「防弾少年団原爆Tシャツ騒動」から、過剰に寄り添わず突き放すことの大事さを考えてみる。

※(2018/11/24)「投げ銭仕様」に直しました。

 韓国のアイドルグループで来日してドームツアーをやってる防弾少年団が「原爆Tシャツ」を前に着ていたことが問題とされてネットを中心に騒ぎになってる件、色々と議論はあるのですけど気になるのは、防弾少年団を「擁護」する側が、日本に原爆が落とされたことで朝鮮半島が解放された。と言う韓国側の歴史の見方を疑いようのないこととして考え・この問題で浮き彫りになった韓国国内の「世界」に対する見方や歴史観が他のところと食い違いいさかいの原因になってることを「向こうの問題だから干渉しない」として判断をしないでいることなんですよ。

https://mainichi.jp/articles/20181112/spn/00m/200/001000c
NHK 苦悩の紅白 BTS、徴用工余波…TWICE出場どうなる?(スポニチ)(2018/11/12 毎日新聞のWEBサイト)
https://togetter.com/li/1287644
BTS問題はまとめると?音楽番組出演停止だけではなかった事がわかるまとめ(2018/11/12 Togetter)
https://togetter.com/li/1286538
「韓国人アイドルが原爆シャツで番組出場停止は『二度目の人生』と同じ表現弾圧」と言い張る青識亜論氏(2018/11/09 Togetter)
https://togetter.com/li/1286939
 「二度目の人生を異世界で」の作者やRADWIMPSをバッシングしておきながらBTSの原爆Tシャツは擁護する人(2018/11/10 Togetter)

 これは、確かによその国と韓国が揉めてる場合はそう悪い考えではないのかも知れません。何しろ、よその国とよその国の揉め事の善悪を考えるだけでなくそれでどちらかの国のいい悪いを相手に言うというのは、流石に、おこがましい。
 でも、これが、日本・要は私達の国なり人なりと相手の国の間の揉め事となると、そういう「他人事」のような態度って問題をこじらせるだけの結果にしかならない事が当たり前に起きてしまう訳ですよ。なにしろ、こちら側の人達が怒ってて、その事がなぜそうなってるかというときに、こちら側が一方的に悪いとか、相手の悪いところを批判するのはダメだ。とハナから決める態度は、一部の人達からは歓迎されるかも知れませんが、問題を先送りするだけでなく、問題から逃げる態度ですらあると思うんですよ。

※この文章は、10日間程度全文公開を有料にしてみます。

「原爆」と言う、日本人の喉に刺さった骨を韓国側が刺激してしまった。

 特に今回の件では、「原爆」と言う、日本からすれば喉に刺さって抜くことのできない大きな骨のような存在に関わってる訳ですよ。戦争に負けてアメリカに占領され、戦争をやっていた支配層の人達が責任を逃れるためにアメリカに擦り寄りアメリカが受け入れてしまった事で、責任をとることがないままに70年間が過ぎてしまった日本という国にとって、原爆を落とされたことを悲しむことは出来ても、原爆を落とした人々を責めるということはなかなかできない状態になってしまってる。
 1950年代あたりであれば、反核運動が盛り上がり・ビキニ環礁の被爆事件なんかもあったのでアメリカを責めることが出来たのですが、その後アメリカが更に日本への影響力を増していく中で、反核運動も、学生運動だけでなく反核運動のメッカでもあった東京教育大学を潰した事なんかに代表されるように、どんどんと下火に追い込まれていった訳です。

http://tue.news.coocan.jp/memories/
想い出の東京教育大学 - 東京教育大学新聞会OB会(2018/11/12閲覧)

 しかも、1950年代後半からの原子力発電を通じて、「核」というものが日本でも利権になってしまい、尚更きちんと語ることが難しくなってしまった。
 そういう、被害経験を語ろうにもきちんとした形で語ることが容易ではなくて、ただただ「被爆で苦しんだ」事しか言えないような・アメリカと言う国の横暴によって、既に日本の敗戦が決まってて落とさなくていい原爆を人体実験よろしく落としてきたのは、それこそ戦争犯罪ではないか。と言う見解すらなかなか大きな声に出来ない状態に今の日本はなってるわけですよ。半分以上が、日本側の利権的な動機や右派が根強く持ってる「核武装願望」から。

http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/03/002503.html
米国の圧力と戦後日本史19~米国に見透かされていた中曽根の核開発~(2013/03/06)
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/100/PDF/history.pdf
原子力の歴史を振り返って--幻の原子力平和利用--(「公害研究」1981年・原子力安全研究グループ 京都大学・原子炉実験所所蔵 2018/11/13閲覧)

 その中で、「朝鮮半島は、日本に原爆が落とされて日本が降伏したから解放された」っていう歴史観が韓国では長年常識としてある訳ですよ。私には、幻想・神話の類にしか思えないのですが、この事では今回は議論しませんけど。
 そういう中で、それ自体のいいわるいはともかく、そういう歴史観の中で多くの被爆者達が70年間見捨てられてきた・被害を訴えることすら韓国国内で批判や暴力の対象にされていたと言う問題もありますし、ともあれ韓国では「原爆」が解放の象徴として讃えられてしまってるという事があるわけです。



https://www.asahi.com/articles/ASL873WMNL87UBQU00B.html
 国内の韓国人被爆者 韓国政府が初の実態調査へ ソウル=武田肇 (朝日新聞 2018/08/07)
http://www.jca.apc.org/~earth/sub2d.html
韓国・朝鮮人被爆者(「伊東考司の仕事」2018/11/03閲覧)

どの国も民族も、自分が一番優れてて正しいと思ってしまうものですが。

 そして、これは日本だろうがどこだろうが似たようなものですが、自分たちの国とか民族が一番偉いと言う風に思う人達が社会の大多数を占めてるし、その人達にとって都合が良くて耳障りがいいように「歴史」がいじくり回されてるもんなんですよね。多くの人は、耳障りの悪い話や自分たちが悪いかも知れないという話は、耳にもしたくないものですから。
 その事で、日本と韓国の間は21世紀に入ってから、長年歴史を巡っての衝突や言い合い・いさかいが絶えない状態になってるんですけど、その手の話は、自分の国の中で相手の国を差別したり不当に罵る事を当然のこととする空気につながっちゃうんですよね。

 今回、防弾少年団を擁護するかのような態度を取ってる日本側の人達は、そこの部分に眼をつむっているのではないか。と思うんです。韓国の歴史の見方が一方的に正しくて、日本の歴史の見方は全て間違ってる。と言う前提がまずあって、それが、韓国の側で日本が差別されたりおかしな見方をされることはない。と言う形になり、それがために日本側の悪意だけで問題が起きてると結論づける。

 なんでそうなってしまうかといえば、元々日本の側に対する不信感があって、その上で、韓国側の人達と付き合ってると、そこに深く付き合ってしまい、相手側と物の見方が同じになってしまう。と言う、よくある事が起こってるのではないかと思うんですよ。
 言い方を変えると、韓国の人達・それも民族主義を強く抱えてる左翼の人達と深く付き合っていくことで、確かに彼らのことをよく知ることができる反面、彼らの価値観や物の見方の細かい所まで疑うことができなくなってしまう。

 そうなると、彼らの価値観が揉め事に関わってしまってる場合に、彼らの側が一方的に正しくて、揉めてる相手は一方的に間違ってる。なんで、その事に気が付かないんだ。とついつい思ってしまう訳です。

 これは、別に韓国人に対してだけ起こる話でもなく、身近にいる人に寄り添ったり、ある種の人たちに寄り添ったりしてて、その人達が揉め事に関わった時に、その人達の側は全く正しいのになんで責められてるんだ?としか見れなくなって、その事で肩入れするのはいいんだけど、揉め事の原因がその人たちにあったりする場合に揉め事の片側に加担しちゃって、後で揉め事を解決する時に思わぬ責任を取らされることになったりする訳ですよ。近所同士の揉め事とかママ友同士の揉め事、学校の保護者会やクラスなんかで派閥が出来て揉める場合を、思い出してみてほしいのです。

「寄り添う」事が、逆に揉め事を起こす事で利益を得る悪意の人達の思う壺になってしまうことも。

 そういう状況というのは、揉め事をわざわざ起こしたい人たちにとっては、非常に都合がいい訳ですよ。自分たちが揉め事を仕掛けて多少動けば、あとは勝手に物事が進んで、自分たちは逃げ出したあとに相手を一方的に悪いとして叩く人たちばかりが残るし、その事で自分たちの利益になる事も少なくない訳で。
 
 今回の件、確かにバックに徴用工に関する韓国側の判決があって、それが気に喰わないと言う人たちのもやもやがあったのでしょうが、それ以上に、防弾少年団が引っ張り出されたのは、日本と韓国の間でこういう揉め事になれば、日本側の一部の人達が弁護に廻って、その人達を叩けるし、日本側の一方的な物の見方を日本側の空気として徹底するような「しめつけ」ができるという思惑があるんじゃないかと思うんですよ。

https://togetter.com/li/1287060
原爆バンザイTシャツの防弾少年団(BTS)がMステ出演見送り(2018/11/11 Togetter)

 そして、韓国側の世間的なものをみると、原爆に対する歴史的見方にせよ、ナチス的なファッションに対する態度にせよ、そう、褒められたものではないわけですが、防弾少年団を弁護する日本側の人達はそこを批判せず・正しいと言うかまたは韓国国内のことだから問題に出来ないという責任回避の入った態度に終止してるものだから、日本国内ですら揉め事になってしまう…。

https://mainichi.jp/articles/20181112/k00/00e/030/178000c
米ユダヤ系団体 ナチス帽着用でBTS非難(2018/11/12 毎日新聞)

 相手に対する批判という物がきちんと出来てお互い議論できるような関係ができるどころか、相手の国が悪い・民族が悪い・相手は劣ってる。と言う、言っちゃ悪いですが人間として程度の低い人たちばかりがより強い立場になっちゃってる訳ですよ。それも、日本側に関しては「左翼」や「リベラル」の一部が、韓国のそういう人達を「甘やかす」ことで、そういう人達を尚更暴走させちゃってる。

 そういう事で、いいのかなぁ…と私は思うのです。

 ある種の人たちに寄り添うのはいいんですけど、その事で相手を甘やかしすぎておかしな方向に行くのをけしかけ・色んな対立や揉め事についてきちんと考える機会を奪っちゃうことで、どんどん独りよがりになって、最終的にはほとんどの人達から見捨てられてしまう…この問題だと、多分韓国側の人達からも将来的に見捨てられる結果になってしまうでしょう…と言うのが、彼らのためになるんだろうか?と言う事は、特に、お互い対立しやすい間柄の人達の間に挟まって・どちらかについて寄り添う事をする人達は、誰であれ、常に真剣に考えて・ある程度相手を突き放して悪いことを悪いというように頑張らないと拙いんじゃないか。善意や怒り・義憤が切っかえであるからこそ尚更、彼ら自体を悪い方に向けてしまうのではないか。と私は思う訳です。

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