見出し画像

アーネスト・フェノロサ Ernest Francisco Fenollosa (1853年-1908年) の誕生日 (2月18日) 米 東洋美術史家・哲学者

アーネスト・フェノロサ  Ernest Francisco Fenollosa  (1853年2月18日 - 1908年9月21日)アメリカの東洋美術史家・哲学者。
「廃仏毀釈」[※1] などで損なわれていた日本国内の芸術品の保護を先導し、日本美術の紹介・啓蒙活動を行いました。
絶対の秘仏だった法隆寺東院 (夢殿) の救世観音像の開扉を命じて公開に至らせたことでも著名。[※2]


1888年 (明治21年) フェノロサが日本美術は西洋美術に決して劣らないと講演した浄教寺は
近鉄奈良駅とJR奈良駅をつなぐ三条通り沿いにあり、
私と家族は買い物の途中に時々立ち寄って、大ソテツや本堂前にあった枝垂れ桜を楽しんでいました。

その頃はフェノロサゆかりの地とは知らず、お寺でもその話は特に出してなかったと思います。 
先日久しぶりに訪ねると、門の辺りにフェノロサについての案内書きが有りました。

画像6

(2017年6月撮影)

🍁

 本ブログに書いた [※3] 三井寺の新羅善神堂から西の、
こちらも「三井寺北院」に含まれる法明院に、フェノロサの墓所があります。

フェノロサはロンドンで亡くなっていますが
本人の生前の、琵琶湖が見える法明院で生涯を全うしたいとの言葉によって分骨されて、
墓所がこの地に建てられたそうです。

新羅善神堂から歩いた時
はじめは法明院の入り口が見つからず、しばらく辺りをウロウロしましたが、
新しい車道の脇に、ネットでもよく写真で見る石標の立つ入り口があり、
その前に車が停めてあったので、すぐは見えなかったのでした。

画像4

夕方で誰も人がおらず
庭園らしき池からの琵琶湖の眺望は
木の繁殖が進んでいるのか余り印象的でなく、
寺院の墓域に屡々見かけるやや荒れた淋しげな雰囲気に感じました。

大木がまっすぐに幾本もそびえ立つ裏山の薄暗い墓地の石段を登っていくと
上の方にフェノロサの墓がありますが
すぐには分かりませんでした。
フェノロサの墓からは琵琶湖が見えなかったのは仕方ないことでしょうか。


画像2

📷 フェノロサ墓

画像3


画像5


画像1


妻のメアリーが記した小説は"The Dragon Painter"など複数映画化されています。
🔍 Wikipedia 英語版   "The Dragon Painter"  早川雪洲、青木鶴子主演

📖 ブログ内記事「早川雪洲」 


🍁

🔍 浄教寺公式ページ「フェノロサの講演」

🔍 奈良県歴史文化資源データベース  


🔍 滋賀県観光情報公式ページ  (三井寺北院) 法明院  フェノロサの墓


🔍 三井寺公式ページ「法明院」


※1. 「廃仏毀釈」に関する記事 (本ブログ内) リスト (検索結果)

※2.  本ブログ内関連記事 (法隆寺夢殿救世観音像について)

※3.  (三井寺北院について)


(18日19日4月12月21年3月22年7月10月23年12月更新)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?