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教育の要不要論についての雑感

Twitterでたまたまこんな記事を見掛けた

これ以上Twitterで続けるのも色々アレなので、続きの雑感はここに書こうと思う。と言っても長々と書く気もないが。

たぶん、今の日本で「教育」と「必要性」にズレを感じる人は、ミスマッチを起こしている人が少なくないのだと思う。

「生きがい」は「適材適所」からも生まれる。
自分の得た学びと、置かれた環境がミスマッチしていればストレスになる。

「現場で腕を振るい社会にとって役に立ちたい人」が「社会の役に立てる気の無い(と内々の研究員が言っている)研究」に配属されるのは不幸である。

逆に「自分の人生や生活を全て捧げても、この謎を究明したい」と思っている人間が「小手先の技術」ばかりを教えられるのもまた苦痛である。

学舎はただ「そこにある」だけで、それを「有用・無用」にするのはあくまで「自分自身」

「学校なんて不要」の話を時々見るが、そう唱える何割かは本当に不要と思っている訳では無く「その分の資金を自分の救済に充てて欲しい」と思っているのかもしれないなと、ボンヤリ思う。

そう。「不要」で止めるのではなく、もう少し思考を深く掘り下げて

「代わりに何が欲しいのか」を考えてみて欲しい。

いつだって世界を動かして来たのは、豊かさを創っていったのは
「無駄」と呼ばれたアイディア達なのだから。

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