自殺する前に、美術館に行っとけ!
自ら命を絶つ、いわゆる「自殺者」は、全国で毎年2万人以上。福岡市では平成10年以降、毎年300人にのぼるそうです。(福岡市精神保健福祉センターWebサイト「自殺の現状」)
(警視庁Webサイト「自殺者数」より)
つまり、私たちの身近なところで毎日1人、自ら命を絶っている。今こうしてバスの中で隣に座っている人が、ひょっとすると明日、命を絶つかもしれない…そう考えると、なんともやりきれない気持ちになります。
改めて考えると、私が公務員を志したのは、「人を幸せにする仕事がしたい!」…というと大げさですが、「人の役に立つ仕事がしたい」という単純な理由からでした。
今なら、民間企業だって、高い志を持って「社会をより良くする」ために存在していて、役人は所詮そんな社会がうまくまわるよう雑務を担っているに過ぎない、ということも分かります。しかし、恥ずかしながら若い頃の未熟な私はそんなところまで思い至らず、「公務員こそ人の役に立つ仕事だ」と思っていたわけです。
市役所に入ってしばらくは、(自らの希望もあり)人の役に立つ仕事=福祉の仕事、をしていました。
そのうち、世の中のことがわかってまいりまして…、福祉以外でも「人の役に立つ仕事」はいくらでもあることがわかり、いろいろな部署を経験し、現在は美術館の仕事をしている、というわけです。
そして、美術館で仕事するうちに、美術館の仕事もやはり「人の役に立つ仕事」であることを知るのです。
福岡市美術館の年間来館者数は、述べ50万人前後。なかなかの集客施設です。
でも、美術館に来る人たちって「私、アート鑑賞が趣味♪」って感じの、人生にあんまり悩んでなさそうな、心にも懐にも余裕がある人が多いんじゃないの?と、それまで美術に関心の低かった私なんかは思ったものです(すみません)。
しかし、今の私は思うのです。心に余裕のない人こそ、心に余裕のない時こそ、美術館に行くべきなんじゃないか、と!
ちなみに、「懐に余裕がない人」にとっても、何時間滞在しても(実際、じっくり見ると結構、時間かかりますよ)、コレクション展示室はわずか200円(中学生以下は無料/高大生は150円)!※福岡市美術館の場合
心に余裕がない状態というのは、別の見方をすると、普段より感覚が研ぎ澄まされているのではないかと思うのです。
美術館には、作家が人生を賭して作った、珠玉の作品がたくさんあります。
世界中で核兵器が作られる不安な時代に、ひとりの女性を聖母に見立て、美しい世界を再構築しようとした、サルバドール・ダリ《ポルト・リガトの聖母》
30代半ばで病死するまで、表面的な美しさの中にある、人間の情念や不条理を神秘的に描いた、藤野一友《抽象的な籠》
中央画壇や西洋美術の流れに違和感を感じ、「生活者の視点」から身近な素材で安価なアスファルトやペンキを使い、痛々しいほど激しい心の内面を表現した、「九州派」の代表作、桜井孝身《リンチ》
禅僧でありながら,僧にとって悟りの境地を示す「円相」(人生そのもの?)に,「これくふて御茶まひれ」と言葉を添え,円相を饅頭に見立てて笑い飛ばす,仙がい義梵《円相図》
死を決断する前に、どうか、わずかな時間、これらの作品と向き合い、作家と対話して欲しいと願います。相手が生身の人間でないからこそ生まれる気付きが、アート作品を通じて得られるかもしれません。それは、ひょっとすると「生きたい」という、本当の心の声を代弁してくれるんじゃないかと思います。
アートで救える命があるかもしれない。
アートだけで、命が救えるとは思わないけれど、美術館という場所があれば、ひとつふたつの命は、ひょっとしたら救えるかもしれない…そんなことを夢想するのです。
オープンが待ちきれない方は,現在、巡回展示中の『モダンアート再訪−ダリ、ウォーホルから草間彌生まで 福岡市美術館コレクション展』へ。