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【父方ルーツ その3】北海道移住にまつわるドラマ

戸籍の記録から工藤家が北海道へ渡ってきたのは明治40年であるということがわかりました。

もう少し詳しく戸籍を読み解いてみたいと思います。


🔶長男金次郎(?!)

戸主金治のものが実家にあった最も古い戸籍で明治31年式のフォーマットでした。

この戸籍は3枚から構成されており、その1枚目に祖父金次郎の名前を発見。

そこには金次郎[長男]が訂正され[参男]と書かれていました。

これはどういうことなのでしょうか・・・


内容をよく読んでみますと、金治が分家届けを出し北海道札幌郡の戸籍ができたのが明治40年

長女スミが明治42年に出生、その後私の祖父金次郎は明治45年出生、長男として届け出されています。

その後大正6年4月に弟末太郎が弐男として出生届け(のちに四男と訂正)が出されていました。

いずれも訂正されているのは、大正6年9月

さて、2枚目の戸籍に記載されている内容をみると、長男長松、弐男長二郎と記載されており訂正なしです。

2枚目ということは、追記されたということ。

生年と戸籍に受付された日付を確認してみました。

長男長松は明治29年生まれ弐男長二郎は35年生まれ

いずれもこの戸籍に受付された日付は大正6年9月でした。

工藤金治ファミリーとしての構成はここまでで、2枚目3枚目は長男長松の妻と子の名前がありました。


🔶移住の前後に

本来の長男と二男が北海道移住から11年後の大正6年にようやく金治の戸籍に入っているのです。

工藤金治とリノが北海道に渡った明治40年の時点で長男長松は11歳、二男長二郎は6歳だったことになります。

幼い子供を秋田に残し、北海道へ渡り、家族は離れ離れに暮らしていたということでしょうか。

それから11年後、長松22歳、長二郎17歳の時に北海道へ渡ってきたと戸籍の情報からは推測されます。

本籍地と居住地がどのくらい正確性があるのかはわかりませんが、未知の土地、まして過酷な北海道開拓となれば幼い子供を連れて行くのは大変困難なことだったのかもしれません。

とはいえ、それでも北海道への移住を決断した背景にはどんなことがあったのでしょう…

目の前の限られた戸籍からは見えない家族の歴史がありそうです。


🔶ここまでのまとめ

家族が北海道でともに暮らし始めるまでに11年の歳月を要したようです。

時系列をまとめてみました。

明治29年 長男長松出生
明治35年 二男長二郎出生
明治40年 工藤金治、リノ秋田県山本郡塙川村から北海道札幌郡豊平村へ分家
明治42年 長女工藤スミ出生
明治45年 三男金次郎出生(祖父)
大正6年 四男末太郎出生
大正6年 長男長松、二男長二郎 秋田県塙川村から北海道札幌郡豊平村へ入籍

こうして見ると、名前にちょっと不思議なことを感じました。

金治の「金」を一文字もらっているのは、北海道で初めて誕生した男児である金次郎。

秋田で生まれた長男、二男はどちらも「長」がついている。

これはどんな意図があったのだろう・・・

もう少ししっかり戸籍を読み込んでみます。


🔶分家前の戸籍

工藤金治とリノが分家前に入っていた戸籍についての情報が小さな文字で記載されていました。

戸主 兄工藤運吉 秋田県山本郡塙川村比八田○○番地

兄である運吉戸籍に入っていたようです。

ちなみに金治の両親の名前も記載があります。父は喜助母はソヨ。

つまり高祖父母ひいひいおじいちゃんとひいひいおばあちゃんということになります。

このお二人のお名前も知ることができました。

高祖父工藤喜助、高祖母工藤ソヨ新たな登場人物です。

そして長男長松、二男長二郎がこれ以前に入っていた戸籍についても記載がありました。

戸主 祖父後藤長之助 秋田県山本郡塙川村畑谷○○番地

祖父の戸籍…

工藤リノの実家であり、リノの父である後藤長之助の戸籍に入っていたということでした。

なぜ父の実家ではなく母の実家なのでしょうか。

そういえば名前の「長」は後藤長之助の「長」からきていると考えて良さそうです。

ここでもまた疑問が残ります。きっと何らかの理由があったのでしょう。

秋田の戸籍を確認することができれば、何かわかるかもしれません。


ちなみにここでも高祖父母の名前がわかりました。

高祖父後藤長之助、高祖母後藤サキ。

どんどん登場人物が増えてきます。

戸籍ってすごい!!


次のステップとして秋田に戸籍請求をしてみることにしました。

初めての遡り戸籍請求。さてさてどうしたらよいものか。まずはここから勉強です。


次回へ続きます。














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