ポケモンカードから学んだ"優秀も環境次第では無能になる"能力と環境について
皆さんおはようございます!今ポケモンカードにハマっていて、
5月にも大きな試合に出るので、もりっと頑張ります!
そして!今日は「遊びからの学び」について!!
■優秀は環境次第で無能になる
ポケモンカードで学んだこととして
「優秀は環境次第で無能になる」ということ!
ポケモンカードでは、3か月に1回ぐらい新しいパックが出て、
会社側も、そのパックが強くなければ売れないので、
そのパックが出ると使うデッキの流行が変わり、これを「環境が変わった」と表現されます。
あとは、そればかりするとインフレが起きるので、年に1度レギュレーション変更があり、
これまで強すぎたカードも強さが減ったりします。
そうなると、今まで優秀だったカードは無能になったりして、
でも!これって生きてる現代社会も同じだなーと思ったりします!
■AI時代の人間の「能力主義」への疑問
ChatGPTが出て、プログラミングコード書かなくてもエンジニアリングができたり、
色んなものが問えば回答が出たりしています。
それ以外にも、組織Aでは重宝されたけど、組織Bで
・人と人の相性
・その組織の目的目標やスタイル
に合わなくなれば、
例え「優秀」と言われていた人も、無能にすらなれる。
この「優秀」には環境が前提としてあって、でもその環境はぐるぐる変わっている!
同時に織田のように、転職しまくっている人も、環境はぐるぐる変わる!
じゃあその時、何が頼りになるかといえば
「勝手にやる」「自分が楽しい」が個人的な解だと思っています。
スキルや能力も、ある一定は融通は聞くけど、どのスキルが10年続くんだろう?と最近思います。
常に学び続けるなどの「フロー」が大事だと思うのと、
「需要のために」するだけだと、
「需要のためにするのが好き」な人はテンションが上がるけど
「需要のためにするのが好きじゃない人」は、別にやりたくもないことで、
となると、興味もないし問いもでない。
しかも、その需要すら変化するなら、それだけど求めてたら「せっかくそのためにしてたのに!」となると思っています。
となると、ここからはいくつか考えがあると思うのと、
スキルを改変し続ける、や、
普遍に近いスキルを持つなどもあると思いつつ、
やはりメリトクラシーや能力至上主義的な世界からの転換もあり得るなーと思っていて、
となると、やはり「遊び」「遊べる」
自分がそれをすることですでに1つ目的が達成されている、という状態って強いなーと思っています!
世界全員が表現者、
世界全員が自分の心に嘘のない表現ができる、
世界全員アーティスト化
等は引き続き、目指したり、自分のビジョンにしていきたいと思っています!
今日は宣言的で、
最近仕事の話全然ないやん!と思われるかもですが、
今はヒアリングひたすらしたり、あまりアウトプットっぽいものが少ないので、
今しばしお待ちください笑
ヒアリングとかもまたまとめたり、ここでもご相談させてください!^^
それでは今日も素敵な一日を~!!
アート、教育、探究、子育て、生き方。アーティストとして、スクール長として、本音しか書きません!