やまざと あり

カラーセラピスト。 不安定な事が多いけど元の自分に戻れるように 「何か」が終わってし…

やまざと あり

カラーセラピスト。 不安定な事が多いけど元の自分に戻れるように 「何か」が終わってしまったけれど それは同時に「何か」が始まって 「始まり」はいつでも怖いけれど だからこそ「僕ら」は手を繋ごう We are with you

最近の記事

顔がきもちわるい

あれから違う場所に引っ越しをしました 一人一つの部屋がある場所です 態度は変わりませんでしたが私は頑張ってきました でも「お前を尊敬したこともないしお前みたいな人生を歩みたくない 感謝もしたこともないし、感謝できることなんて一つもない」 とはっきり言われてしまいました。 一人で頑張ってきた 本当に一人で頑張ってきた それなのに何の感謝も無いとはっきりいわれた 感謝するところなんてないと… 傷つきました そして昨日「顔が気持ち悪い、気持ち悪い顔をみせるな」と 元義母に

    • 環境を変える

      最近子供の姿を見るのが辛いときがある それはお世話をすることが辛いのではなく 反抗期の姿を見たり聞いたりすることが辛くなった 今までは母親なんだから 見捨てたらだめ、なんとか立ち直らせなきゃ と思い色々頑張って様子をうかがっていたりしていた でも、最近私の気持ちが本当にしんどくてしんどくて… ちょっとまって母親って絶対逃げたらダメなの??? 逃げるって子供を捨てるんじゃない しんどいなって思うときに少し逃げの体制を作ってみるって事 それもダメなの?そんな事したら子供を捨

      • 手放した考え

        あれから4年が経った あの時今の自分を想像できただろうか? いや、まったく想像できていない 今までいつもいつも未来に自分が困らない様にと 色々我慢したり、準備したり、用心したりしていた 今考えるととっても窮屈な生活だ 窮屈な生活が居心地が良かった 親に言われた価値観の通り生きていたんだなと今は思う 苦しい事しか待っていないぞ、しんどいぞ、怖いぞ、 どんなことがあっても夫を頼って生きていかないとお金に困るぞ と。。。 結局は【自分達は絶対に助けないぞ】って事だって今は

        • あれから

          母子家庭は普通の暮らしできると思うなよ! との言葉を母からもらってから、不安はあったが色々な人と出会いなんとか今まで過ごせてきた。 一言で言うと 普通の暮らしできてる そもそも普通って何? その人の基準は何基準? こう疑問に思うようになってから親や元夫が私に浴びせてきた暴言が単なる支配欲からの脅しにしかならないことに気付いてしまった 結局負けたくないけど、自分は努力したくないから、相手を精神的に落とし入れ自分よりも下にして自分の価値を高める と言った自分には力がない

          過去を振り返る あり得ない状況の中にいたんだな もう大丈夫 不安や悲しさは変わってないけど きっとどうにかなる

          過去を振り返る あり得ない状況の中にいたんだな もう大丈夫 不安や悲しさは変わってないけど きっとどうにかなる

          もうしんどくなってきた 頑張ってご飯作ってた時代懐かしいな 毎日すごく憂鬱だ

          もうしんどくなってきた 頑張ってご飯作ってた時代懐かしいな 毎日すごく憂鬱だ

          生き方

          あれから私は色々な人達と出会った 手放すことによって得られた物や人 それらは全て縁なのかもしれない 一年前誰が今の世の中の情勢を予測できただろう?きっと元夫や元姑、私の母は「知っていた!お前たちは分からなかったのか」と言うだろう。実際言っているしその堂々たる態度は私には理解し難い。いや、理解できなくていい。 マウントを取る人達にとって予測と言ったものはとても大切なのだろう 分からない物を分からないと言って何が悪いのかが私には分からない 私は離婚によって親からも暴言

          選択権と選択

          全ての人間に選択権が与えられその選択は本人の意志責任のもとによって決断される どんな場合でもその選択は本人の意志だ モラハラやDVにより支配下にいた私はそれを完全に見失っていた。 どっちがマシか? この選択ばかりの人生だったように思う。 このどっちがマシか?と言う選択は 【どちらも自分にとって嫌な事】なのだ。 だから答えは全てNOになる はずなのに私は選んでいた。そしていつもどっちがマシか?を言われて(指示)いた。 離婚したくない(家庭をこわされたくない)私は

          選択権と選択

          笑顔の裏に隠れているあの真顔。そうじゃないとシングルマザーで自営なんてできないよね?近づいてくる時は笑顔、去っていくときは真顔。その隙間を見てしまった。言葉の節々に商売気が匂う。困っているひとに親切にすることによって紹介料のビジネスを広げている。人の不幸は蜜の味?!

          笑顔の裏に隠れているあの真顔。そうじゃないとシングルマザーで自営なんてできないよね?近づいてくる時は笑顔、去っていくときは真顔。その隙間を見てしまった。言葉の節々に商売気が匂う。困っているひとに親切にすることによって紹介料のビジネスを広げている。人の不幸は蜜の味?!

          明日が来なければいいのに…

          皆にとっては当たり前の様に感じていると思われる毎日だが、私にとっては明日が本当に来るのか?と言う不安の中で毎日を過ごしている。 朝起き学校、仕事へ行き帰ってくると突然自宅がなくなった。その恐怖はとてつもなく何もかもを信じれなくなり不安になった。そして頼ったところが地獄だった。もしかすると家がなくなった事よりもその地獄を味わったのが一番トラウマになっているのかもしれない。 私は今毎日を朝起きてご飯を食べそれぞれのそれぞれの場所へ出かけ時間になったら同じ場所に帰宅しご飯を食べ

          明日が来なければいいのに…

          サンドバッグにならされてた私はいったいどんな存在だったんだろう?殴っても泣かないし立ち上がる。やってる相手は気持ち良かったのかな?人間だと思われてなかったんだろうな。そんなにいらないゴミの存在なの?私が何をしたの?そして両親はなぜ殴っていいと許可を出した?

          サンドバッグにならされてた私はいったいどんな存在だったんだろう?殴っても泣かないし立ち上がる。やってる相手は気持ち良かったのかな?人間だと思われてなかったんだろうな。そんなにいらないゴミの存在なの?私が何をしたの?そして両親はなぜ殴っていいと許可を出した?

          住所がないって本当に怖い。就職も学校も次に借りたい家も借りれない。人間として認められない。私達は住所を置く場所もない。奪われた、そして頼れると思った親族には住所を移動する事さえ拒否された。家がない、住所がない。

          住所がないって本当に怖い。就職も学校も次に借りたい家も借りれない。人間として認められない。私達は住所を置く場所もない。奪われた、そして頼れると思った親族には住所を移動する事さえ拒否された。家がない、住所がない。

          去年の今ごろ何をしてたのだろう?泣いてた?横になったまま?ご飯は食べてなかった。睡眠もとれてない。何してたんだろう?私。全く記憶がない

          去年の今ごろ何をしてたのだろう?泣いてた?横になったまま?ご飯は食べてなかった。睡眠もとれてない。何してたんだろう?私。全く記憶がない

          誰かと話がしたいと思う気持ち

          なんで不安なんだろう...何が不安なんだろう...それを考えると本当に漠然とした不安しかのしかかってこない。 ご飯が食べれなかったときを考えると今はご飯を食べれている。自宅も荷物も元夫に売られてしまい私達は何もなくなったが、自分の家ではないが雨風しのげる家がある。 きっと何が不安だって【安定、安心】が無いからだろうなと思う。 もうこれは手に入れる事が出来ないものだと思う。これを手に入れるために前の暮らしに戻るか?と問われたら戻らない。 だって今考えると間違っている。な

          誰かと話がしたいと思う気持ち

          これからの繋がりと環境

          いつまでもお世話になる事は出来ないのだが、少しずつ繋がりができてきた。私の知らなかった繋がりだ。皆何かを求めその場所に集まる。そしてその場所は個々全く知らない人達だ。 自らその場所に行った人、紹介されて行った人、ボランティアでいっている人、そして主催者、支援者色々な人が集まっている。本音を話しているわけではないと思う。個々色々思う事はあると思う。でも作り笑顔かもしれないが気を使いながらだが一緒の空間にその時間居る。 もちろん前回会った人の事なんて覚えていない。他の人は新し

          これからの繋がりと環境

          変化による楽しみが少しずつ増えていくかな

          突然の出来事から1年半。1人になってからもうすぐ2か月。脱出してからもうすぐ1ヶ月。 この期間の中でどれだけの人々の本性を知ってしまったのだろうか。私が信頼していた人達は皆去っていきました。人間って土壇場になると本性が現れるんですね。その姿を知り今までどれだけ自分が嘘をつかれてきたのかって事が良く分かりました。悲しくもありやっぱりなという諦めもあり、色々な感情が巡り自分の心は完全に壊れました。 その壊れた私を子供達は必死に支えました。私は子供達がいなければ絶対に今こうやっ

          変化による楽しみが少しずつ増えていくかな