見出し画像

下柚木電書鬱金顛末 :: A Shimoyugi Curry Tragedy Case

1. ハッカソン

スタータースパイスを温めながら玉ねぎをスライスする。当たり前で幸せな作業。生姜とニンニクもすりおろす。下柚木の山に異国の香りが漂う。今夜2稿までいけば、明日はもう脱稿して電書の形になる。ふと気が楽になり鼻歌が出る。Spice me up. もう一息だ。スパイスが私をハイにする。旧大陸を熱狂させたのも当然だ。珈琲、胡椒、唐辛子。いま必要なのはアッパーだ。ダウナーたるアルコールの出番は書き上げるまでのお預けにした。

カレーに必要な香辛料の中でも、唐辛子が果たしている役割は大きい。しかし、唐辛子がインドに到達したのはコロンブス以後の話で、それ以前は胡椒や辛子が料理の辛味を受け持っていた。唐辛子にはたかだか5百年程度の歴史しかない。いまの書籍が1000年の歴史も持たないように、唐辛子もまたアジア圏の歴史においてはまだまだニュービィなのだ。

唐辛子について記された書籍はいろいろとあるが、晶文社の『トウガラシの文化誌』を私は推したい。もう何度も図書館から借りては読んでいるが、未だ古書店で出会えずに入手には至っていない。スパイスが一段落ついたので火から鍋を下ろしスパイスを網で濾す。油を鍋に戻し、薄切りにした玉ねぎを加え火にかけた。iPhoneを取り出してすこし調べてみると、『トウガラシの文化誌』はどうやら神保町の某にあるようだ。明後日、出社したら訪ねてみようか。でもまずは目先の原稿だ。

玉ねぎはみじん切りにするのではなく、スライスした方が火の通りが早い。これはdancyuで学んだ。昨年は雑誌界にカレーの波が立ったようで、dancyuやらPOPEYEやらが次々に特集を打ってくれて大変楽しんだ。出版の苦境には犬猫子供といわれるが、カレーも加えた方がいい。私は必ず買ってしまう。

そう、雑誌の苦境が報じられているが、dancyuとPOPEYEは妙に調子が良い。コンビニへの配本も首都圏では安定しているようで買い逃すことはまずない。表紙のセンスは抜群で、紙面づくりも眺めて楽しい。POPEYEのシティボーイというテーマは鼻につき気に食わないが、編集とデザインチームの仕事が良いのだろう、雑誌そのものに魅力がある。

玉ねぎをどの程度炒めるかがカレーを調理する際の大きなポイントだ。スタータースパイスの香りを上手に引き出すことはもちろんだが、玉ねぎはどのような着地点を目指すかによって調理の具合に大きな幅がある。コクを求めて深い飴色になるまで炒めるか、シャープに仕上げるよう適度な硬さで火入れを止めるか。

十分にしんなりして色づき始めたところで生姜とニンニクを投入する。今日はすこし気持ちが急いている。このあとまだ原稿の仕事が続く。何と言っても明日は電子書籍にしなければならない。すりおろした生姜とニンニクに水をすこし足す。木のしゃもじでよくかきまぜながら水分を飛ばす。

冷気が足元から立ち上ってくる。どれだけ調理の火を掻き立てても冷え切ったコンクリートの躯体はそうそう温まってはくれない。八王子の山中でそうでなくとも冷えるのに、例年にない冷気に加え先日の降雪もあり、セミナーハウスは冷蔵庫のようだ。

早くカレーを食べて温まろう。玉ねぎと油が分離し始めたところで持ち込んだ自前のスパイスを投入する。ターメリック、カルダモン、コリアンダー、クミン、シナモン、カイエンペッパー(唐辛子)。最近はシナモンを効かせるのが気に入っている。瞬く間にスパイスと玉ねぎがペースト状になっていく。焦がしてはならない。じっくりとかき混ぜて香りを立てる。

市販のルゥを使わなくなったのはいつからだろう。血糖値が高い私はしかしカレーが大好物で、このカロリーも糖質も高い食べ物と上手に付き合うためにある頃からルゥを使うことをしなくなった。自作してみると思ったよりもずっと簡単だったし、なにより自分の好みの味にできる。まるで文章を書くように。

およそ20年前にMacintoshというコンピュータがDTPという概念を生み出し、モノとしての本はすこしだけ書き手の方へ近づいた。その頃辞書を中心に広がりつつあった電子書籍もまた、Macintoshに搭載された最高にクールなアプリケーションであるHyperCardをベースにして、新しい本の姿を現しつつあった。

あれから20年が経ち、いまや本は誰にでも作ることのできるものになった。大仰な印刷や製本をしなくても、その気になればテキストエディタだけで、いや、スマートフォンだけで作ることもできる。EPUBというフォーマットがそれを容易にしてくれた。さまざまなWEBサービスが、電子書籍のプラットフォームとして立ち上がっている。

しかしパブリッシュメントのインフラが立ち上がり、初期のセルフパブリッシュのヒーロー・ヒロインがそれぞれのシンデレラストーリィを実現しても、百万といる小説家ワナビィの反応はいまいち鈍かった。なぜか。書き、作り、世に出す長く孤独な作業に対し、モチベーションを維持し続ける事は、並大抵のことでなかったからだ。

今回のハッカソンは、ふた晩を合宿して小説を書き、編集し、デザインまでして電子書籍の形にまとめ、最後は販売にまで持っていこうというものだ。小説家を目指すワナビィは絶えず世にあったが、一人では滞りがちなパブリッシングという作業を、制作陣を交えたチーム制にすることで強制的に前に進めるという画期的な企画なのである。

私はそっと出身校の食堂が作ったミートソースのレトルトパックを開け、鍋へ移す。本来はここで生トマトを加えて炒め、肉なり魚なりを追加してから煮込むのだが、このハッカソンの間でそれほどの手間を掛けることは憚られた。だいいち、缶詰になるというのに生の食材を持ち込むのも躊躇われたのだ。

ミートソースはつまるところスパイスを抜いたカレーだから、不足したスパイス部分を組み立ててあげればそれは完全なカレーになる。母校の食堂のミートソースは美味しいので心配はない。安心して私のスパイスを託すことができる。これはいわばJamセッションのようなものだ。

鍋の具にボリュームはないけれど、ふつふつとソースが煮立ってすっかりカレー然としている。焦げないようにゆすりながら温めてソースとスパイスを馴染ませる。ご飯は、先程食堂で手に入れてきた。完璧ではないか。

このように私は、私の最後の平和な時間を過ごしたのだ。忍び寄る惨劇の影を目に入れぬようにして。

2. 綴教団

山上の夜が更ける。

いかにも電子書籍が当たり前な、世間に受け入れられた、一般的な、誰もが本だと認識できる、新しい本の形であるように、過去私は述べてきた。申し訳ないが、それはチートだ。

紙の本は最強だ。そこでブラウザとコンテンツは離し難く結びついている。数百年の時間をかけて洗練されてきた冊子体は、いまや私たちにとってアプリオリな本の形としてあり、本という概念そのものを蹂躙し続けている。巻物を見ても、私たちは誰もそれを本と呼べない。同じように、電子書籍は未だに本と呼ばれない。いつまでも亜種亜流として蔑まれている。

あれは本ではないと、業界のおじさまたちから何度聞いたことか。

Mosaicの登場から四半世紀、Windows 98からほぼ20年。しかし未だヒトは冊子体から逃れられない。WWWはコデックスからスクロールを取り戻したというのに、頑なにコデックスにこだわるのは、なぜか。私たちは数百年の時間をかけてクラックされたのだ。コデックス、冊子体に。

大学を卒業して、私は文科省へ入省した。当時、総務文科経産3省合同のプロジェクトとして立ち上がったばかりの「ポストデジタル・ネットワーク社会における出版物の変容及び日本語の形態維持に関する緊急懇談会」、通称三緊懇(サンキンコン)の体のいい雑用係として末端に放り込まれた私は、始めて綴教団の名前を聞くことになる。

あなたがすこし規模の大きな書店に入り、三角形に形作られたカタカナのロゴを持つ雑誌が配置された棚を発見したとする。きっとその棚の周辺には、ユダヤ人の陰謀に関する眉唾な与太や、秘密結社による世界の支配構造に関する極秘レポートなどを扱った雑誌や書籍が散見されるだろう。

14歳の少年ならばいざ知らず、それなりの年齢に達した普通の社会人であれば、それらをフィクションとして笑いとばしながら、若干の喜びと期待を持ってページを繰ってしまうに違いない。世界の謎への安全で微笑ましい反応といえるが、残念ながら秘密結社は実在した。

初めてテツキョウダンの名を聞いた時、私はテツドウオタクの一派についてなぜこのような場でささやかれているのかさっぱり分からずに首をかしげた。更にその話題を追おうと耳を済ませたときには、すでに通常の議事が進んでおり、その後の雑務に埋もれているうちにそれを忘れてしまっていた。

2度目にその名を聞いたのは、経産省が立ち上げた「コンテンツ緊急量子化事業」、通称キンカンへ聴聞員として派遣されたときのことである。

ところでキンカンとはまたふざけた略称であるが、量子のみクワンタム→カンタムと横文字にして、当初はコンキンカン事業と呼ばれていた。そのうち誤ってキンコンカン事業と言い出すものが続出し、キンカンに縮まったとのことだが、いずれにしても極めてバカバカしい話だ。いち国家のプロジェクトの略称がキンカンである。へそで茶を沸かすというものだ。

キンカン事業については早すぎる量子化の検討に各方面から批判が相次ぎ、キンカンゲートと呼ばれた一連の疑獄が立ち上がるもそれもいつの間にか有耶無耶になり、量子だけに曖昧だねと酒場で苦く笑ったものだが、その話はいまはどうでもいい。綴教団のことだ。

EPUB3.0がようやく認知されたもののまだ古いフォーマットも生きていて、電子書籍端末がバージェス動物群のように次々と生まれては滅んでいたあの頃、キンカンの検討事案とされていた電子書籍のページネーションについて、かなり揉めたことがあった。

要は紙の書籍同様、学術利用する際にページ行数をもって引用できるようにと、本のコンテンツに固有のアドレスを持たせて位置を確定できるようにしようとしたものだ。いわゆるリフロー型に対して、どの端末でも同様の字詰行数を再現できる基本レイアウトを持つ、半リフロー型の提唱である。

すでに段落番号で引用を実現させようというプロジェクトが文科省主導で先行しており、いまさらながら経産省からこのようなページ概念へのこだわりを示されたことに省庁をまたいだ陰険な攻防が繰りひろげられた。

しかし半リフロー型は広く中小の出版社、特に学術系書籍を扱う中堅の熱狂を呼び、書籍とはページであるとして、アンシャンレジーム支持に怪気炎が上がった。すでにWEBブラウザやスマートフォンに慣れたものは、なぜいままたコデックスにこだわるのか理解ができず、数年に渡るフォーマット論争へと発展する。

そうした中で、再び綴教団の名を聞いたのだ。

曰く、コデックスをカミに与えられた神聖な形態として崇め、数秘主義的な信奉を捧げている文化技術集団があり、業界の奥底に巣食っていると。もともとは黒海の畔で羊皮紙を生産していた村が、カミの需要が高まった際に周辺のギルドから実を守るために地下に潜り、以後極上の羊皮紙を供給しながらその主な顧客であるユーラシア各地の支配層に食い込んだという話だが、もちろん真偽は不明であり、私は眉に唾を塗る。

さらに、日本にこれが及んだのはなんと空海の帰朝の際だとされ、戦国時代にはイエズス会の修道士を騙って上陸した一派もあるとかないとか。数百年に渡って巻物から和装本へのパラダイムシフトを支えてきた綴教団は、縦書文化への密やかな反発か教義を先鋭化させ、明治時代は金属活字の導入を後押しして木版文化すら滅ぼしてしまった。

パーソナルコンピュータの登場以後、急速にIT化された世界は旧来のカミの領域を食い荒らしてきたわけだが、これに恐れを抱いた綴教団が結成した刺客部隊が綴騎士であり、経産省はいまや綴騎士の巣窟なのだ。君、気をつけた方がいいよ。文科省は意外と天然だからね。ぼんやりしているうちに上司の首がスゲ変わっているかもしれないぜ――。

3. 初稿提出、A Shimoyugi Curry Tragedy Case

…っていう感じなんですけど、どうですかね、無理がありますか。

特別に調理室を拝借してカレーを作った私は、自家調合のスパイスと、その後に淹れた鎌倉はアジア商会の今週のおすすめであるエチオピア・モカ・イルガチェフェ・G2ウォッシュという某シアトル系コーヒーショップもびっくりの名を持つ激ウマ珈琲のカフェインで完全に覚醒し、一気呵成に綴教団の話をぶち上げた。

あのさぁ、これ、ここだけで2千字を軽く超えてるよね。大体さ、いまもう本来は第2稿提出して、最後の調整をしようって時間だよね。どうするの、これ? 三木さんの話覚えてる? これのログラインってなに? 全然見えないんだけど。朝から行方をくらませて、いったい何していたわけ?

いや、私はわたしとして最大限の努力をしたきたのだ。私の遅筆は有名であまねく私に知れ渡っているが、残念ながらこの編集さんはそれを知らない。自己紹介で、私書くのが遅いのでご迷惑をおかけするかもしれませんと断ったが、ただの謙遜だと思われたようだ。初稿提出できなかった私と昨夜はいっしょにストロングゼロを焼酎で割って飲んだじゃないか。あれは私の奢りであり謝意でありきたる惨劇に対するショックアブソーバーであったのだがご理解いただけなかったか。

しかし悪いことばかりではないだろう。私が調理に勤しむ、もとい、調理という行為の耽りながら綴騎士のダークな剣技に想いを馳せている間、編集さんはもうひとりの担当著者と蜜月の関係であったことを私は知っている。昼間にGoogleドキュメントで読んだプロット及び初稿は、このままいけば最優秀賞を狙える切れ味だった。デザインも冴え冴えとしており、完成度は群を抜いて高い。悔しいが、面白いものは面白いし、いいものはいい。私はそれを認める。

あのさ、あんまり平静にされてもさ、困っちゃうんだよな。とりあえず、半分くらいに刈り込んで、話を進めてオチだけはつけようよ。で、もう一度聞くけれど、この話のログラインってなにかな? そこから詰めてみようよ。

ええと、その。チャツネがね。チャツネがなかったんですよ。

はい?

私のカレー。最後まで、一人だったな。
せめてCurryJam 2018には参加したかったんだけど――。

#カレージャム
#CurryJam

----------

※もちろんフィクションです。登場するあらゆる団体やその他あれこれもすべて実在する団体とは関係がありません。また、NovelJam 2018にも参加しておりません。後方支援の賑やかしとして書きました。あしからず。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?