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平重衡の軍勢が東大寺・興福寺を焼き討ち 1月15日(1181年 / 治承4年12月28日)

平重衡の軍勢が東大寺・興福寺を焼き討ち   ( 南都焼討。 1月15日 [1181年 / 治承4年12月28日]) 

東大寺焼き討ちの犠牲となった女性たちを祀った場所に建てられたのが
東大寺の四月堂 (三昧堂) であると、そこの堂守から聞いたことがあります。

ただ四月堂の創建年は、1021年 (治安3年) か1067年 (治暦3年) 説が有力であり、
その説に立てば (その説が、今の四月堂の位置などと合致するものなら)、
東大寺が受けている2度の「焼き討ち」の1回目 (平重衡の軍勢による焼亡) の時に
既に四月堂は存在していることになります。

四月堂の当初の本尊と言われ、いまは向かって右の厨子の中に安置されている
普賢菩薩は「女人往生」の功徳を有する菩薩であり、
この像によって何らかの供養は行われたのかもしれませんが

像高1メートルほどの、ささやかな像であり
この大きさだと、多数の人々を供養する公的な儀式の本尊というよりも
元来は個人の「念持仏」だったのではと想うのですが。


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(11月更新)

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