20190519_カンファレンスvol

武器がなくて戦えなかった。Armory代表の過去

初めまして。株式会社Armory代表取締役の福永祐作と申します。
これから、株式会社Armoryの公式の活動発信としてNoteを活用していきます。

Twitterの140文字では伝えきれない事業への想いの部分や、詳細を発信していけたらと思いますので、共感してくださった方は是非フォロー&記事のシェアにご協力いただけると幸いです^^


初回は、僕自身の自己紹介をしていきます。

名前:福永祐作(ふくながゆうさく)
出身:北海道札幌市
生年月日:1994年1月14日

活動
・株式会社Armory代表取締役
・100人規模のコミュニティ事業形成
・東大/京大講演
・立命館大学外部講師
・大阪市共催イベント開催 など

1.サッカーを始める

幼稚園から大学2年までの15年間ひたすら打ち込んできた。
歴は長いけど大層なキャリアではない。

中学は公式戦で5分しか出場していない。体が小さくチームの方針にも合ってなかった。ただ、そんなことで諦めたくなかったから進学して続けた。

高校でも最初から試合に出続けられたわけじゃないけど、毎日練習した。肉離れになってもボールを蹴り続けた。

3年になってからはある程度試合に出れるようになった。選手権では北海道ベスト4で終わった。全国という目標は達成できなかったのでめちゃめちゃ悔しかった。

下を向いていても何も始まらないので、前を見て大学もサッカー推薦で進学。

※大学2年次の写真

大学はそんなに有名ではないけど、全国常連のチームのエースやJクラブの下部組織の選手もたくさんいて純粋に楽しかった。

当時は週6で部活し、週4でフル単、母子家庭でお金がなかったので深夜100時間バイトをしていた。

そんな生活の中で運がよく海外のプロチームで一緒にやらない?みたいなスカウトももらった。

めちゃめちゃ嬉しかったがある感情があった。

2.将来への不安

サッカーは大好きだけどいつまで続けられる?飯を食って行きていけるのだろうか?僕はスーパーな選手ではなかったので限界はあるだろうと考えていた。

ただ、それを判断するだけの知識も経験もなかったので先輩を見てみた。

「あれ、そんなにサッカーの道に進む人って少ないんや」
「え、そんなんでいいの?」

これが正直に思った感想。サッカーでは全国レベルで戦ってたし大きな志を持って活動していたのに、社会に出た途端何も知らないんだ。

そのときに「知らないことがリスク」だと感じた。
自分は無知すぎて何もできないことを知る。

3.ある友人からの誘い

悩んでいるタイムリーなタイミングである友人から食事の誘いが来た。
彼は、僕より先に部活をやめたサッカー部の同級生。

辞めた理由も知らなかったので、その機会に聞こうと思って会いに行った。
すると、当時抱えていた悩みが一緒だった。

「俺は自分のやりたいことを見つけて叶えるためにサッカーを辞めた」

僕も週6でサッカーをやっていたので時間がなかった。
サッカーは好きだけど将来を考えると、今の時間の使い方でいいのか?という疑問を持っていた。

深く話してみると彼はビジネススクールを運営している会社でビジネスを学んでいるらしい。
めちゃめちゃ興味があったのでトップの人に会いに行った。

それが僕の社会に触れたはじめての瞬間。
すべてのことが新鮮でこんな世界ってあるんや―という衝撃を受けた。

その人から学ぶためには時間を使わなきゃ無理らしい。お金もかかるけどそれ以上に今の生活だと無理。

それがきっかけで、好きだし辞めたくはなかったサッカーを辞める決断をした。

その意思決定がいい意味でも悪い意味でも人生を変えたかもしれない。

4.裏切り

その意思決定の1ヶ月後くらいにその友人から電話が来て家に来てほしいとのことだったので行った。

なぜか大号泣している。そこで言われたことが衝撃だった。

「ごめん、紹介した会社は裏で暴力団がつるんでるやばい企業だったから辞める、、」

どうも彼は親に大反対されたらしい。彼を信じてサッカーも捨てたけどそんなことを言われすべてを失った。

彼への怒りはなかったが、自分の無力さに怒りを覚えた。
結局、自分次第で未来って変わるんやなーと。

5.武器がなくて戦えなかった

くよくよしても始まらないので、ゼロからのスタートをした。

何もわからないなりに行動し続けて2ヶ月で50人以上の学生や社会人まで様々な人に会った。

色々なビジネスの勧誘を受けたし、初めましての胡散臭い人に謎に説教されたりもした。

毎日痛感していたのは、サッカー以外の世界を知らないということ。
謎に説教してくる人にもサッカーだったら勝てるけど、社会のことは無知なので言い返すこともできなかった。

そんなことを繰り返している中であることに気づいた。
結局、自分がどうしたいか?が重要

色んな人の話を聞いたけど、別に成長はしてない。
自分にとって正しい情報かわからなかったから。

野球の人にアドバイスをされてもサッカーで全国を目指したい僕には意味がない。自分のゴールがないとこれやってても進めない。

そう感じ、人生かけて何をしたいか?を考えるようになった。

6.理念の確立

経営理念:挑戦できない環境をできる環境へ

これは5年前に掲げた理念で、今も株式会社Armoryのとして掲げている。

上記の活動を通して感じたのは、環境で運命が変わるということ。
僕がサッカーで最低限の結果を出せたのはサッカーで挑戦できる環境があったから。社会で通用する知識や経験はなかったのは準備する環境がなかったから。

周りを見渡しても挑戦したくてもどうすればいいかわからない人が多かった。その共通点が環境だった。

僕自身も環境が人生に大きく影響を与えていたので自分の人生を「挑戦したい人に対して全力で挑戦できる環境」を作っていきたいと思うようになった。

これが僕の原点。

7.最後に

これがArmoryを設立している根本の想い。

今後は
・自分の信念
・会社にかける思い
・今やってること
・今後のアクション
・最終ビジョン

この辺を書いていきます!共感していただけた方はシェアしていただけると嬉しいです。

では!

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