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薬師寺の金銅仏に感じる若干の不思議


「長屋王の変」に関する同日の記事

から関連したかたちで書いています。

🔸  以前から不思議に感じること

この薬師寺東院堂の「聖観音」 (銅造。国宝) と様式的・技法的に類似しているとされる
同じ薬師寺の金堂の本尊 (つまり薬師寺全体の本尊)「薬師三尊像」 (銅造。国宝) は、
「聖観音像」の鋳造技術や表現技法の更なる発展形、
「天平前期」(奈良時代前期) のモニュメントと見られることが一般的でしょうが、

そうなると、案外誰からも聞いたことがないのですが、
以前から不思議に感じることが有ります。

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先に述べた、鋳造技術や表現技法で両作を比較した場合の制作順序
「聖観音像→薬師三尊像」だとすると、
「薬師寺全体の本尊」(薬師三尊) より先に、
その端にある「東院の本尊」(聖観音) を先に造ったことになる点です。

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「薬師寺縁起」(護国寺本「諸寺縁起集」内)によると、
「聖観音像」を祀る東院堂 (薬師寺東院) を
元明天皇 (元明太上天皇 661年-721年) の病気平癒・追善のため養老年間 (717年-724年 元正天皇期) に創立したのは
吉備内親王 (生年不詳 [686年?]-729年) であり、

「薬師三尊像」を祀る薬師寺は元来、吉備内親王の祖父の天武天皇 (生年不詳-686年) が、皇后 (後の持統天皇) の病気平癒を願い発願 (680年 [天武天皇9年]) した寺院ですが、
「薬師三尊像」は
680年から687年頃の薬師寺草創期の制作と見る説 (白鳳説) と、
710年の平城京への遷都後の「今ある2代目・薬師寺」での新規の制作とする説 (天平説) とがあり、
私は総合的な観点からの大勢として、(町田甲一が強く主張した) 後者の天平説で決着したと見ています (※1)。

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ここで仮に今の「薬師三尊」が「白鳳」の創建時のものだとすると、
矛盾は更に大きくなり、
技術・様式が進んだ「薬師三尊」の方が、年代上は遥かに古い造立となってしまいます。

ただ、「聖観音像」に関しても、
和辻哲郎の「古寺巡礼」(1919年) 17章に紹介されている、「古流記」での
孝徳天皇 (596年-654年。 大化の改新直後即位。白鳳時代 [前期]・飛鳥時代 [後期])  追善説がありました。
「薬師三尊」を白鳳 (天武・持統期) と見る説と対応してるのかもしれません。
これだと、「聖観音像」は薬師寺創立以前のどこかにあり、後で東院堂に移されて来たことになるものの、
その可能性は低いと考えられます (※2)。

また、「聖観音 (孝徳期直後)」「薬師三尊 (天武・持統期)」の年代差が、
両像を天平期と見るよりも広がることになってしまいます。

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(続く)

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※1
決定的だった論拠は1937年に興福寺東金堂から発見された「旧山田寺仏頭」(国宝) です。

同時に発見の墨書銘から、
1187年に山田寺から興福寺僧兵が強奪した
685年 (白鳳期) の講堂薬師如来像 (銅造) の頭部とわかりました。
様式・技術的に今の薬師寺の像より明らかに古い形であり、そのことから

日本書紀により687年までの完成と考えられている
「 (平城遷都前に藤原京に建てられていた、もう一つの薬師寺の)白鳳の本尊」と、
「今ある本尊 (薬師三尊)」とは
別のものである、ならば今の本尊は平城遷都後の新しい薬師寺で新規に造られた
と認識する人が大半となり、
「聖観音像」も近似した時期と見なされました。

※2
「東院堂」の由来は前述の通りですが、
本尊の「聖観音像」自体の資料上の由来は明らかではありません。
しかし、薬師寺には東院堂以外に等身大の金銅仏である「聖観音像」を安置するだけの堂舎は見当たらず、
「聖観音」と「薬師三尊」の様式や銅の組成が近似している点からも、「聖観音像」が他のどこかから運ばれてきたとは考えづらく、

「聖観音像」を当初からの東院堂 (東院) の本尊と見るのは自然だと考えます。

また、仮に「薬師三尊」を白鳳期、つまり藤原京時代の薬師寺の造立とした場合も、
それより様式・技術上古いと見られる「聖観音」が、
「東院」が無かった「初代・薬師寺」のどこに有ったのか、
(あるいは「東院」が無かったのだから、薬師寺以外のどこから移されたのか) 
という問題が生じます。

特に、前述の685年旧山田寺仏頭が1937年に発見された後は、
その (聖観音より古い形の)「仏頭」より更に30年ほど遡る
「孝徳期直後・654年以降」に「聖観音像」を置くことは
殆ど有り得ないと、見なされるに至りました。

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🔍 薬師寺公式ページ「東院堂」「聖観音立像」

🔍 薬師寺公式ページ「金堂」「薬師三尊像」

🔍 興福寺公式ページ 「仏頭」


🔍 青空文庫  和辻哲郎「古寺巡礼」1946年改訂版  (初版は1919年)

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(16日4月12月更新)





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