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後出しじゃんけんの虚しさ

実感がないまま過ぎていく日々、毎日同じ繰り返し。

その中で色々と前に進まないといけないことがあるのに私はいつまでも同じ場所にいるような気がしています。何も変わらない様に現実を見ないように生きているような気がして…これっていいことなの?

自分の状況はすごく変化して覚悟もいる事もたくさんあるのにその覚悟も何も実感がないまま日々過ぎて行っているので自分の中で逃げているような気がしてならない。現実をもっと見てしっかりしていかなきゃいけないのに、恐怖と言うか怖いと言うかその気持ちが前にあり全く見れていない。そんな状況をもう1年半もしている。

結果が見えてから人はああすれば良かったや、何くわない顔をして相手を責めたり、こうしたらよかったのに等正論と思うような発言を伝えてくる。

しかしそれは結果が分かってから言ってることであり、後出しじゃんけんだ。後出しじゃんけんをしていかにも答えを知っていたかのように自慢げに言ってくる。「そうなると思ってた、私は知っていた」等。

何をもって相手に伝えているのだろう?自慢気な顔をして見下している。私はいつも「あなたは何でも知っているのだね。すごいね。」と思ってしまう。これが相手にとっては嫌味に聞こえるのだろう。でもね、そんな何でも人間て状況把握できないし、何もかも知ってるのではない。

市役所や裁判所、そして会社、学校、塾…色々な所に電話をしてお前の言っていることは嘘だ確かめてやる!と言われ「それではお願いします」と伝えその関係各所に問合せがあったかを再度確認をする。必ず関係各所に連絡をしていない。

ただの脅しだ。

後出しじゃんけんをして脅しをかけると言いなりになるとでも思っているのだろう。自分が胸を張って嘘をつかずにいるのならば何を問われてもきちんと答えれる。そう思って私は生きてきた。

そして脅した人々はバレルと逃げて行った。そして一切の関りを絶つと宣言し弁護士をたててきた。その弁護士も結局は何も意味のない争いだと感じたのか任期が終了したら早々に自分はもう関係ないと連絡してきた。

そんな人々と関わるのがしんどくなってきた。いつも脅されるのがしんどい。脅されても泣きもせずやり遂げる私の事が憎いのだろう。でもね、憎まれても知らない。自分自身が弱いからってこっちを責めないで。貴方は貴方。私は私。別の人間だよ。私は貴方の一部ではない。

今回離れて自分の周りにいる人たちの本性が良く分かってきた。

結局は家族であろうが、親であろうが本音を言ってはいない。言ってはいけない。母ちゃんは優しすぎると子供に言われた。みんな嘘をついている。自分に火の粉が飛ぼうとしたら容赦なく逃げる。すべては名義人が決めれる事。その権利を法律は保証している。思いやりや感情なんて一切ない。

私達は人を信じ思いやり笑って生きてきた。しかしそれは間違っていたのかもしれない。

後出しじゃんけんして嬉しいならすればいい。勝った気でいればいい。

私はもう貴方たちと戦わないよ。私は私。貴方は貴方。違った道を歩いて行く。一人で歩けるかどうかは私はまだ不安でわからないけど。いつか一人で歩いてよかったと思える日がきたらいいなと思っている。




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