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”時間”って実は、不平等だ。

TIME IS MONEY.

それほどまでに時間というものの価値は高いらしい。人生の中で何にどれだけの時間を使うのかという問いは、僕らの行く末を左右するようだ。


そういえば、今僕が所属しているNPOのリーダーもタイムマネジメントには命をかけているように見える。彼はいつも僕らに言う。「どれだけ恵まれなくても、時間だけは平等だ。」と。


彼の言ってることはもっともだ。時間は定量的には皆平等である。1分という時間はそれ以上でも以下でもない。しかし本日は時間の定性的な面について書いていきたいと思うのだ。



きみは、時間の定性的な面について考えたことある?僕が最近思っているのは、「僕たち人間は、時間でさえも不平等だ。」ということ。ここから先は、時間の概念やそれらの捉え方について書いていこって思う。



今日はガッツリ、でもじっくり考えながらいこう。



1.時間は、人工物である。

これはものすごく忘れがちなんだけど、時間って人間が作ったものなんだ。歴史の教科書の最初の方に出てくるあの日時計とかがあるように、時間は発明なんだよね。


大前提にこれがあるから、僕たちはこういう問いを立てられる。


「時間って本当に絶対的なもなのだろうか?」


そんなこと考えて何になるの?ってハナシかもしれないけど、これはとても大事。だって僕たちっていつも時間に縛られているから。


事実だけを切り取ればこの地球は太陽の周りを回っており、その過程で地球上では太陽がのぼって沈むサイクルが繰り返されてるだけなんだ。そんなことは誰でも知ってる。


つまり僕が何を言いたいかというと、単位を取り除けば時間は相対的であるということ。



これを前提に次のトピックへ行くね。



2.相対的になった時間を捉える方法

1では本来時間は相対的であるってことを話したね。じゃあ、その相対的になって時間を僕たちはどのように捉えればいいのだろうか?


それはもう一つしかないと思う。


感じる。これしかない。


単位をなくした時間を把握できるのは、あなたの体一つだけだ。その時間が長いのか短いのかはあなたの体の感覚を頼らなければならない。


アルバイトの時間が長いとか、友達と遊んでいる時間は一瞬で過ぎていく。冬は中々超えられず、夏は一瞬で過ぎていく。これが全ての世界だ。時間の把握はそれほどに曖昧なものになる。




3.時間は平等なのか?

ということは、僕たちにとって時間は本当に平等だろうか?


かくいう僕も、最近はこの感覚を持っている。例えば休息をするとき、僕は15分間ストップウォッチをかけるようにしている。


これをするだけ、この時間本気で休むことができるのだ。そしてこの15分間を僕は最も幸せで最も長い時間にすることができる。


一方で、Youtubeサーフィンを2時間ほどしてしまったときの僕はどうだろうか?沢山休息をとっているはずが、2時間分の感覚を捉えることができずに逆にストレスを感じてしまう。




こんなふうに、僕らの世界では時間でさえも不平等なのかもしれない、というコトについて少し書いてみた。この話を読んだあなたはどう思う?一緒に考えていきたいお話だ。



時間は不平等かもしれない。でも、これは希望だと思う。僕たちの使い方一つでその長さすら変えられるのかもしれない。毎日の幸せを僕ら自身で増やせるかもしれないんだ。



たまには、こういう難しい話もしたいね。キャンプファイヤーでもしながら。


そうだ、もうすぐ夏がくるね...今年はどんなドラマが待ってるんだろう。



それじゃ、今日もおつかれさま!また明日〜。



さくら

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