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太陽、月、わたし | 皆既日食体験記

今も余韻に浸っている。
2024年4月8日、アメリカテキサス州で皆既日食を経験した。

皆既日食は太陽と月が重なり、太陽の光をそれよりもずっと小さな月が完全に覆い隠すわずかな地点だけにもたらされる奇跡の現象だ。
日食自体も稀な天体現象だが、それが金環食、まして皆既食となるのはさらに稀少な体験となる。

昨年10月の金環日食から約半年、その記憶が新しいうちに皆既日食を体験できたことも感動をより深くした。
十分過ぎるほど感動した金環日食であったが、皆既日食は想像を遥かに超える神秘的なもので、言葉を選ばずに言うのなら金環日食と皆既日食では全く次元が異なる体験だった。


皆既日食の感動を伝える記事は過去にKobayashi muさんも書かれている。

多くの人にとっては人生に一度できるかどうかの体験である。
muさんは大学生の頃に日本の真裏にあるカリブ海の島まで足を運び皆既日食を体験されているのだ。それほどまでに人を魅了する皆既日食。まさに魂が震えるという表現がぴったりだ。


今回、北米のほぼ全域で部分日食を観測できるが、こと皆既日食となるエリアでは航空券、宿泊費が高騰していると聞いていた。
中には飛行機内で皆既日食を観察するプランも販売されていたらしい。なるほど、天候に左右されずに天体ショーを楽しむには雲の上にいれば良いということか。

ここテキサスもまさにそのホットスポットのひとつで、地元でもあちこちで観測会を予定されるなど皆がその日を楽しみにしていることが感じられたのだった。

どこで見る?天気は?

4月に入ってから、いや、正直に言うともっと前からどこで見ようか、気象条件はどうだろうかとソワソワは始まっていた。

その日は月曜日。
本来であれば夫は出勤日であったが、
「こんなビックイベントを仕事の合間にちょろっと窓から見ればいいなど勿体無いにも程がある。慶弔レベルの重要事項なのだ」と力説し休暇取得を推奨した。
ちなみにこれは少々盛って表現しているが、実際皆既日食を見終わった今、全くもってその通りだったと思う。

そして場所。
自宅で皆既日食を見るというのもある意味でとても贅沢な体験であるし、地域の図書館や植物園、スタジアムなどで企画されている観測会に参加するのも楽しいだろう。
が、できることならより皆既中心線に近い場所で見たい。南もしくは東へ車で1時間ほど移動すればより中心線に近づくことができる。
その線上付近の公園や公共スペースを候補地としてピックアップした。

しかし何よりも重要なことがある。気象状況だ。
たとえ皆既帯内に立っていようと、雲が太陽を隠してしまえば観察することは叶わない。

中期予報によると皆既日食当日のテキサス全域が曇りとなっていた。
今回の皆既帯はメキシコに始まりテキサス南部から北東方向に伸びカナダ東部のケベックを抜けていくのだが、予報はテキサス州どころか隣のアーカンソー州あたりまで曇り予報。
一体どこへ行けば見られるだろうか。とはいえそう遠くまでは行けないし・・・
途端に私の心の雲行きまで怪しくなってくる。

天気については直前までどうなるかはわからないため、日々様子を見ながら候補をあげ、直前に観察地を決定することにした。

ところが前日となってもテキサスはほとんどのエリアが雲に覆われる予報のまま。特に自宅周辺は完全に雲に覆われる予報だ。
少しでも雲が少ないエリアを求めて東へと車を走らせる計画をたてた。
日食の時間は12時30分に始まり皆既となるのは13時50分頃。当日は余裕を持って6時半に出発し、東へと車を走らせた。
ラジオからはスポーツコーナーでeclipse、道路情報でeclipse、天気予報でeclipse・・・ほんの1時間くらいの間に200回くらいeclipseという言葉が聞いただろう。全く大袈裟ではなく。

その間カクカクシカジカあり、東奔西走よろしく数時間のドライブののち、州を跨いでアーカンソーまで行ったりもしたのだが、結局は少し引き返し、テキサス州の北東部にあるマウントプレザントという小さな田舎町の湖のほとりに拠点を定めた。

日食開始前の時点では先客がぽつりぽつりといる程度だったが、ナンバープレートを見ると他の州から来ているキャンピングカーが殆どだった。

しかし上空を流れる雲の量は少なくない。
祈るような思いで空を見上げる。

田舎町ののどかな湖畔で皆空を見上げる


4分間の異世界体験

12時半をすぎた頃、日食メガネ越しの太陽は少しずつ欠け始めていたが、周囲はいつもと変わりない初夏の日差しが降り注いでいた。
時より雲が太陽を隠すものの、雨雲ではないため一塊が通り抜けると再び太陽が顔を出す。
その繰り返しで時より大きな雲がやってくるとヒヤヒヤしながらも、13時半ともなると三日月形となった太陽の日差しは少し勢いを落としてきた。
薄曇りの昼間と変わらない程の明るさを保っているが、夕陽のそれとも違うわずかに黄色みを帯びた薄いベールがかかったようなが不思議な世界を作り始める。
金環日食の時もこのくらいの色彩だっただろうか。

三日月のような太陽。
皆既日食直前、雲が流れてきて、ヒヤヒヤ


そこから更に細くなり、もう隠れるかもう隠れるかというところでも依然として明るさを保っている太陽の力に改めて驚かされる。
もちろんまだ肉眼では太陽は見られない。

と、ついに月が完全に太陽を覆い隠すかという時、公園の街灯がパッと灯った。暗くなると自動的に点る設定なのだろう、それだけ急激に周囲が暗くなってきたということだ。
空ははオレンジとグレーパープルが混じったような不思議な色。
そしてほんの数秒のうちに太陽が完全に月に飲み込まれ、空も一気に暗く変化していった。
漆黒の暗闇というほどではないが(街灯があったから?)、日没後のぼんやりあたりが見えるくらいの暗さとなりスーッと涼しい空気を感じる。

皆既となればもう日食メガネはいらない。

肉眼で見ると真っ黒な太陽の周囲に白く光るコロナ、下方には赤く光るプロミネンス、そして近くには金星と木星も見えている。

写真で見る皆既日食も金環のように見えるが「金環日食」は肉眼で見ることはできない。
写真で見る金環日食もあたりは真っ黒に写っているが、あれはフィルター越しの画像のためそう見えているだけで、空はほぼ青空のままなのだ。
しかし皆既日食は空も暗くなる。
この写真もフィルターのないそのままの空の色だ。

辺りは夜のように暗くなり木星と金星も見えた
黒い太陽の周りにゆらめくコロナが神秘的だった

4分ほどの皆既時間ははまるで異世界に放り込まれたような、何かを見ているようで見ていない、自分の意識もどこかに行ってしまったようなふわふわとした認識力となり一種の神秘体験に近いものだった。

長いような短いような不思議な数分間ののち、突然ピカッと強い光を放ち太陽が顔を出す。
ダイヤモンドリングと呼ばれるその一瞬は最も美しく、かつ皆既日食が終了する瞬間でもあった。
その光はみるみるうちに膨らみ、もう肉眼では見られないほど太陽は力を取り戻していった。
それとともに太陽の温かさを肌で感じた。

この間一応動画を撮っていたが、日食そのものの映像はぐだぐだにしか残っていないものの、感嘆する自分の声がひたすらその感動を記録してた。
「うわぁ、うわぁ、うわぁ、なんじゃこりゃ、すごい、すごい・・・」
ただその連呼と言葉を失いただため息をついていた私。
周囲からは
「オーマイガー、ハレルヤー、アメージング」
などという声が聞こえていた。


この酷過ぎる動画に音声が残っていたおかげで改めてその瞬間の自分が何を見てどんな様子だったかを思い出すことができたが、正直記憶なんて曖昧で私の中に残っていたのはただただ宇宙に圧倒され自分のちっぽけさに打ちのめされた心地よい脱力感とその余韻だった。

とある皆既日食ハンターが溢れる情熱をこのTed内で語っている。
彼の言葉を借りるなら「死ぬまでに一度は皆既日食を見た方がいい」
大袈裟に聞こえ、かつ少々厚かましい印象のこの言葉であるが、しかし確かにこの一言に尽きると今は私も感じている。


2035年、日本の北陸から北関東エリアで皆既日食を見ることができる。

11年後、できることならあなたにもこの異世界体験を味わってほしい。





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