川原寺跡 (弘福寺)

画像1 川原寺 (かわらでら) 跡 (国の史跡)。南からの画。手前が中門跡の復元基壇、その右向こうに塔跡基壇、左向こうに西金堂跡土壇、中央奥の中金堂跡に江戸中期以来後継寺院として真言宗の弘福寺 (ぐふくじ) が建っています (弘福寺の名は川原寺の別名として「続日本紀」に有ります)。本堂の二天王像 (平安前期 重文) は隠れた傑作。/ 川原寺の資料上の初出は「日本書紀」の673年 (天武天皇2年) の記事 (日本初の写経) で、創建は670年頃に天智天皇が母斉明天皇の川原宮跡を寺にしたと見る説が有力。
画像2 川原寺塔跡 (手前) の向こうに中金堂跡 (弘福寺)、その左が西金堂跡土壇。回廊内の東に塔、西に(東面する) 西金堂、北回廊に中金堂 (南面) を配する特有の伽藍配置 (川原寺式伽藍) であることが発掘調査 (1957-1959年) で判明。/ 寺の北西の板蓋神社から川原寺のものと見られる塑像、磚仏が1974年多数発掘されています。/2018年5月6日18時過ぎ撮影 /🔍 関連記事 (伊予親王) https://ja.wikipedia.org/wiki/伊予親王 /

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