見出し画像

探究学習とはなんだったのか 〜長男の小学校6年間を振り返り〜

先日、長男が無事、小学校を卒業しました。おめでとう!!

長男は探究学習が特徴のスクールで6年間学びましたが、いいタイミングなので振り返ってみます。

息子の小学校

探究学習が特徴的な全日制のオルタナティブスクールに小1から小6まで通いました。(ちなみに幼稚園はモンテッソーリ教育)

無認可の学校のため、厳密には小学校と名乗れません。が、わかりやすくするため、文中で小学校と書くかも知れません。ご容赦ください。

探究学習とは何だったのか

結論からいえば「探究学習とは?」という問いに意味がないです。
「このカリキュラムが探究学習」というような一部抜粋は意味がなくて、「小学生は何をどう学び、どのような時間を過ごすべきか」を徹底的に考えて日々実践していくことこそが重要。

昨今、探究学習が教育業界で注目されてますが、詰め込み教育や偏差値至上主義へのアンチテーゼとしてなのかも知れませんが、非常に価値のある活動かと思いますが、あまり探究というキーワードに右往左往しても意味がないなと感じました。

探究が何なのかよりも、必要な学びは何なのかで考えるべき。

小学校で何をめざしていたのか

父親として入学時に学校に伝えたことは、心身の健康が大前提で、その上で
「周りの変な常識にとらわれないで、自らで行きたい道を堂々と切り拓ける子になってほしい」ということでした。

一方で、通っていたスクールの目指す学習者像は
「学び続ける人 / 創造し続ける人」でした。

現状どうなっているかというと、これらの方向に向かって進んでいると確信できます。自発的に行動しまくってて、家で暇を持て余すということがほとんどありません。子どもだけで北海道に鉄道旅行にいったり、衆議院選挙の全小選挙区の当落予想をしたり。

また何より、心身ともに健康です。小4と小6は皆勤。小5も濃厚接触者になっての欠席以外は皆勤です。(無認可校なので公的には不登校なんですが)
日々を楽しんでて、明るく楽しく過ごしています。

どういう学びだったのか

スクールで特徴的なのはテーマ学習というカリキュラム。各テーマ2ヶ月ずつかけて教科学習とは別にプロジェクト型で学びます。(詳細は割愛)

これらは1テーマごとに、例えば下記のようなセントラルアイデアを持って学びます。
・私たちはかけがえのない存在である。
・生物多様性の保全は私たちに委ねられている。
・編集によって情報の価値は変わる。

成長はじわじわと染み込んでいく

テーマ学習はプロジェクトの最後にプレゼンテーションがあり、6年ほぼすべて全学年を見ましたが、振り返って思うのは、学んで終わりじゃないということ。

例えば1年生で、自分について徹底的に調べ、その発見を同級生と共有しあい、お互いかけがえのない存在であることを学ぶテーマがあります。
ただ、そのプロジェクトが終わって「みんなかけがえのない存在だよね!」で終わりじゃない。むしろここがスタート。

プロジェクトで学んだことで子どもたちの内面に気づきがあり、日々のスクールライフの中で、子どもたち自身がその意味を咀嚼し、じわじわじわじわとその本質を育んでいく

「今回はコレを学んだ」という一過性のものじゃない。種を蒔いたあと、どう日々で育むかが重要。それには同じプロセスを経た上級生との関わりであったり、日々のスクールライフで考え感じる時間が必要です。

下級生だったころは「次のテーマはなんだろう」と新しい学びにワクワクしてましたが、上級生になるにつれて「あのとき学んだことがこうやって染み込んできているのか」と感じることが多くなりました。

子どもは子ども自身で成長していく

教科学習でもテーマ学習でも日々の生活でもですが、大人に教わっただけの知識は大した意味がない。

子ども自身が、「こういうことか」と自分の中で思考し消化し納得することではじめて身につく。

大人の関与やナビゲートにも、子どもだけではたどり着かない世界の広げ方や、思考のフレームワークなどのツールを得ることは大いに意味がある。

でも最終的にはやっぱり子どもが、学習者が主体で自律的であるべき。
大人が焦って答えを伝えるとむしろその成長を阻害するので、根気強く待つことが重要です。

これからの小学生の保護者へのメッセージ

まず健康第一

子どもが産まれたとき「健康であってくれれば何でもいい」と思ったんじゃないでしょうか。各人のなかでやっぱ健康に対して最善を尽くしたいですね。親が欲張って寝る時間が少なかったり、精神的にテンパるのは望んでいたことでしょうか?

ゆとりを持つ

子どもが自発的に行動してこそ、日々の学びを咀嚼して成長できます。自発的に行動するには、余白の時間が必要です。
その時間は行動でなく休息でもいいんです。大人の恣意性がなく、子どもが自ら行動を選べる時間こそが成長のエンジンです。

習い事を詰め込みすぎてずっと時間に追われてたら学ぼうなんて意欲は出ないし、クリエイティブな活動なんて100%できません。
大人の指示や誘導で出した一時的な成果は、大人の自己満足を満たすだけではないでしょうか?

子どもを信じ大人が関与しすぎない

教育は何のためにあるのかというと、子ども自身が自立と自律を獲得するためだと思っています。

幸い、アルスクールでもプライベートでも僕の周りにはネグレクトのような方はいない一方で、子どものことを考えて、つい先回りしたりケアしすぎる保護者は多いように感じます。

ぶっちゃけ、大人が先回りしていろいろ準備しても、子どもの成長に寄与しないです。むしろ(取り返しのつく)失敗はなるべくした方がいい。

あなたのお子さんはうまく行かなくても大丈夫、そこから大切なものを得られます。信じて待ってあげましょう。

雑なまとめ

と、ここまでそれっぽいこと書いてきましたが、あんまり難しく考えなくていいと思います。

今は情報が溢れ、いろんな教育方法が出てきて、あれがいいこれがいいと訳わからなくなるかも知れません。

教育事業を営んでいるものとしては言いにくいんですが、教育には限界があります。やっぱり、子ども自身がすごくて、子ども自身が成長していくんです。

大人のやり方で子どもの成長をコントロールできるなんていうのは奢りです。〇〇式教育法とかありますけど、大谷翔平さんや藤井聡太さんはその教育を受けましたか?

一方で、成長を阻害することは本当に簡単です。保護者の不安を煽ったり、子どもを潰す教育が如何に巷に溢れてることか。

我が家は幸いにして価値観も合い、素晴らしいコミュニティを持つ素晴らしいスクールに出会えました。
でも、ご家庭が子どもを信じ寄り添っていれば、ぶっちゃけ大丈夫です。

あれこれ難しいことを考えるよりも、美味しいものを食べて、好きなことを存分に楽しんで、健康的に笑顔でいることが一番重要だと思います。

宣伝

とはいえ、よくわからなくなったら、アルスクールに来てね!僕らは子どもに寄り添い、このような探究的な時間を子どもと過ごすことは約束しますし、結果として創造性やプログラミングスキルもむちゃくちゃ育まれますので!


おまけ)中学受験について

探究学習と本質的に関係ないんですが、「でも中学受験あるし」と思われる方も多く、首都圏であればその魔物と向き合わざるを得ないでしょう。

我が家は長男は中学受験をしないという決断を早い段階で行いました。結果的にとてもよかったです。でもそれも勇気のいる行動なのかもしれません。(村野だから受験しない選択ができるんだよと言われたこともあります)

僕自身は中学から武蔵に行ってとても良かったし、受験勉強自体もむちゃくちゃ楽しかったので中学受験自体はむしろ肯定的です。

ただ、それが親の自己満足のためであればよくないです。

本来、学習というのは知らないことを知れて、できないことができるようになる、すごく知的好奇心あふれる活動です。子ども自身も成長が楽しいもののはずです。

一方で、受験という合否が決まる競争で、その学習の楽しさから乖離していき、無理やり暗記させられ、思考することすら止められテクニックをひたすらインストールされるようなのも見てきています。(結果、子どもがロボットのように意思をなくしていく or 潰れていく)

いい受験と悪い受験とあると思うので、受験するのであればぜひ、楽しい、子どものためになる取り組み方をしてほしいと思います。

(某進学塾のように保護者や子どもの不安を煽って塾に通わせるのはほんと嫌悪感しかないです)

あ、忘れてた!

春の入会金無料キャンペーンやってます!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?