見出し画像

「白鳳時代」について

日本の元号が大化から白雉 (はくち) に改元 (650年3月22日 [大化6年2月15日])

明治43年 (1910年) の日英博覧会での「国宝帖」で中川忠順が、飛鳥時代と奈良時代の中間の美術史上の時代呼称として記して以来、「白鳳」は
主に美術史の時代区分として使われています。

「白鳳」という語は、元来は
平安時代初期に編集された、主に奈良時代についての「正史」とされる「続日本紀」に有ります。
神亀元年冬十月条 (724年) 、「白鳳より以来、朱雀以前、年代玄遠にして」 との、年号としての記述がそれですが、
(この「白鳳」を含むと考えられる時代を扱った) 正史書の「日本書紀」には「白鳳」の語が書かれていないため、
「白鳳」は公式の元号とは異なる「私年号」「和年号」だと言われています。

その「白鳳」が具体的にいつの時期を示した語なのかについては議論が
続き、弘文朝説あるいは天武朝説がありますが、
前述の元号「白雉」の別称を「白鳳」とする説  (喜田貞吉、坂本太郎) が出され、有力視されています。

🔸

美術史での「白鳳時代」の該当時期も研究者によって違いが有り、
白雉元年の650年を含む期間、いわゆる「大化の改新」の645年から
平城遷都で奈良時代 (=美術史での「天平時代」)  が始まる710年までを当てる見解をネットなどで見る一方、

私が「古寺辿歴」などで親しんでいた古代日本美術史の第一人者、町田甲一は
[ 666年 (天智天皇5年) 説が有力な野中寺菩薩半跏思惟像に、立体的な新様式の萌芽を認めつつ ]  
670年 [天智天皇9年] の法隆寺全焼 (「日本書紀」) を時代の区切りと見て、
そこから710年の平城遷都までを白鳳時代と見ています。

🔸

町田甲一は、645年から670年までは「飛鳥時代後期」と見做し、
画期する理由として、645年の「大化改新」(乙巳の変) による蘇我宗本家の滅亡により、
蘇我系をパトロンとした「止利仏師」(法興寺 [飛鳥寺] 本尊、法隆寺本尊などの「北魏式」の作例) が衰退したことを挙げ、
大化改新以降は大陸から「斉隋様」の影響を受ける時期が続いた、としています。

🔸

この645年から670年までの時期を町田甲一が「白鳳前期」でなく「飛鳥後期」としているのは、
685年の旧山田寺仏頭に代表される「初唐様式」こそを画期的な新様式としての「白鳳様式」の源流だと見做しているのでしょう。 

( これは一般的な「白鳳芸術」、天武持統朝の山田寺、薬師寺の芸術、というイメージに沿うものでもあると感じます [ ※1 ] 。)

🔸

その 「初唐様式」は、663年の百済の滅亡により半島との交渉を日本が断った為に、673年天武朝になり大陸との国交が回復するまで日本に伝えられなかった (遅れてもたらされた) と町田甲一は述べています [ ※2 ]。

その観点ゆえ、645年から670年の「斉隋様」の時期に関して、「初唐様式」ほどの積極的意義を美術史区分としては見出していないのでしょうが、
そもそも (金森遵が [やや自説に有利な認識として] 指摘していますが)
その645年から670年の時期に当てはまる作例が殆ど存在しないとの見解があり、
(その辺りは、作例の年代推定の論者毎の違いによると思われる。) 
645年から670年の美術史上の存在感自体が薄いものとなっています [ ※3 ] 。


(随時更新。12月更新)

🔶

※1.  
ただ、町田甲一は [ 以前の記事 (※4) で述べた通り ] 、いま平城の薬師寺にある仏像に関しては「白鳳説」を否定し「天平説」を強く主張し、
建築に関しても平城の薬師寺に残る東塔 [国宝] を藤原京の初代薬師寺からの移建で無いとする「非移建」、730年の平城京での新規造立説を主張し [これは近年の年輪年代法でも確定しました。] 、
藤原京の本薬師寺 (言わば初代・薬師寺) と平城の今ある薬師寺の東西両塔の礎石に見られる平面が酷似している点に関しては、白鳳の本薬師寺の建築が残っていないので今の薬師寺東塔が「白鳳様式」であるか 「天平様式」であるのかが分からないというスタンスを取っており、
これら町田説へのトータルな反駁は今なお成されていない印象があります。


※2. 
当時の日本の権力者と半島情勢の関係についての本ブログ内記事

※3. 
しかし、先述の通り「白鳳」の語源が650年だとする説を意識すると、美術史の「白鳳時代」の概念をその頃にまで遡らせる見解が出て来て、
「斉隋様式」と「初唐様式」を「白鳳様式」内に接合する試みとなるのでしょうか。


※4
📖 本ブログ内関連記事 



🔸

🔍 興福寺公式ページ「仏頭」


🔶

[この記事枠の1分ほど前に公開した記事枠は、
(ルーターを先ほど交換した為か) パソコンの時計が1分ほど進んでいたのか、
日にちがずれましたので、改めて投稿して、前の記事枠は一旦下書きに戻しました。]

(12月, 21年6月 更新)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?