カラヴァッジョに会いたくて

こんな状況になって
やっぱり2月に大阪に行っておいて
よかったなあ、と思う。

カラヴァッジョをみたくて行ったけど、ついでにゴッホもみれて
もう一人の私のような、あるいは姉のような、妹のような、気の置けない不良同士の女友達にも会えた。

3年間、毎日毎日一緒に仕事をした絵描きがイタリアでカラヴァッジョをみた時、「あんな繊細な仕事ができるのに、何故かっとなって人を殺すような雑な奴なのか」とも「あれをみたら、殺された奴の命よりこの絵のほうが価値があるとわかってしまう」とも言っていた。

実際、みたら
素手を体に差し込まれて
とても嫌なのに、同じくらい逆の気持ちもあって、今までみた展示の中で
最も離れ難かった。

たぶん、カラヴァッジョはそうして
素手を自分の体に差し込んで普遍に触れたから、正気でなかったし
私たちのなかに触れてしまうことが可能だったんだろう。

正直、あれをみたあとで
ただでさえ大混雑で絵をみるどころではないゴッホ展はノルマのようになってしまった。少し残念だけれど、仕方なかったのかも。

美術ファンでもある不良友達には法悦のマグダラのマリアのポストカードを買っていった。

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