余談:社会と科学者から科学哲学が欠落してる件について。

※この文章は、2017年1月28日にはてなブログで公開したものです。

昨日、こんな匿名ダイアリーがあることを知りました。

その1 「■早野龍五のやっていることは決して科学的手続きではない 」 (1/9)


その2 「■早野龍五のアウトリーチとやらはどちらかと言うとニセ科学である」 (1/19、その1の続きの投稿)


これらは、実は昨日まで存在すら知らなかったのですが、私が1/11に書いたエントリやその直後にスラドに書いた中身と同じ主旨の話をしているという所が相当あって、それが、科学の現場に携わってる方から出たというのが、なんとも救いようのある話だと思うのです。

この人の主張は、
 ・早野龍五・東大教授は、原発事故直後から放射能が安全だと繰り返してきたが、そこに対しては、過去に決められて、既に問題点が多く出されてるIAEAなどの国際基準をオウム返しに主張してるだけだ。
 ・そして、その基準の決定の不透明さや、放射能被害の実態に合わないと言う批判的な指摘に対して、ニセ科学だと切り捨てている。
 ・絶対に安全。などの、未来未知の話に対して、「絶対」などと言う言葉を軽々に使いすぎており、それは、科学者として根本的に問題がある態度だ。
 ・ストロンチウム90に関しても、汚染や健康被害がないかのような主張を繰り返しているが、ストロンチウム90は測定困難であり、しかも、体内に入れば長期間体内にとどまって臓器を破壊することが分かっているが、ストロンチウムが実際どのくらいの割合で体内に入るかは、<STRONG>未だに確定した数値が出せないくらいに未知の状態</STRONG>だ。そもそも、どのくらいの環境汚染になってるかという具体的なデータも未だに出来ていない。
 ・早野教授が行ってきたような主張の仕方は、多くの人を安心させると同時に、放射能被害を危惧する人たちに対して「放射脳」などの悪意のこもったレッテルと攻撃を招くことに繋がっている。
 ・早野教授は、科学に対して科学的な態度ではなく、政治的な・自分や周囲の立場を高めるための政治的な態度で接し続けている。

まぁ、こんなところだと思います。

私が1月11日に書いた「権威主義が壊してる社会」( http://rebuild.hateblo.jp/entry/2017/01/11/151905 )では、科学界で主流である人が、科学的な態度から大きく外れた態度を、2011年3月11日以降取ってることと、その言葉が権威の言うことだから。と言う理由から、多くの人たちが信じてしまい、放射能被害を訴える人々や放射能被害の恐怖に怯える人々を、孤立と社会的排除に追いやってることの酷さ。のような事を書きました。


そして、翌日、議論サイトのスラドで、冒頭に出した匿名ダイアリーが書かれるきっかけになったであろう、早野龍五教授が行った発言に関するトピック(『早野龍五教授曰く、「福島に生まれたことを後悔する必要はどこにもない」』 

 ) が出て、そこでも私が幾つか書いて「荒らし」扱いされたのですが、その中の一つを再掲しておきます。

棄民を推進する言説(Re:住めなくなったことだけで (スコア:-1, 荒らし)
by Artane. (1042) on 木曜日 1月 12, @06:00午後 (#3142988) ホームページ 日記
こういう言説を、原子物理学とか放射線医学の「権威」の人達が取り続け、それを後ろ盾にして世の中の権威や権力におもねりたいだけの人達が、そうではない人たちを「放射脳」などと、狂人のように扱い続けるという地獄絵図が、今の日本にはあるわけです。

偶然昨日書いたBlogの文 [hateblo.jp]の続きとして、気力体力が出来たら書いてみてもいい問題ではあるんですが、福島県が事故直後に、県民を縛り付けるために、ものすごいコストを払ってるわけですよ。

県内マスメディアが、県が招請して講演活動を始めた「放射線医学の権威」の言葉を援用する形で、浜通りや放射能被害の大きかった郡山市などから避難する必要はないとか、NHKを中心に「絆」(今は一番嫌いな言葉です)を強調して、地元で頑張れと、暗に強要したりとか。

メルトダウンが確実に起こってるのがデータから明らかなのに起こってないと強弁し、テレビカメラの間で原発が爆発しても、なんだかんだ言って、認めず、五年経って東電が【メルトダウンでした」と言っても、過ちを自己批判一つしない。

同じような構図が、放射能汚染や「除染」、食品汚染でも起こってるんですよね。

要は、上からの同調圧力と、そこに沿った権威達の言葉によって、宮城の南部や福島や茨城の北部や山形の一部、千葉のホットスポットと言った、放射能汚染が深刻で除染は焼け石に水にしかならないような状態になるのが目に見えてた地域の人達を、棄民に追いやろうとしてるんですよ。
自分たちが間違ってなかった。と言う事を続けたいだけの人たちによって。
そういう流れがなんで起こったかと言えば、今考えるに、原発を推進してきた側が強調している「クリーンな原子力」「温暖化対策には原子力」と言う、根本的に間違ってると考えていいような命題に対して、この国の主流派の学者たちが、総じて自縄自縛に陥ってしまったんだと思うんですよね。

その中の、自縄自縛に陥るに至る大きな役目を果たしてきたのが、今回の早野龍五であり、阪大の菊池誠ではないかと思うんですよね。

マトモに民主主義が機能し、もしくは、公正な刑事行政や司法が機能している国ならば、真っ先に逮捕されて、東側の国なら強制収容所おくりになっていても、当然なくらいの犯罪的行為を行ってるのに、気がついてないとでも言うべきか。
# あ、このままブログに書いてもいいかもしれないな(;´Д`)

このブログで、特定個人を非難することは極力避けたいのですが、しかし私は、早野龍五教授にせよ、大阪大の菊池誠教授にせよ、根本的な科学的態度が欠落していて、広い意味での「政治的利用」を、科学に対して行ってると同時に、知的に怠慢で科学哲学の類が著しく欠落していると見ています。
そして、この国で発言力が強くて、しかも研究予算やスポンサーを付けて大きな研究をできる学者さんたちやそのaお弟子さん達の大半が、そういう状態なのではないかとすら思ってます。

そうでない学者さんが少なからずいることも、私は知っています。しかし、そのような学者さんの多くは、特にその事を主張すればするほど、最低限の予算での研究を強いられたり、そもそも講師や助教や助手よりも上の地位にはなれないという状態になってる訳ですよ。例えば、昨年京大を退官された、小出裕章先生のように。

そして、更に嘆かわしいのは、この、「主流的な学者さん」達や、そこに追随してる「ジャーナリスト」に、著しく科学哲学や広い意味での倫理観・科学というものに対する根本的な態度が欠落していることと同時に、そのようなことを見抜けず・見抜かず、「被曝を怖れてる人たちや放射能汚染を批判してる人たちは、根本的に頭がおかしい」的な言葉自体やそれを間接的に煽る言葉に対して、コロリと染まってしまってる人が、今の日本では存外に多いということなんですよね。

なんで、そんな状態なのか?確かに、科学は難しいんだけど、どのように現象に向き合うか、常識を抱えつつ、常識の外側にも問題はあるんだ。という事を自分に律し続けるような原理原則で物事に臨むという部分や、科学というものは、なんのためにあるのか。と言う、基礎的な倫理観の部分だけであるなら、多くの人が、この人にはそれらがあるのかないのか。と言う部分は感覚的に見抜けると思うんですけどね。しかし、今の日本では、「常識」に、左翼の多くですら絡め取られていて、常識を超えた状態が起こってると言うとことで原理原則に立ち戻れない人は資質に問題があるし、そのような人たちが信奉して広めてることには、まずは眉に唾をつけて疑わないといけない。と言う慎重さ・臆病さすら、持たないことが正しいかのような話が蔓延してるわけですよ。

こういう、多くの人が根本的な倫理観とか原理原則に注意を払わないで、相手の社会的立場にだけ配慮して、そこで物事の良し悪しを判断してきたことが積もりに積もって、誰もが抜け出したくても抜け出せないような形で、日本社会が破壊されてしまってる。と言うのが、私の主張の根本で、そこを乗り越えていくためにも、放射能汚染とか被曝被害の問題というのは、非常にいいケースだと、私は思うのです。

※この文章は 2017年1月28日に、はてなブログで書いたものです。
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