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たむけはなむけ

きみの誕生日に、書き割りの背景の前で吐き気を堪え切った話。

診断結果を元に。

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「ずっと見ていてね」
そう言ってフェンスより後ろに飛び退いたきみを見送った。
けんけんぱをするように軽い足取りで、休み時間にお菓子を摘まんだような気の抜けた顔で。
夜明けの心地よい青の中へ飛び込んでいった。


「このシーンは想い人を思い浮かべて、『嬉しそうな顔が見たいな』とか思ってるシーンだから華やかに。一面の花畑で」
書き割りの土台を前にして、大道具長の指示に耳を傾けていた。台本の該当部分に指を添えているのを確認して自分の台本に印をつける。

「木下はエースだけど、ぜんぜん周りに相談してくれよな」
「あ、はい」
「ちな、察しついってかもだけど、木下に全幅の信頼寄せまくってる藤ちゃんが『花畑の花は任せる』てオーダー…文句あれば加勢っすからマジ言ってね!」
「飯田さん、文句はないので、相談はよろしくお願いします」

有名なおもちゃ映画のカウボーイ人形のようにくるくる表情を変える飯田の顔を静かに見ながら答える。
勢いに飲まれている感じはあながち間違いではないものの、この劇団ではよくあること。
藤が木下を連れてきてからずっとそんな感じ。

「色つける前に色見本、ちっさくていいから見せて。いつものことだけど、念のため」
「了解です」

木下が色づけ前の下書き完成予定を印の近くに書いたのを確認して、飯田は台本を閉じた。
木下は木下じゃなくなっている。
波打ち際のゆっくり海に戻っていく波ではなく、真夜中の遠くみたいでやたら耳近くでがなる波音に。

変化を肌で感じてそっと飯田が離れるのと同時に、木下は書き割りに手を当てた。瞼を閉じる。
黒じゃない暗闇に視界が包まれた。夜と朝のつかの間にある青を裂いていった人を思い出す。

瞬時に空いている手で口を押さえた。背を丸めている。ふーっ、ふーっと指の隙間からたどたどしく吐息が抜ける音がしていた。
頭はかっと熱いのに、腹を中心に冷えている感覚が煩わしい。

この感覚はいらない。
描きたいのはきみだけだ。

ぱんっと大きな音が衝撃のすぐ後に起きた。木下は感覚の切り替えに思わず瞼を開ける。
反射的に振り返れば背を叩いた人物は、真っ直ぐに立って木下を見ていた。きみと同じ瞳がある。

「もう1つ注文あって言いに来た」
「藤さん、どうしました」
「りんを描け、それだけ」

空気を伝わって耳を揺らしているはずなのに、そのまま声が聞こえたかと錯覚するくらいの。きみとは真逆の伝え方。

「そのつもりです」
「期待通り。りんと同じ日に生まれるなら同じになる」

言葉を喉に引っ掛けながらも、ややあって木下が返すと間髪入れずに藤は言い切る。隙なく踵を返した藤の姿を見送りながら、内から出そうなものをぐっと喉で押し殺した。短く息を吐き出して、土台に向き直る。

青の中の君に手向けを、台本の君に餞を。
それだけを表すために描き始めた。



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