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敗北感と明るい光

突然の出来事からずっと考えていた事を実践した。本当に怖い、不安の中で決断したことだ。突然の出来事から私達は心がズタズタに傷ついたがその上にもっとズタズタに切り刻んできた。だから逃げようと思った。

ご飯も食べれない、部屋に隠れないといけない、モノは取られる、安心する場所ではない...様々な葛藤の中ずっと自分の経済的な物と気持ちとが戦っていた。でももう限界だった。何もかもが限界だった。

最後の一週間は本当に地獄だった。今振り返ると虐待をされていたと思う。お金に縛られ「子供が犠牲になってもいいのか、お前に金はない、だから黙って言うことを聞いていればいい」そんな言葉はまだ軽い方だ。ご飯は食べれなかった。米粒一粒も食べれる環境ではなかった。あれだけお金を言っていたのに私達のお金が少しずつ無くなっていっていた。ほんの少しずつだから分からないと思ったのだろう。食べ物もなくなっていた。もう限界だった。部屋を与えれば何をやってもいいのか?部屋を借りるのにはお金がいる。そこを突かれていた。

いろんな人に相談した。そして全員家を出た方がいいと言った。シェルターでも入るくらい緊急性は高いと。ご飯を食べれないと伝えるとご飯を食べれる提供してくれるところを教えてくれた。

家の中で繰り広げられている虐めは外には分からない。そして身内から受けていると言っても誰も信じてくれない。そんなものだ。

「一切関わりたくない!頼ってくるな!金の無駄!金がもったいないわ!関わると金が取られる。助けようなんて思わない。お前たちは死神の顔をしている!近寄るな!」と言われた。これが本音だろう。

ここまで言われても私は土下座し「離婚になってすみませんでした。でも私達は本当に理由は分かりません。分からないのに責められても困ります。すみませんでした。」と何度も何度も謝った。そして「お世話になりました」と言いました。

今回の件で親の本性が分かりました。そして今まで私が育っていた環境が不自然だったことそして突然行方不明になった人と最後に会ったのは私の母親だった事、その時の会話は誰にも分かりません。

私の母親は毒親だったと言う事。そして私や孫をいじめた事。

もう限界でした。不安の中重たい荷物を何度も運びました。子供達は一生懸命運びました。そして「やっとご飯が食べれる。自由になった」と。こんな言葉が出るの子供は何人いるのでしょうか。

離婚になった原因は分かりません。でも虐待DVがあったことは確かなので離れてよかった、それ以上にこの1年半過ごした家が地獄だったこと。殴られてもそっちの生活の方がマシでした。この感覚はいつになったら正常になるのでしょうか?


これからは経済的な生活面での不安がのしかかってきています。

お金で左右されお金でつぶされお金で支配された。私達は死神ではない。母子家庭になったらゴミ扱い。そんなものでしょうか。好きで母子家庭になったのではない。ならざるを得なかったという表現が正しい。


子供達と前を向いて生活できるのはいつだろう。いつになったらこの傷ついた心の上にさらにナイフで刺された心は癒えるのだろう。

毎朝「ほっとけ~ありがどうにかするやろ、何があってもほっとけ~おもろいな、苦しんどるぞ」という笑いながらの言葉とあの顔が浮かび胸が痛くて起きてしまう。ほとんど寝れない。

怖いです。これから怖いです。でも時は前に進んでいる、自分が決めて行った行動を後悔するのではなくいつかこれで良かったと思えるように自分でそのように持っていこうとしている。かなりの力がいる。耐えれるだろうか...


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