはずですよね、神様。

ねぇ。あの日作ったシチューは本当においしかったですか。
僕の君に会う時だけ少しだけ高くなる体温は君にちゃんと届いていましたか。
君が隣にいるだけで無邪気に笑う僕の笑顔は君の視界に捉えられていましたか。
ほんの少しでも、僕といる時間で誰かに愛される幸せをちゃんと幸せだと感じられることができましたか。

あなたの哀しみを、あなたが抱える苦しみを、僕はすべて理解してあげることができなかったね。
だから僕が作り出した世界は、そのぬくもりは、その瞬間だけの幻のようなもので、幸せにおびえるあなたの心を溶かすことができるものではなかったのかもしれないね。
だから、君は僕のもとから突然、跡形もなく姿を消してしまったんだよね、神様。

もしかしたら、僕が惹かれていたのは君が作り笑顔の奥に隠した埋めることのできない寂しさやもどかしさ、自分のこれまでの環境に対する恨みや哀しみ、自分の中にない本当の愛に対する孤独感や虚無感、そんなものだったのかもしれないね。
本当の君を、僕も見れていなかったのかもしれない、大事にできていなかったのかもしれない。
それでも、誰が何と言ったとしても、これは紛れもなく恋であり、愛でした。

だからね、神様。どうかお願いです。
僕が恋して愛したあの人に、少しだけ優しい世界を見せてあげてください。
愛されることがどれほど幸せか、愛することがどれだけ愛しいか、そんなことを一緒に共感して隣で笑ってくれる人と、出会わせてあげてください。
僕ができなかった暖かさのプレゼントを、僕に代わってあの人にしてあげてください。
そして、少しだけでいいから、僕と過ごした日々も素敵な想い出として、頭の片隅に残しておいてください。
最後のお願いはただの僕の些細な我儘なのだけれども、これくらい、たった1つくらいはきっと許してくれますよね、神様。

あぁ。やっぱり僕は君のことが大好きみたいです。
離れてしまった今でも、あの頃と変わらずに。
きっとこの先ずっと、一緒に過ごした日々を忘れることはないと思います。
大切に、素敵な想い出として、心に刻みながら、僕は僕らしく、僕の人生をこれから出会う素敵な人と共に、幸せに歩んでいくんだと思います。
だからね、もう君のことを思い出して泣くのはやめることにするから。
君もきっと、本当の幸せをつかんでください。
僕といるはずだった幸せすぎる未来の次に、幸せな人生を送れることを心より祈っています。


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