[批評]スペクタクルに背を向けて――田代一倫《はまゆりの頃に》について|甲斐義明

甲斐義明|KAI Yoshiaki
20世紀美術史・写真史。1981年生まれ。新潟大学人文学部准教授。ニューヨーク市立大学大学院センター博士課程修了(Ph. D. in Art History)。共著に『時の宙づり――生・写真・死』(IZU PHOTO MUSEUM、2010年)、主な論文に「土門拳とリアリズム写真――『絶対スナップ』のジレンマ」(鈴木勝雄、桝田倫広、大谷省吾編『実験場 1950s』東京国立近代美術館、2012年)など。



大型化する芸術写真


ここ数年の写真展に顕著な傾向のひとつとして、展示プリントの大型化が挙げられる。一般的に言って、同じネガあるいはデジタルデータから異なるサイズの複数のプリントが制作される場合、大きなサイズのエディションがより高価で販売される。したがって、プリントの大型化の背景に商業的な思惑が働いていることは否定できない。またプリントの工程がデジタル化されて制作が容易になったことも、大型化を促進した間接的な原因に挙げられるだろう。しかし、それらの外在的な要素にばかり気を取られると、プリントの大型化が作品自体にもたらす美的および概念的な意味付けを見過ごしてしまうことになる[note.01]。

[note.01]ジェフリー・バッチェンは2005年にこの問題について論じている。様々なサイズにプリントできることが写真の本質的特徴であるという事実は、サイズが写真にとって重要でないということを決して意味しないとバッチェンは指摘している。以下を参照。Geoffrey Batchen, “Does Size Matter?,” New Zealand Journal of Photography, no. 58(2005), 16–19. プリントの大型化について言及した最近の文章として、以下も合わせて参照。Sandra S. Phillips, “Twenty Years of Looking at People,” in Phillips, ed., Rineke Dijkstra: A Retrospective( New York: Guggenheim Museum Publications, 2012), 13–27, esp. 15–18; Joshua Chuang, “Whatʼs in a Number.” Art in America, published on November 5, 2012. http://www.artinamericamagazine.com/features/whats-in-a-number/.

大きなサイズのプリントが好まれるようになった背景としてまず考えられるのは、現代アートの展覧会がスペクタクル化しているという状況である[note.02]。巨大な装置によって観客の身体感覚を圧倒したり、部屋の照度を極端に落として展覧会の空間全体を統合された作品として演出しようとしたりする試みは、それ自体長い歴史を持っている。これをスぺクタクル化された美術展と呼ぶとするならば、戦後美術の展開はこのスペクタクル化と、その否定である反スペクタクルの拮抗関係の歴史でもあった。マイケル・フリードの唱える演劇性と反演劇性の弁証法はこの歴史と無関係ではない。日本の戦後美術においても「もの派」の出現や「人間と物質」展といった1970年前後の動向は、多くの美術家や美術批評家が関与した国家的スペクタクルである大阪万博との関連抜きには考えることができないだろう。ところが、ここ20年ほどの現代アートの展開をふりかえったとき、全体的な傾向として反スペクタクル的な作品は徐々に減少しているように思われる。むしろ目立つのは抑圧的なスペクタクルに対抗するために別種のスペクタクルを呈示するような戦略である。

[note.02]「スペクタクル」といえば当然ギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』(1967年)におけるスペクタクル批判を想起するが、ここでは同書での敷衍された解釈ではなく、より一般的な意味、つまり「視覚的にきわめて印象的または刺激的なパフォーマンスまたはイヴェント(a performance or an event that is very impressive and exciting to look at)」(Oxford Advanced Learnerʼs Dictionary, Seventh Edition)という意味でこの語を用いることにする。

スペクタクル空間を生み出すために大きく引き伸ばされた写真を用いる方法はロシア・アヴァンギャルドやバウハウスの美術家によるインスタレーションを始めとして、1920年代後半以来、繰り返し採用されてきた。一方でそのような方法は、芸術写真の展示形式としてはふさわしくないとも考えられてきた。アルフレッド・スティーグリッツやアンセル・アダムスのような写真家、そしてボーモント・ニューホールやジョン・シャーカフスキーのような写真キュレーターなど、アメリカで芸術写真の制度化に中心的な役割を果たした人々は、写真家自身が暗室で制作したオリジナル・プリントを重視し、写真を1枚ずつマットに入れ、額装するという展示方法を選択してきた。このことは、美術館における写真を、展示形式という点では素描や版画に近いものにした。多くの芸術写真家はプリントの相対的な小ささを、作品の美的特質の一部として効果的に用いてきた。スティーグリッツによる雲の写真の連作《イクィヴァレント》はその代表的な例である。

重要なのは、小ささがその本質的な条件であるような写真の展示は、写真に写っている内容の如何にかかわらず、飾り気のないシンプルな形式となるのがほとんど不可避であったということである。そのことが芸術写真の展示方法として必ずしも望ましくないとみなされるようになった頃から、プリントの大型化が始まったのであった[note.03]。

[note.03]シンプルな横一列の展示を好んだシャーカフスキーのキュレーターとしての全盛期(60年代半ばから70年代半ばにかけて)が、ミニマル・アートの全盛期とほぼ重なっていることは、改めて注目に値するだろう。



写真家のアイデンティティー――技能からコミットメントへ


だが展示プリントの大型化の理由はこれだけではない。もうひとつの背景として考えられるのは、アイデンティティーの消滅に対する写真家たちの不安である。大きなプリントを制作するために費やされた労力と資金が、写真家としてのコミットメントのひとつの指標となり始めている。誰でも写真を撮れる時代になって久しいが、そのことは写真家という職業の廃絶を意味しなかった。なぜなら現在に至るまで、職業的写真家は一般人にはない特殊な技能を持つ存在とみなされ、その技能ゆえに仕事を得てきたからである。このことはファッション写真や建築写真といった実用写真の分野では明白であるが、美的なオブジェとして制作される芸術写真においても例外ではない。

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