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[批評]テレンス・マリックがバンジー・ジャンプする|西田博至

西田博至|NISHIDA Hiroshi
批評家。1976年生まれ。大谷大学文学部哲学科を卒業後、会社員生活を経て、佐々木敦「批評家養成ギブス」第一期生。同窓生と発刊した批評誌『アラザル』で「一柳慧のいる透視図」を連載中。妻あり。猫あり。共著に南波克行編『スティーブン・スピルバーグ論』、同『トム・クルーズ』(フィルムアート社)など。その他オークス出版のエロ漫画アンソロジーで文学やオペラを論じ、『キネマ旬報』などでも執筆。最近SKE48にハマる。


彼は自分が個人的に信ずるにたる映画を作りたがっていた。
しかしそれは容易なことではなかった。――ニコラス・レイ


1950年代の終りとともにアメリカの映画産業から放逐され忘却され、ついに、あまりにも長く張りつめすぎてずたずたになった神経と、過度の飲酒と服薬で、すっかりやられた身体を引きずりながら、しかし、何としてでも映画を撮ろうと、監督兼主演男優としてキャメラの前で大きなものをおっ勃てたりしていた、人生のなかで「最悪の2年間」のひとコマ、1974年の秋。このときニコラス・レイは63歳で、フランス国境に程近いスペインのサン・セバスティアンで毎年開催されている国際映画祭から審査委員長として招かれていた。映画祭はこの年、1本のアメリカ映画を選出して、最高賞を与える。それが、テレンス・マリックの第一作『地獄の逃避行』だった。1943年生れのマリックは、このとき31歳である。

その後、1978年には『天国の日々』を発表するが、それからちょうど20年、彼は映画から遠ざかる。かつて、スタンリー・カヴェルのもとでハイデガーやウィトゲンシュタインを学んでいた彼は、ハイデガーの英訳も出版しているが、映画から離れていたこの間は、渡仏して、哲学を教えることで暮らしをたてていたらしい。

テレンス・マリックがアメリカから、映画から遠ざかっていた20年間を、たとえば仮に、ほぼ同年代のスティーヴン・スピルバーグに嵌め込んでみると、どうなるか。このもうひとりのスピルバーグのフィルモグラフィには、『続・激突!カージャック』と『未知との遭遇』だけが残り、そのあとは『プライベート・ライアン』までの間の総てが、ごっそり消えることになるのである。または、まともに映画を撮ることができないことからくる焦燥で、身も心もぼろぼろに焼き尽くしたニコラス・レイの死に至る十数年間を思ってみてもよい。どちらにしても、この沈黙の長さの異様さが判るだろう。

もちろん、テレンス・マリックとは、映画を撮ることを決して止めないスピルバーグではないし、撮ることから追放されてついに戻れなかった――我らが再び帰郷することは叶わず――ニコラス・レイでもない。マリックとは、映画を撮ることから、みずからいちど退却し、それを再び始めなおしたアメリカの作家だからである。

このことは、いったい何を意味しているのだろうか。畢竟、テレンス・マリックは、どうしても映画への信頼を棄てられなかったということである。藝術という営みが、ヘーゲルの美学によって、決定的に哲学に繰り込まれてしまった終焉のあとでさえ。

藝術の終焉のあと、それでも「偉大なる藝術」を再開始させようとしたリヒャルト・ワーグナー――マリックは『ニュー・ワールド』で《ラインの黄金》から前奏曲を、『トゥ・ザ・ワンダー』では《パルジファル》の第一幕前奏曲を、どちらもワーグナーのオペラと映画の内容を、きわめて密接に関係させながら使用している――を論じた『虚構の音楽』で、フィリップ・ラクー=ラバルトは、西洋の思索を再開始することをひたすらめざしたハイデガーの、ナチズムとの決裂と対決に始まる後期の歩みを、「退却」であるとする。「退却はあるなにものかから逃れようとするのだが、しかしまさに逃れるべきそのなにものかを、ふたたびなぞってしまうのである」。

では、テレンス・マリックは、その「退却」で、何をなぞることになってしまったのか。

そもそも、彼がその歩みを始めたのは、どこからだったか。

云うまでもなく、テレンス・マリックは、「悪い土地」から始まったのである。

マーティン・シーンの主演作ということで「地獄の逃避行」なる邦題が与えられているが、この映画の原題は、「Badlands」である。舞台となるサウスダコタ州には、その名もバッドランズ国立公園がある。

バッドランズとは、ときどきの豪雨などで、地表の土がすっかり流され、削られてしまって、岩肌が剥きだしになった不毛の土地のことをいうそうだが、これはスー族の言葉で「悪い土地」、「荒地」などを意味する「マコシカ」という語を、あとからやってきた白人たちが、そのまま英語に直訳してできた言葉だという。先住民たちの、この土地での暮らしの結晶としての言葉から、「もろもろの語が言表している事柄に対応する同等に根源的な経験」(ハイデガー)をすっかり抜き取り、収奪することで生起した、「バッドランズ」という英語の語彙。

だからこの言葉はその始まりから、「根源的な経験」とそれにぴったりと合う「語の言表」を喪失したことによる、血なまぐさい暴力と、無根拠性に取り憑かれてしまっている。もちろん、「バッドランズ」と名づけられたテレンス・マリックの映画もまた、そこから逃れることはできなかった。この映画では、1950年後半のアメリカで実際に起きた事件をモデルにしており、若い男女のあっけらかんとした連続殺人と、ピクニックのような逃避行の顚末を描いている。

しかし、これ以降、マリックの撮る映画は総て、不毛の「バッドランズ」に就いての映画となる。

『トゥ・ザ・ワンダー』ではベン・アフレックの演じる「静かなる男」は産業廃棄物によって汚染された土壌の調査員だった。1607年のヴァージニア植民を通して、アメリカ建国の起源を描く『ニュー・ワールド』では、ひっそりとみずからの裡に閉じて安らっていた土地に踏み込んだ入植者たちは、まず旗を立て、大量の木を切り倒して防壁を構え、砦に籠る。彼らの末裔たちの土地との関わりが、『天国の日々』や『シン・レッド・ライン』では描かれており、さらに壮大に遡行して、土地=自然そのものの始源さえ描こうとしたのが、『ツリー・オブ・ライフ』だったと、粗描することができるだろう。

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